表の理由と裏の理由
NPCとは――ゲームにおいて、ゲームの進行上必要な役割を果たすために存在する。その名の如く、プレイヤーが存在しないキャラクターのことを言う。
幻界におけるNPCは、脚本上の役割を果たしているだけではなく、地狼やカードル伯、不死鳥幼生、双子姫たちのように、自身の思考を有し、それに基づいた行動を起こすように作られている気がする。彼らの思考という枠組みの中ではあるが選択肢は無数に存在し、それをプレイヤー側は強要することができない。唯一、プレイヤー側がNPCに対して強要できるということと言えば……その存在を消すことだけだ。
シャンレンはマールテイトを見つめた。彼の焦げ茶色の瞳は、エスタトゥーアを見据えたまま返事を待っている。
彼の役目は何だろうか。
単なるNPCと言うのなら、自分たちにこの一角獣の酒場をもたらすため、という時点で話が終わる気がする。もっとも、NPC相手に借金ができるという話は他には聞いたことがない。よって、話はできたものの、金がないならこの話はおしまいだと流されただろう。そして、それっきりだ。
彼は、それを望まなかった。一角獣に借金させてまで自らの店を譲り渡し、しかも、契約の中に自身の雇用まで条件として組み込んだ。自分の店を持つ忙しい身の上でありながら他人任せにせず、毎日一角獣の酒場を訪れ、食事の支度をする。
かつて王都の大神殿にて聖騎士であったという、マールテイト。
彼の人となり、特に警戒心の強いシャンレンをも容易に友として遇する大らかさが、そして不死伯爵や骸骨執事をも受け入れてしまう懐の広さが、NPCとしては独特なものだとは思っていたが……ここまで踏み込んでくること自体が、正直ありえないことだ。
不死伯爵や不死鳥幼生はユーナの従魔である。彼女から離れることなど思考のどこにもない。逆に、傍にいるためになら、どのような手段でも選ぶだろう。双子姫もまた同様だ。人形遣いである母エスタトゥーアを、父であるフォルティス王を心から愛している。それぞれ、マールテイトとは存在理由が違う。
理由を模索したものの、シャンレンですら予想さえつかなかった。
深紅のまなざしで、エスタトゥーアは彼を見返す。シャンレンと同じように、マールテイトの真意を探るような色合いが浮かび……不意に、それが融けた。瞳と同じ色合いの唇が柔らかな笑みを象る。
「とても、うれしいですね」
それは感情の発露だった。
唐突な発言によって緊張していた食堂の空気が、彼女のことばによって緩んでいく。マールテイトもまた笑む。
しかし、エスタトゥーアは頬に手を添え、残念そうにことばを続けた。
「ですが……今、その申し込みを受けるわけにはまいりませんね」
嘆息すら語尾に混じる。
マールテイトは激昂することなく、静かに尋ねた。
「――理由を訊いてもいいか?」
「わたくしが、あなたに借金をしているからです」
即答だった。
借金返済せずにマールテイトを受け入れてしまえば、借金を盾に受け入れたようにも見える。クランマスターとして、他のメンバーに対してもそういった誤解を生む状況は避けたい。
エスタトゥーアの説明に、マールテイトは肩を竦めた。
「アークエルドと同じように、俺が一角獣に寄付すりゃいいだろう?」
「それこそ、今わたくしがお話したことと同じですよ。あなたを受け入れるにあたって、そういったつまらないことはしたくありません。きちんとすべての借金を清算した上で、改めてあなたの一角獣へ入りたいという理由を……聞かせていただけないでしょうか。もちろん、お話できる範囲で結構です」
マールテイトの表情が変わった。驚愕に彩られた料理人に、エスタトゥーアは微笑みを浮かべ、更にことばを重ねる。
「あなたのごはんはとてもおいしいですし、借金返済が終わったとしても、このご縁をなかったものになんてさせませんとも。
それに、ルーキスもオルトゥスも、あなたの抱っこが大好きですからね。ずっとクランにいてくれるとなれば、大歓迎でしょう」
「おじさま、抱っこしてくれるのですか?」
「おじさま、抱っこのためにいてくれるのですか?」
双子姫が雑巾を片手に目を輝かせる。
マールテイトはようやく安堵したように口元を緩めた。
「――おいおい、さすがに店は続けさせてくれるんだろうな」
「あなたが望むのなら。わたくしたちは、互いにやりたいことをしているだけです。それ以上のことは望んでおりませんよ」
エスタトゥーアのことばに、マールテイトは頷く。
そのふたりのやり取りに、シャンレンは絶句していた。今、彼女は何と言った。そして……マールテイトは、どう応えた? 繰り返しその光景を脳裏に描き、彼は必死で答えを探そうとしていた。エスタトゥーアは気付いた。自分はまだ、気付いていない。
視線を逸らして物思いに沈むシャンレンに、マールテイトは苦笑した。そして、手に持ったジョッキを軽く、シャンレンのそれへと打ち付ける。弾かれたように、彼は料理人を見た。ジョッキを傾け、喉を湿らせてから、マールテイトは口を開いた。
「おまえさんたちが有能な連中だということは、よく知っている。だからこそ、王家の霊廟へ行き、生きて戻ってこられたのだろう。東門の騒動の件も見事だった。
だが、俺はしがない料理人で、クランの件に関しては口を挟むことができない。飯を作ることやメディーナに頼みごとをする程度ならいくらでも手を貸せるが、それも雇用契約が終わるまでの話だ……そんなふうに、思ってたんだよ。悪かったな」
「そんなこと……あるわけないでしょう。契約なんて、ただの口実だなんて私にもわかっていましたよ」
シャンレンはかぶりを横に振った。だが、わかっていただけだったということは、他ならぬ彼自身がいちばんよく知っていた。そこから更に深くは考えなかった。マールテイトが、NPCだからだ。
理由にたどりついて、シャンレンは顔を顰めた。マールテイトほどの成功者と話ができるだけでも、光栄に思っていたはずだった。心安くことばを交わせる仲になって、うれしく思っていたはずだった。なのに、自分が彼を見る目はずっと、NPCで止まっていたのだ。
ユーナは、地狼を想って泣いていた。取り戻せたことの喜びがもたらした涙は、報復という刃すら下げさせた。あの時、彼女が望めば、結果は全く異なるものになっていただろう。不死伯爵の叫びや、不死鳥幼生の嘆きを知り、その理由をすべて従魔だからだと決めつけていた。
エスタトゥーアが会ったこともない双子姫のために、必死で自動人形を作り上げ、愛しい娘たちの名を与えたことを微笑ましいと思っていた。双子姫たちは本心から母たるエスタトゥーアを慕っていることなど、一目でわかった。創造主だからこそ、システムに刻み込まれているものだと考えてはいなかっただろうか。
関係とは、システムが生み出すものではない。
互いの行動の結果に生まれるものだ。
例え、フレンドリストにその名を載せることができなくても。
シャンレンはジョッキを呷った。すっかりぬるくなってしまった麦酒は、ひたすら苦みだけがきつい。だが、ちょうどよかった。
「マールテイト、私はあなたを友人だと思っています。契約で、友人関係は終わらない。違いますか?」
これまでの多くの気遣いを、たったひとことで贖えるとは思わない。
そして、彼もまたそれを望まないとシャンレンは知っている。
マールテイトが役割のためにここにいるわけではないという事実にどこか救われた気持ちになりながら、シャンレンは精一杯のことばを紡いだ。
そして、マールテイトはそんなシャンレンの物言いを豪快に笑い飛ばす。
「ややこしいやつだなあ、おまえ!」
「――知っていますよ。ああ、また酔ったかも……」
頬を赤く染める交易商を見て、マールテイトは骸骨執事に叫んだ。
「よし、じゃんじゃん持ってきてくれ!」
「かしこまりました」
「マールテイト!?」
「心配いらん。今日追加しておいたからな。っつーか、酒瓶増えてたぞ。あれ、アークエルドの……」
「酒盛りか。気にせず飲むがいい、料理人よ」
いつのまにか降りてきていた不死伯爵も交え、寝酒どころか宴が始まる。その賑わいの中、不死鳥幼生は肩を竦めていた。話は明日にせざるを得ないだろう。だが、楽しい空気に酔い、彼女もまたそっと蜂蜜酒の瓶へと手を伸ばすのだった。




