懸念
父と娘ふたりと母と。
その邂逅を奇跡と肯定しながらも、不死鳥幼生は度重なる奇跡を、その巡り合わせを、もはや神の御業とは思えなくなっていた。己の主が求めたもの、人形遣いが生み出したもの、青の聖女が起こしたもの、様々にあるが、いずれも彼女たち自身が動かなければ得られなかった結果ばかりである。そこに神の介入する余地が、あっただろうか。
『命の神の祝福を受けし者』それ自体が、神の尖兵なのかもしれない。だが、彼女らにもそれぞれの考えがあり、目的は同一ではない。一角獣の面々も一様に高尚な目的を掲げているわけではなく、この場を訪れることに決めた時すら、軍議による多数決などではなく……まるでピクニックにでも出かけるような、それほどの軽さがあった。不死鳥幼生自身、遠い過去に同じような記憶がなかったとは言わないが、それは余程赴く場所にいる敵が下位である場合に限られていた。
一角獣の実力は、不死鳥幼生から見ても相当なものだと言える。それは、伸びしろがある強さであり、未だ発展途上中の危うさが見え隠れしているからこそ、より恐ろしさすらも感じるものだった。
だからこそ、早く力が欲しかった。
確かに主を守り切れる力が、己の力を十全に発揮し得る力を、今すぐにと求めた。
幼子の身体が、白の手袋に覆われた手によって宙に浮く。
以前も彼に抱かれ、この場所を歩んだ。黒の礼服を身に纏った骸骨執事は、座りがいいようにと腕の上へと器用に幼女を乗せる。その肩に手を置き、アデライールもまたバランスを取った。
フォルティス王と同じ虚ろのまなざしが向けられたが、ことばはないまま、彼は歩き出した。骸骨執事自身も主の主として大切に思う相手……唯一の従魔使いのもとへと。
「?」
骨の鳴る音に、ユーナが振り向く。迷いなく差し出された幼女の身体を、ユーナは短槍を腰に戻してから受け止めた。ステータスにもデス・ペナルティを受けているため、重く感じるのだろう。身体を密着させてから軽く身体をゆすり、抱き直していた。
「っと、だいじょうぶ? 支援、きつい?」
綺麗な紫水晶の瞳が、気遣いのことばと共にアデライールへと向く。
「いや」と短く幼女は返し、白の短衣の胸元へと頬を当てた。やや早い鼓動は、己の主のものだ。
結局、何も言えなかった。
今一度話をせねばと思いながらも、永劫の時を生きる不死鳥故か、本当に間が悪い。
そして、アデライールは、彼女が力を求めた結果どうなるのかという点について、もうひとつの可能性を失念していたことにも気づいた。だからこそ、この喜びに満ちた場から、そのまま引き下がろうと――そう思っていた。
「そっか。じゃあ、いこ? フォルティス王、びっくりさせちゃおうよ」
ふふ、と笑って、ユーナはアデライールを抱いたまま悪戯っぽく囁いた。
金の双眸が大きく見開かれる。そこに微笑みを返して、彼女もまた歩き出す。その動きに、不死伯爵と地狼も続いた。
「陛下、常世の闇に触れながらもまたお目にかかれたこと、光栄に存じます」
「おお、アークエルド……そして、うら若き従魔使いよ。久しいな」
先にアークエルドが跪き、フォルティス王へと挨拶を行う。ユーナはそのとなりに立ったまま、軽く頭を下げた。本来であれば敬礼しなければならないのだが、今はアデライールを抱き上げているため、物理的に無理だった。
「お久しぶりです、フォルティス王。ルーキスとオルトゥス、かわいいでしょう?」
まるで自慢の妹かのような口調である。
不死王フォルティスはユーナのほうを向き、一瞬の間を置き、二度、頷いた。
「うむ。うむ。これほどの姫に育つとは……夢のようだ。そなたたちも便宜を図ってくれたのであろうな」
「御身への誓いを違えはいたしません」
跪いたまま答えるアークエルドの様子がとてもうれしそうで、ユーナもまた笑みを深めた。そして、さすがに重さに耐えきれなくなり、ゆっくりと王の前へと幼女を下ろす。
会わせたかったと言わんばかりの動きに、フォルティス王は尋ねた。
「――この、娘御は?」
その声音は、どこか震えていた。彼もまたフェニーチェの王である。だから、その答えが何であるのかを、ひょっとしたらもう予測しているのかもしれない。ユーナはそう感じながら小さな手を握り、フォルティス王に答えた。
「かつて『聖なる炎の御使い』と呼ばれた……今はわたしの従魔の、アデライールです」
幼女の姿が、主のことばに合わせて陽炎の如く揺らぎ、融けていく。
朱金の鳥となった不死鳥幼生は、その金色のはばたきで魔力光を軽々と越え、闇の中でも煌めきを残しながら宙を舞う。広々とした通路の高い天井近くで円を描き、彼女は宿り木のもとへ帰還した。
「――何たることだ……」
舞い降りた不死鳥幼生の姿に、フォルティス王から呆然とことばが漏れる。
再び幼女へと人化したアデライールは、先ほどのユーナのように、悪戯っぽく笑って見せる。
「事実じゃよ、フォルティス王。このような形で見えようとは思わなんだがのぅ」
金の双眸を細め、あどけなさの中に深淵を含ませつつ、アデライールは言う。
フォルティス王はかぶりを振った。
「おばばさまが……いや、もはや……」
「中身は変わらぬ。そなたもそうであろう?」
ことばを選ぼうとする不死王に、不死鳥幼生は告げた。互いに変わり果てた姿だが、これまで培ってきた時間は変わらない。幾度も運命によって道を違えようとも、また重なり合ったことを喜びながら、アデライールは関わり方を変えないことを望んだ。
「偉大なる不死鳥よ……『聖なる炎の御使い』とは、その力を宿す巫女であると、我らには言い伝えられておったぞ」
「物は言いようじゃの。不死鳥の残りかすとは、さすがに史書も残せまい」
肩を竦めるアデライールの様子に、不死王は口を閉ざした。
びっくりどころではない不死王フォルティスの様子に、ユーナは少し地狼へと身体を寄せて、呟く。
「悪いことしちゃったかなぁ?」
「フン」
地狼は鼻を鳴らし、跪いたままのアークエルドの背も揺れている。
ユーナは唇を尖らせた。
対外的に『聖なる炎の御使い』は亡くなられたとしたほうが良いのはわかるのだが、王家の霊廟に封じられているフォルティス王にだけは、彼女が転生し、新たなる生を歩み始めたと伝えるべきだと思ったのだ。
かつて彼女が過ごしたのはつらい日々だったのかもしれないが、「今はこんなふうに笑えるようになりました」と知らせることで、またひとつ彼の重荷を外せるのではないかと……そう考えたのである。フォルティス王が「よかったよかった」とまで喜んでくれるのではないかという、甘い期待がそこにあった。
「いや、感謝しておる……まさか、このような形でおばばさままで連れてきてくれるとはな」
「おばばさま、ずっといっしょです!」
「おばばさま、一角獣の酒場にいらっしゃいます!」
声高に双子姫が言い募る。そして、互いの顔を見合わせ、「ね♪」と微笑んだ。
まさかその名を出されるとは思わず、エスタトゥーアはびくりと身を震わす。
「そなたたちと同じ宿においでということか。なるほど……それは重畳」
父王のことばは、やや気落ちしているように聞こえた。たまらなくなり、青の神官は口を開く。
「再びお目にかかることができて光栄です、フォルティス王」
「うむ。そなたたちの訪れにより、時の流れは緩やかになったようだ。そなたの祈りはソレアードに安らぎをもたらした」
先ほどの呟きとは異なり、その声音は確かに感謝を含んでいるものだった。
切り替わっている。
彼の中に、アシュアはシステムの存在を見た。自分では、フォルティス王の抱えるものに触れられない。どうすればと考えた時、甲冑の鳴る音がした。
「お初にお目にかかります、フォルティス王。一介の交易商如きの直言をお許しいただけますか?」
シャンレンのことばに、フォルティス王は機嫌よく応じる。
「クラン一角獣の者たちよ、そなたたちの王家への貢献は最も我が知っておる。故に、遠慮はいらぬ。そもそも、この身は死者なれば……本来であれば生前の地位など、何の役にも立つまいよ」
「ありがとうございます。
先ほどからのフォルティス王のご懸念を拝察し、申し上げたき儀があり、失礼を承知の上で述べさせていただきます。
フォルティス王のご懸念は……姫君らの王家への影響ではございませんか? 今となっては、不死鳥幼生の存在までが、当代の王の……そのお立場をも、揺るがすのではと」
ぽかーんと、ユーナは口を開いた。
シャンレンのことばの意味がわからなかったわけではない。むしろ、わかったがために、「何言ってるのシャンレンさん」状態になっている。
だが、呆れ返っているユーナに比して、フォルティス王は逆に口を噤んだ。あっさりとした否定が来なかったことに、更にユーナは驚いた。
「え、何で?」
「不死鳥は王国の守護鳥、それが魂だけとは言え、王族が自動人形に宿って生きて動いてるのよ? その組み合わせは王家にとっては脅威でしょうよ」
黄金の狩人の疑問に、青の神官は肩を竦めて答えた。
「だけど、そんなつまらないことは起こらないわ。ねえ、カードル伯?」
「――陛下」
話を振られた不死伯爵は、頭を上げて言い募った。
「私はおふたりが新しい身体へと宿る際、生前の御名ではなく、人形遣いによる名づけを求めました。陛下は、おふたりには闇の外でどのような形でも生きてほしいと願われたからです。ご覧のように、人形遣いは私どもの願いを遥かに上回る愛情までもをルーキスとオルトゥスに捧げ、おふたりはのびのびとした成長を遂げておられます。一般的な礼儀作法は身に着けるべく配慮いたしましたが、王族としての教養は伝えておりません。この意味を、お分かりいただけるでしょうか?」
「そして、『聖なる炎の御使い』はもうおらぬし、不死鳥の転生を知る者は一角獣に関わる者のみじゃ。
この婆も、ルーキスもオルトゥスも自由の翼を得た。あとはどこに飛んでいくも意のままじゃ。せっかくの翼を折るような真似はさせぬとも。
それにしてもまったく、なかなかそなたも未練がましいのぅ。あとは生者に任せるがよい。悪いようにはせぬ」
立て続けにアークエルドとアデライールの言を聞き、フォルティス王はようやく息を吐いた。その虚ろのまなざしが、双子姫へと向く。
「巡り合わせとは、こういうものだ。そなたたちは恵まれておる。よく学び、よく働き、よく遊び、その命尽きるまで精一杯生きるがいい……いや、その身体が動き続ける間は、か」
双子姫はそれぞれが真摯な表情でそのことばを受け取っていた。
両手をしかと祈りのように握りしめ、大きく頷く。
母たるエスタトゥーアは、その様子に僅かに目を伏せた。おそらく、誰よりも彼女たち自身は理解している。
この邂逅は、長くないと。
そして、この時限りであると。




