強さを求めて
――夜明けはまだ遠い故、もう一度眠るといい。
心まで温かさを通り越して熱くなってくるような食事のおかげで、空腹度が緑に戻っていく。
不死伯爵に促され、ユーナは再び寝台へ戻った。アデライールの爆睡ぶりは素晴らしく、ユーナが同じ布団に潜り込んでも全く目覚める様子がない。従魔としては警戒心が足りないのかもしれないが、主であるユーナだからこそ安心して眠り続けるのだと思えば、単なる幼女の寝姿は微笑ましいものでしかなかった。
寝台に横たわり、地狼が座るほうへと身体を向ける。手を伸ばせば、頭だけが寝台の上に乗り、その鼻先に触れることができた。少し湿ったそれを撫でると、ぺろりと舌が手を舐めた。くすぐったさに身体が揺れる。仕返しに鼻先をくすぐるように指先を動かすと、大きな口が開いた。ぱくん、どころか、ばっくんと手がその中に入ってしまう。それでも傷をつけないようにと、歯が少しも当たらない配慮が感じられた。ますます楽しい気持ちになり……不安にもなった。手を抜き取り、もう片方の手も伸ばして、上顎と下顎に当てる。地狼はそれで何となく意図が通じたようで、自ら口を開けた。少し寝台の端のほうへ身体を寄せ、暗闇の中、目を凝らす。大きく開けたままの顎は厳しいのか、地狼は苦しそうに息を吐いた。鋭い、大きな牙が上に二本、下に二本、きちんと揃っていた。安堵に胸を撫で下ろし、そのまま手を離す。その強靭な顎で魔物すらも噛み殺せる地狼は、主と同じように安堵しながら口を閉ざし、鼻息でその手をくすぐった。
地狼の牙は、森狼王の牙の首飾りと共に、今、紅蓮の魔術師の手にある。最近術杖すらも作っていないと零しながらも、彼は新しい首飾りの作成を引き受けてくれた。形見にするつもりもないが、ただ道具袋に転がしておくよりも、首飾りにしておくほうが役に立つ気がしたからだ。
ユーナの死によって、融合召喚や従魔召喚がどのような扱いになっているのか、今もなお不明のままだ。スキル・ウィンドウを開けない以上、確認することもできない。地狼も不死伯爵も不死鳥幼生も自身を「主」と認めてくれているので、契約が無効になっているわけではないはずだが……そう物思いに沈みかけると、背後で幼女が寝返りを打った。
ユーナは身体の向きを変え、そのぬくもりに近づく。
間近で見る幼女の顔は整っており、当然ながら皺ひとつない。これが年月を経ることであれだけしわしわのおばあちゃんになると思えば感慨深い。しわしわでふにふにしていた手は、やはり同じくあたたかかった。心が身体に引きずられるのか、単に表に出せていなかっただけか、幼女は老女よりもユーナにたくさんのことばを伝えようとする。ただ、地狼が言ったように、それよりももっと多くの我慢が見えないところに隠れていると、今は知っていた。
アデライールが、心置きなくその翼を羽ばたかせるために、ユーナにできることは限られている。
向けられた厚意が、素直にうれしかった。
その期待に、応えたいと思った。
――何もしないであきらめるなんて、ダメだよね。
闇に沈んだ室内に、朱金の煌きは見えない。
それを一房指に絡め、ユーナは目を閉じた。
「ホント、マジすごくてさー! 幻界をリアルにするとあーなるんだなって」
両手の拳を握りしめ、興奮しきりに声を上げる黄金の狩人を前に、風の盾士は打ちひしがれていた。
「姫がっ、姫があの場においでとは! 全力で捜索すればよかった……っ!」
いや、それはちょっと。
ユーナの内心は、幸いなことに彼には届かなかった。
皇海ゲームショウの初日である今日、フィニア・フィニスとセルウスは早速参戦したと言う。ふたりとも前売り券を購入して行ったらしい。フィニア・フィニスは午前七時に到着して一般入場の列に並び、殆ど最終回の幻界のアトラクション「幻界 ドゥジオン・エレイム」に参戦できたそうだ。一方でセルウスは午前六時から並んだそうで、昼過ぎくらいの回に参加だったとのことだ。前売り券でもそれだけの戦いになるとは、とユーナは恐ろしくなった。招待券なので、その分並ばなくてもよいはずだが、油断は禁物のような気がする。
ふたりとも、ゲームショウで力尽き、つい先ほどまで眠っていたようだ。ログインしてすぐにユーナの神殿帰りを聞き、フィニア・フィニスは苦虫を噛み潰したような顔をして「もう寝とけばどうだ?」とデス・ペナルティの悪影響を心配してくれた。自分が施療院を抜け出して会いにきたことは棚上げであるが、気持ちはうれしい。そして「今日は遅かったんだね」と口にしたところ、この流れになったのである。
「そりゃあさ、武器の重さとかはないけど……ちゃんと技発動するし、矢の装填もいつも通りにできたよ。ただ、幻界の装備がそのままだから、持ってないのは使えないんだよなあ。あと、アトラクションで使った分だけ、こっちの矢数も減ってるから、先に準備しとくほうがいいかも」
「攻撃の衝撃がないのも違いましたね。痛みがないのにHPがガンガン削られていくの、怖くなかったですか?」
「盾、使わなかったのか?」
「使いましたよー。でも、八人PTで全員野良ですからね。目の前の召喚獣に興奮しちゃって、手当たり次第攻撃投げつけてましたね。気がついたらHPなくなっててコケてて、神官いたのにうちの回初戦で全滅でした。デス・ペナルティがないのが救いかなー」
本日参戦した者同士が盛り上がっている中、しっかり聞き入っているのは明日参戦組である。神官、のことばに青の神官が身を乗り出した。
「回復、すぐいけてた?」
「八人いましたからね。範囲回復なんてアシュアさんくらいしかできないんじゃないですか? 聖域の加護なんて全然間に合ってなくて、癒しの奇跡で後手後手でしたよ」
HPがブラックアウトしても、参加者はもちろん動ける。しかし、立体映像として、自分と重なる旅行者は力尽き、砕け散っているために、それ以上敵に攻撃を仕掛けることができない。闘技場のアリーナを映し出す巨大スクリーンも設置されており、そちらでは幻界そのものの映像も見られるという。もっとも、戦っている側はそれどころではなく、スクリーンを見て楽しむのは、あくまで外野だけだ。
「フィニ、その装備で戦ったの?」
「うん。何だかリアルな自分がさ、こうなってる感じで楽しかったよ」
ふわふわ金色巻き毛が、心から楽しいという表情と共に揺れる。
薄緑の短衣に素足が眩しいところは相変わらずで、今は革の胸当てを装備しているのが以前と違うところだ。空色の瞳のあどけなさに、ユーナはことばに詰まった。
「あーもう、絶対見たかった……」
「行くなら先に教えてくれてたらさー、待ち合わせられたのにな。残念!」
「くぅぅぅぅぅ……」
滂沱の涙を流しているように見えるセルウスはともかく、にっこりというよりもニヤリと笑うフィニア・フィニスに口元が引きつる。
いろいろ想像すると怖いので、ユーナはやめた。
「ペルソナなんて、そんなイベントなら一発でバレるね」
「だろうな」
紅蓮の魔術師は弓手のことばに軽く肯定したが、特に何の感慨も沸かないようだった。その手には二つの牙がついた首飾りがある。まんなかの緑の宝玉が、何故か黄に色を変えて一回り大きくなったような気がした。差し出されたそれを受け取り、ユーナは首を傾げた。
「かなりの損傷を受けて耐久度の減少が激しかったな。直してもあまり戻らない気がしたから、一から組み直した。エスタトゥーアの合成で地狼と相性がいいように地属性の魔石に変えて、革紐は使い物にならなかったから、アシュアから新品を譲ってもらった。礼を言っておくといい」
「ありがとうございます! うわ、すごい……」
「細工師としてお仕事していただいても、儲かりそうですね」
「肝心の素材集めがたいへんだからな。それに、燃やすほうが性に合う」
ずっしり重たそうに見えるが、実際に手に取るとそれほどでもなかった。
シャンレンがユーナの肩口から頭を出し、片眼鏡を光らせる。鑑定したいという目の輝きに、ユーナはそっと首飾りを差し出した。交易商は軽く首飾りに触れ、鑑定スキルを行使する。即座にその手が宙を舞い、鑑定結果をユーナに見せた。
牙の首飾り
耐久度(百/百)
作成者:ペルソナ
エーデノウトの革紐・森狼王の牙・地狼の牙・地属性合成魔石で作られた首飾り
基本HP上昇効果+五十
基本MP上昇効果+五十
特殊効果:森狼系・地狼系従魔に対する「回復」「支援」「共鳴」効果アップ
風魔石でなくなった分だけ、敏捷度の調整は失われた。しかし、幾つ合成したのか、それとも地属性故か、HPまで上昇する追加効果があった。何よりも、地狼系従魔へのスキルアップ効果がうれしい。
「なかなかの一品ですね。これほどとなると……」
「お、お支払いを……っ」
道具袋内の現金はかなり心許なくなりつつあったが、ユーナはそれでも細工代を支払おうとした。しかし、紅蓮の魔術師は仮面の下の口元を歪め、あっさりとそれを拒否した。
「まあ、貸し一で」
前回の貸し一がソルシエールとの対戦に化け、しかも神殿帰りによって各方面に迷惑をかけまくったことを思い出し、ユーナの表情が凍りつく。
「え、わたし、返しきれます……?」
「このあとの話次第で、ユーナちゃんのクエストにみんな乗っかる感じになりそうだけど?」
アシュアのことばに、ユーナは首を傾げた。となりに座る幼女に、青のまなざしが向く。
「ステファノス王子からの依頼だから、一応は一角獣宛てなんだけどね。でも、クリアするためにはきっと……おばあちゃんとか、ルーキスやオルトゥスの力が必要になる気がするのよ。何と言っても、また王家の霊廟だもの」
「とーさまのところですか?」
「ととさま、お目にかかれますか?」
自分たちの名前が挙がり、双子姫がうれしそうに声を上げた。
逆に、エスタトゥーアは眉を顰める。
「――アシュア、ユーナさんはまだ……」
「わかってるけどー、今回はほら、頭数あるし。ユーナちゃんはついてくだけでもいけそうじゃない?」
スキルのことだ。
今もなお、封じられたままになっているスキル・ウィンドウのアイコンを見て、ユーナは肩を落とす。
「然り。何があろうとも我が主はお守りしようぞ。じゃが、まずは話を聞こうではないか」
金のまなざしが確かなる決意を抱く。そのことばに、不死伯爵もまた同意を示すように頷いた。足元を漆黒の尾がふわりと撫でていく。
ユーナはアシュアに視線を向けた。新たなるクエストの幕開けの予感にただ楽しげな様子を見せる彼女に、ユーナは少し肩の力が抜けるような気がした。
「だいじょうぶ。またみんなで、帰ってきましょうよ」
ふふ、と笑いながら、アシュアは語る。
それは、王家の霊廟に現れし王の幻影の話だった――。




