炎の短槍
やはり、神像が配されている広間だけあって、一階に不死者はいなかった。広々とした空間には魔力光が打ち上がり、剣士たちの姿を柔らかく照らしている。ユーナが足を進めた時、ちょうどセルウスが風を起こしているところだった。扉はまだ開いている。外の空気が広間へと広がり、ほんの少し感じていた黴臭さや死臭が飛ばされていった。
大きく息を吐き、黄金の狩人は奥を見る。
「あんなに倒したのにまた沸いてるのかな」
階下で待ち受けているだろう動く死体の群れを思い出し、ユーナはすぐ隣を歩いていた地狼の毛並みを掴む。何となく理由がわかるようで、地狼は優しくユーナの身体を尻尾で撫でた。
不死鳥幼生が、ユーナの肩から降りる。その姿が幼女のものとなり、己の主を見上げた。
「前に出てはならんぞ。今の主は只人と変わらぬ故」
「え? でも、マルドギールが助けてくれるんだよね?」
右手に持った短槍を掲げ、ユーナは赤い宝玉に話しかけた。外から見ると頭がおかしいか物寂しいかただの中二病な光景のような気がするが、一応ここに精霊が在るはず……である。すると、まるで彼女の声に応えるかのように、穂先が燃え上がった。
そう。
カバーにしてあった白い布ごと。
「きゃああっ」
「何やってんだよ!?」
「落とせばすぐ消えるだろ!」
いきなり松明状態になったマルドギールを、放り出すことすらできず。
ユーナが上げた悲鳴に、フィニア・フィニスが怒鳴り、シリウスは横合いからその短槍の柄を掴み、下へと向けた。布は床に落ち、シリウスの長靴の底に踏みにじられてあっさりと燃え尽き、黒い跡を残す。
「――すまぬ……」
「う、ううん、アデラのせいじゃないから!」
引きつった表情のまま謝るアデライールにそう言ってはみるものの、マルドギールの自発的行為があらゆる意味で危険に思えて、ユーナはどう扱うべきかと迷った。いきなり炎がほとばしるというのは、攻撃という意味合いでは強い……のだが、いつ出るのかがまったく制御できない状態では困る。
紅蓮の魔術師が術杖でトン、と床を打った。
「放火魔の称号を贈ろう」
「要りません!」
何となく、「仲間仲間~♪」と喜んでいる空気すら感じる発言である。
「え、何? ペルソナの弟子入りでもしたの?」
「してないからー!」
続いたメーアの問いかけに、ユーナはもう嘆くしかなかった。
妙なやりとりをしているあいだに、背後から射していた外の光が消えていく。アシュアたちも霊廟に入ったようだ。外から中の様子は見えなかったが、念のためと呼ばずにいた彼の名を、ようやく口にする。
「――アークエルド」
従魔召喚は使えずとも、光があり、自身の影さえ生み出せれば、不死伯爵に声は届く。
ユーナの確信に応え、影から黒い靄が湧く。黒い靄は魔剣ローレ・アニムスを手に、銀の外套を纏った従魔へと具現化し、彼女の目前へ跪いていた。一度そのまま礼を施し、次いで立ち上がる。
「騒々しいようだったが……」
「あ、うん。もうだいじょうぶ」
マルドギールに絡む出来事には敢えて触れない。
姿を見せた不死伯爵に、双子姫が嬉しそうに駆け出す。
「かーどゅ!」
「かぁどる!」
飛び掛かる気配を察知したアークエルドは、手早く剣を帯に差す。そして、ふたりがかりの愛情表現に、真紅の双眸で堪えた。片腕ずつにルーキスとオルトゥスを抱きとめ、一度頬を寄せられてから、離す。
「あれ、フォルティス王見たらキレないか?」
「いや、まあ、どうですかね……前も似たようなことしようとしてましたし、許容範囲では……でもあの頃はもっとちっちゃかったから……今、ホント娘さんだし……」
「っていうか、アレ、カードル伯もできるんですね。筋力いくつかな」
フィニア・フィニスが余計な心配をしていると、より一層セルウスが話を想像して苦悩し始めた。シャンレンはマールテイトの抱っこぐるぐるを思い出しながら、不死伯爵とマールテイトの筋力を冷静に分析している。
「かーどゅ、とーさまがおかしいのです」
「かぁどる、ととさまが変なのです」
「ルーキス、オルトゥス、フォルティス王が聞いたら泣きますからやめましょうね……」
真顔で言い募る双子姫に注意をし、エスタトゥーアは背筋を伸ばしたカードル伯へと説明をした。つい先ほど、王家の霊廟の泉の上に現れたことと、その姿を。
青白い美貌が、微かに歪む。
「――変節は、ありうる」
アークエルドはユーナを見た。その赤い瞳にある闇に、ユーナは息を呑む。
「陛下はおふたりの存在に救われておいでだった。年月など関係なく、その在り様に光を見出しておられたように思う。従魔の宝珠に姫君らを封じ、我らに託されるという苦渋の選択は、ひとえに姫君らの御為であった。だが……」
フォルティス王自身にとっては、どうだったか。
その紡がれないことばを、誰もが聞き取っていた。
「それは、そうでしょうとも」
エスタトゥーアはルーキスの髪を指先で梳き、オルトゥスの背へと手を回した。白銀に囲まれた不安げな表情がどこか安堵したものに変わる。
「最愛の娘たちを手放すなんて、その心痛は如何ばかりか……わたくしは想像すらしたくありませんよ」
「なれば、ルーキスとオルトゥスと相まみえることによって、フォルティス王もまた変じるやもしれぬのぅ」
明るく続いた声音は、前向きな色合いをまぶしていた。不死伯爵は幼女へと頷く。
「さぞお喜びになられるだろう。それだけは確かだ」
そのことばに、双子姫はようやく微笑んだ。
「――じゃあ、そろそろ行く? 何だか下、すっごく怖いんだけど」
先に階段のそばへと進んでいた弓手が、全員へ自身の地図を転送する。埋め尽くされた赤い光点に、呻きが上がった。




