再訪への切符
ルーキスが、手を伸ばす。
オルトゥスが、手を伸ばす。
地狼の両脇に膝を落とした双子姫たちは、ユーナの身体からずれ落ちた毛布へと触れた。
微かに身じろぎしたユーナの様子に、互いの顔を見合わせ、片手で指先を口の前へ立てる。
しーっと声もなく言い合い、せーのの掛け声もなくふたりは呼吸を合わせて毛布を引っ張った。毛布はきちんと彼女の肩まで上がり、その身体を隠す。安堵して、またふたりは互いを見て微笑み合う。
その双子姫を、唸ることなく地狼もまた眺めていた。従魔たる彼にとって、本来自身の主の許しもなしにその身体へ触れられるなど断固として許しがたいことのはずだ。しかし、双子姫が闇に囚われていたころから、その魂が身体を得るまで、ユーナがどれほど心を砕いてきたかを彼は知っている。故に、愛らしい自動人形たちへ目くじらを立てることもなく、むしろあたたかくその行動を見つめることができていた。
その漆黒の尾が、くるりと毛布の上からユーナを包むように回される。
声を出すことなく、地狼の動きに双子姫ははしゃいだ。両腕を胸の前に引き、拳を頬にあてて細かく体が上下している。その背を見やり、アシュアもまた口元を緩めた。
「うーん、どうしよっか」
「わたくしはそのまま眠らせてあげてもかまわないのですが……床はさすがに風邪を引きそうで怖いですね。アルタクスへの負担もですが、ユーナさんは特に、何も耐性がないので」
「そうよね」
脊椎骨折による下肢の麻痺、内臓損傷、更に幻魔香の影響を考えれば、既に泉下へ旅立っていてもおかしくない状況だった。クールタイムを無視し中毒症状を引き起こすほどの各種の回復薬投与のおかげで、何とか命を引き延ばしていたようなものだ。そこへ口内の歯牙破折が重なったのだ。治療を施そうとした青の神官にとっては、見るに堪えないものだっただろう。手の施しようがなかった、というのが正直なところだ。
死に包まれようとした地狼を救ったのは、紛れもなくユーナの願いだった。
幻魔香と各種の回復薬をすべてユーナの水霊が洗い流したおかげで、ようやくアシュアにも光が見えた。
地狼を絡めとり、泉下へと向かわせる原因を一本ずつ、解きほぐせばいい。その道筋を描き出せたのである。
二つの『白の媒介』を用い、三本ものアルカロット産の法杖を触媒として発動した神術は、青の神官の祈りに応えた。そうして何とか地狼をユーナの許へ取り戻したのはよかったが、それほどまでに神術を用いてもなお、全快には至らなかったのである。結果としてはデス・ペナルティほどではないが、地狼の一時的なステータスの減少が今も残っている。それは、かつて死に瀕したユーナと同様の現象のようだった。
ふらつく地狼は、それでも剣士に担がれることを良しとせず、自ら歩いた。
そして、施療院よりも一角獣の酒場のほうが位置的に近かったため、エスタトゥーアの部屋へと取り急ぎ連れ込んだのだが……結論としては、薬術師にも手の施しようがなかった。ユーナ同様、休息しか彼を癒す方法は見当たらないというのが彼女の見識だ。ユーナの従魔回復があればまた別だが、ないものねだりである。
エスタトゥーアの部屋には炎の術石があったため、暖を取れる。夜が近づくにつれて冷え込む季節である。ちょうどユーナの装備の修繕が終わりかけていたので、そのまま休んでいて……と少し放置していたらこれだ。
一応、診察と治療という話なので、従魔である不死伯爵や不死鳥幼生にもこの場は遠慮してもらっている。呼んでくるべきか、とアシュアは息を吐く。
「酔ってるわけじゃないし……寝室に連れてってもいいわよね?」
「アルタクスに乗せるのは、ステータスが完全に戻るまで禁止ですよ」
「わかってるわよ」
ぱさり、と地狼の尾が床に触れた。アルタクス自身も些か寂しいようだが、こればかりは堪えてもらうしかない。そもそも、背骨が折れていたのがくっついて、すぐに動けるという状況のほうが異常なのだ。神術万歳である。
その時、小さく廊下に通じる扉が叩かれた。双子姫が立ち上がり、小走りに駆け寄る。ルーキスが扉を薄く開き、オルトゥスが詰問した。
「――合言葉は?」
「え、何だよそれ」
「はい、ありません。正直者ですね。通してあげましょう」
「はい、正直者は通してあげましょう」
嘘つきだったらどうなるんだ。
剣士は口元を引きつらせながら、開かれた扉の奥を覗き込んだ。
「あ、やっぱり寝てたか」
「ちょうどいいわ。カードル伯呼んでくれる?」
「ここにいる。どうした? 神官殿」
「婆もおるのじゃがのぅ……」
どうやら、PT内のステータス表示で状態変化を見てやってきたようだ。まめな連中である。ようやく帰ってきた主が地狼とだけ引きこもりなことに思うところがあるのか、単純に寂しいのか、幼女もまた不死伯爵に抱き上げられていた。
「ユーナちゃん寝ちゃったから、お部屋に運んであげてくれない? もう夜だから大丈夫よね?」
「主殿くらいの軽さであれば、別段昼間でも運べるが」
苦笑を洩らし、不死伯爵は不死鳥幼生に断りを入れて下ろす。そして地狼の傍まで歩み寄り、毛布ごと自身の主を抱き上げた。
「夕食の準備が整ったのだが、主殿は明日までお預けのようだな」
「やだ、手伝ってないし……」
「そういやあ、マールテイトはルーキスとオルトゥスに会いたがってたな」
「おじさまのところに急ぎましょう」
「ええ、急ぎましょう。お手伝いして、ご褒美に抱っこしていただくのです」
「はい、抱っこしていただくのです」
扉のところに立っていた双子姫が、まず室外へ飛び出していく。
剣士は、ユーナを抱いた不死伯爵のために扉を開けてやった。当然、アデライールとアルタクスがそれに続こうとした。どうしても小走りになる幼女と、悠々と歩く地狼の姿が対照的だ。何も言わなくても、アデライールもアルタクスの背には乗らない。それだけ身体に影響が残っていると気づいているのだろう。
「では、失礼する」
「ユーナとカードル伯の分は残しとくよ。ばあさんとアルタクスは降りてこいって。ちゃんと食わないと、ユーナにチクるぞ」
「ぐぬぅ」
「グルゥ」
心底悔しそうなふたりの声に、アシュアは吹き出した。シリウスは扉を背に、エスタトゥーアとアシュアのほうへ視線を向ける。
「そっちも、終わったなら来いよ」
「うん、ありがと」
そして、扉は静かに閉まる。振り向き、エスタトゥーアにも夕食へと促そうとしたのだが、彼女は、そんなアシュアの前に白い筐体を差し出した。
『白の媒介』だ。
「やはり、ユーザー製のアイテムですから……限界がよくわかりませんね」
「そうね。ただ、やっぱりレベルも影響してると思うの」
新たなるそれを受け取りながら、青の神官は呟く。
かつて、自身の法杖と引き換えにユーナを癒した時。
マイウスの闇市に深く関わるNPCを目覚めさせた時。
ユヌヤでソルシエールの容姿を癒した時。
ホルドルディール戦、王家の霊廟を出たあとのシリウスの腕の癒し……。
様々な状況で彼女は触媒を扱ってきた。しかし、今回ほど難易度が高かったものはない。
「まあ、今白の媒介に使っている宝珠は、すべて既存のボスのものですからね。王都に辿りついた以上、この先のボス戦で得られるものでなければ、このレベル帯は完治しにくいというのもあるでしょう」
「そうよね。今のところ、あんまり外にも出られてないし」
クラン内で呑気にPTを組んでレベル上げ、という状況ではないことが続きすぎた。
エスタトゥーアの指摘を受け、アシュアの顔が苦々しいものへと変わる。
「あー、王家の霊廟のこと、まだユーナちゃんに話してないのよねぇ……」
「スキルなしで行くのは危険すぎますよ」
「そーだけど……じゃあ、おばあちゃんだけ連れていくの? それこそ無理じゃない」
「慌てなくても、皆の傷が癒えてからで――」
エスタトゥーアはことばを途切れさせた。
閉まっていると思っていた扉は、完全に閉ざされておらず……そこから、朱金の髪が覗いていたのだ。金色のまなざしが細くなり、幼い唇が大人びた笑みを象る。
「……話はあとにしようぞ。マールテイトが今にも吠えそうじゃ。料理が冷める、と」
ついつい油断してしまったと、エスタトゥーアとアシュアは互いに視線を交わし、肩を竦め合うのだった。




