情報収集
世間一般にはゴールデンウィークと呼ばれる時期の夜だが、幻界においてはバージョンアップの興奮が冷めやらぬまま過ぎていく。
そして、いつもながらギルド案内所は盛況である。前回訪れた時と大きく違う点は、ギルド案内所にも関わらず、遂に大神殿の神官や聖騎士までが派遣されていることだろう。ギルドと同列に扱うわけにもいかず、総合受付の傍に窓口が作られるという特別待遇のようだ。そのせいで総合受付のスペースが削られ、異様に大神殿の窓口が目立っている様子が皮肉だった。確かに、嫌でもその存在を意識せずにはいられない立ち位置である。
「……まあ、そうよね。いろいろと足りないわよね」
鶏が先か卵が先か。本来神に仕える立場である神官職のNPCは、当然、外に出て戦うことなど想定されていない。一方で聖騎士は違う。力なき者の要請に応じ、各地に派遣されて神の尖兵として限られた命しか持たない幻界の住人を守るのだ。しかし、約二十年前の熱病の発生時にどれだけの被害者が神官職や聖騎士たちに及んだのかはわからないが、アンファング討伐クエスト、王家の霊廟の一件、東門襲撃を思えば、異様にその人数だけでなく能力の不足が目につく。
青の神官自身にも責任の一端はあるのかもしれないが、旅行者の中にも神官職を志す者が減少した時期があった。今はその限りではないようだ。現に、大神殿の窓口には多くの旅行者が並んでおり……NPCの神官や聖騎士は対応に追われ、青の神官たる彼女のことなど気にも留めようがなくなっている。好都合である。
「あの中に並ぶのかぁ……」
些かうんざりした様子を見せる舞姫に、アシュアは首を傾げた。
「何で? ルーファンとモラードは神官職でも聖騎士でもなかったわよね?」
「アルタクスは怪我してるんでしょ。動けないくらい大怪我だったんなら、回復の手を依頼してもおかしくない? HPの減少は回復薬や丸薬でも何とかなるけど、骨折とか切断とか致命傷になるとアウトだよ」
なるほど。それなら、施療院のほうまで足を伸ばすのもありかもしれない。
アシュアが納得しているのを見て手をひらひらっと舞わせ、「じゃあ行ってくる」とメーアは列の最後尾についた。アシュアが行けない以上、当然の帰結である。
ならばと、アシュアはまず手当たり次第に情報収集することにした。出入口の扉近くに立つ案内係のNPCの手が空いたのを見計らい、声を掛ける。
「――地狼ですか? だいぶ前に見掛けたような気もするんですが……テイマーズギルドのほうをお尋ねになられては?」
人当たりの良さげな案内係の男性NPCは、一応記憶を探るような様子を見せてから、案内所内のテイマーズギルド受付の場所を教えてくれた。
「ええ、あとで伺ってみます。それと……ここに、モラードという名の従魔使いが立ち寄ったりしませんでしたか? 紫の髪の、私より年若い少年なんですけど」
「うーん、最近はご覧の通り大盛況でして……従魔使いのことでしたら、やはりテイマーズギルドにお尋ねになられたほうがよろしいかと……」
話口調といい、困ったような表情を浮かべているところといい、自分たち旅行者のような人格をそこに感じる。アシュアは最近、こういったNPCの挙動をよく見るようにしていた。ユーナの従魔となった不死伯爵と関わってからの癖と言ってもいい。
幻界の住人。プレイヤーではない。
それまでのアシュアのNPCへの認識は、その程度のものだった。必要に応じて情報を提供してくれる。訊き方さえ間違えなければ正しい答えに辿りつける。ある種の行動パターンが画一的にあり、敵か味方かに分かれる可能性が出てくれば、たいてい敵に回る……。RPGにおけるNPCとはそういうものである。それはいくら人間味を持つ幻界の住人であっても変わらない。プレイヤーと同じなのは見た目だけだと。それでも彼女は、この世界の住人を蔑ろにはしなかった。たったひとつの命しか持たない幻界の住人は、どれひとつとしてかけがえのない、唯一のものである。味方となった場合には、プレイヤーと等しくその命を守ってきたつもりだ。幻界の神へと祈る以上、その祈りの行方に不公平があるのはおかしいと……彼女自身の痛ましいほどの清廉潔白な面が表れたというのが、最も適切かもしれない。
だが、NPCである不死伯爵がアシュアに見せたものは、まったく違った。厳密に言えば、従魔となった彼は、主の仲間である自分たちに対する関わり方を変えた。よって、アシュアはそれに気づくことができたのである。
第一にユーナを思い、そのために行動する彼の姿は……プログラムされた通り一辺倒なものでは断じてなかった。それは、地狼となったアルタクスも同じ行動を取っていたのだが、残念ながらアシュアたちは彼のことばを聞くことができない。故に、条件反射的な、服従プログラム的なものとして受け取っていた部分が多大にあった。
不死伯爵は、主であるユーナとの距離を計っていた。一方で、気の毒なほど肝心の主たる本人はそれに気づく様子がなく、本人はあくまで不死伯爵の意向を尊重するという姿勢を貫いていた。殆ど表情を変えることのなかった彼が、ユーナの考えを耳にするたびに困惑を見せるにも関わらず、それを遠慮と受け止めてしまうほどの残念さである。それでも肩を震わせて笑うようになり、王家の霊廟では敵となった元主の不死王ソレアードと迷いながらも戦い、骸骨執事やエスタトゥーアと酒を酌み交わす仲となり……自分のために、旧知の仲であるファーラス男爵と相まみえ、ユーナたちを王城へ導いたのである。
その心の在り方は、プレイヤーと何が違うのか。
生まれが違う。それ以外の違いをアシュアは感じなかった。
たぶん、そこからNPCに対する認識が変わった。
聖騎士マリスを憎みきれなかったのも、きっとそのせいだ。
案内係のNPCからは欲しい答えが得られない結果となったが、アシュアは丁寧に礼を言い、彼から離れようとした。
すると、思い出したかのように、案内係のNPCはアシュアを呼び止めた。
「あ、そうだ! 総合受付のほうに一度尋ねてみられるのもいいかもしれません! あちらでしたら様々な情報が共有されていますし、地狼やその従魔使いについて、依頼という形で情報を集めたり、探してもらうことも可能ですよ。依頼料がかかってしまいますが……」
背後から掛けられた声に振り向くと、徐々にそれは弱く小さくなっていった。おそらく、案内係としての職分を思い出したのだろう。本来は総合受付に向かう前に、案内所内の目的地が判明したのであれば列に並ばさず、そちらへ案内するために配置されているNPCである。だからこそ、アシュアは笑顔で頷いた。確かに、無駄な行動にはならない。多少金銭がかかろうとも、今もっとも欲しいものは情報だった。
提案に乗り、アシュアは総合受付に並んだ。ルーファンについては旅行者であるため、何を尋ねたところでNPCは絶対に答えない。だが、地狼やモラードはNPCである。NPCに関しては何故か、個人情報の保護という観点で彼らNPCは動かない。不思議なことだが、そこを攻めるしかないとアシュアも悟っていた。
総合受付のあとは、テイマーズギルドの窓口にも行ってみよう。ルーファンは拳で戦っていたようだが、体術に絡むギルドだろうか。彼女に関しては訊くだけ無駄だが、そのあたりのNPCに地狼の目撃情報を尋ねるのはありかもしれない……。
ぼんやりと次の手を考えながら列が進むのを待つ間に、アシュアはフレンドリストを確認していた。今朝、ラスティンにもメールを送っている。いつも通り、四六時中ログインしているだろうラスティンはその時もログイン表示になっていたのだが……未だに返事が来ないことが気になっていた。最も、即レスが送れない状況など、幻界でも現実でもじゅうぶんあり得る。今回ばかりはただ待つしかない。
蛇の道は蛇である。ホルドルディール戦にはいたのだから、ルーファンのあの外見といい、眠る現実のクランマスターである彼ならば見知っている可能性は高かった。
旅行者にとっての個人情報は、あくまで現実なものに限定される。幻界内でのことは、せいぜいキャラクター名を濁す程度にとどまり、その行動の推移などは自身の例でもわかるように晒され放題である。ある程度事情を説明すれば、ラスティンもまた知っている限りのことを教えてくれると思われた。
『今ここで、テイマーズギルド側が嘘をつく利点は見当たりません。むしろモラード程度、人身御供に差し出したほうが都合がいいはずです。――すみません、他を当たりましょう』
不意に、耳元に届いた交易商の声音。
それに不死鳥幼生が苦々しく応えた。ひと騒動が終わったようだ。
『テイマーズギルドが絡んでおらぬというのは吉報じゃよ。もし、あやつらが身動きできぬアルタクスを見れば……従魔の宝珠にしかその目に映らんかったじゃろう』
『――アーシュ、そっちへ合流する』
『了解。こっちは訊く相手多すぎな感じ』
『すぐに向かいます』
ユーナとセルヴァ、そして同行しているはずの不死伯爵の返事はなかった。取り込み中なのだろう。南門では収穫があると信じたい。
まだ列は長い。じわじわ進む列に苛立ちながら、待っているあいだにラスティン以外のクランマスターにも尋ねてみようかしら……そうアシュアが思い始めた時だった。
フレンドチャットの呼び出し音が鳴り響いた。周囲には聞こえないそれにアシュアは身を震わせ、すぐに受話アイコンをタップする。
『よぉ、アシュア』
『はぁい、ラスティン。……期待していいのよね?』
機嫌よくフレンドチャットに応え、アシュアは目を細めた。通話が来たということは、相手もまた集落にいることを示す。そして、メールを打つよりも早く伝えたほうが効率的だと、判断したことになる。
クッと喉を鳴らして笑うラスティンに、アシュアは正解を引き当てていた。
『ああ。ルーファンになら昨日、うちの神官が会ったそうだ』
『――何ですって!?』
『今、一旦そっちのPT外れられるか? ウィルと直接話したほうが早いだろ』
『ええ、ちょっと待ってて』
アシュアはPTチャットへと切り替え、叫ぶ。
『一度PT抜けるわね! ラスティンとこのウィルがルーファンと昨日接触したそうよ。話を聞いたら戻るわ』
言い放ち、即座にPTからの脱退を選ぶ。
次いで、ラスティンからフレンドリスト経由でPT要請が飛んできた。受諾すると、そこにはラスティンとウィル、そして自分の名がステータスリストに並ぶ。
『早!』
『そりゃあ、青の聖女様だからな。ユヌヤでフットワークの軽さは堪能しただろ?』
神官ウィルの驚愕に、ラスティンが笑いながら聖女呼ばわりをする。
アシュアは顔を顰めつつ、列が前に進むのに合わせて足を動かした。まだ先は長い。
『こんにちは、ちょっとお邪魔するわね。ラスティンから聞いたんだけど……ルーファンと会ったって本当?』
『ええ、昨日の夕方くらいかな? うちの結盟の館に来て顔貸してぇって言われたんですけど……』
あいにく、MP回復薬の中毒症状を起こすほど戦いまくった挙句に戻ってきたばかりだったそうだ。そのために結盟の館の居間でくつろいでいたらしい。ネット廃人らしく、意識を喪失するほどではないレッドラインは心得ている眠る現実である。そして、当然使えるメンバーは戻ってきていない。
その状況を理解すると、ルーファンは半泣きになりながら即座に結盟の館を出ていったそうだ。
『……半泣き?』
『女の子の涙ってマジきついですよね……』
心底ツライというウィルの声音に、アシュアは顔を顰めた。いつものテンションの彼女とは、毛色が違いすぎる。先ほどのシャンレンのことばが蘇る。……ここで、彼が嘘をつく理由はない。それはすなわち。
アシュアは地図を開いた。王都のそれにまで切り替える。すると、王都の南側に二つの光点が重なるように映し出されていた。
『今って、結盟の館?』
『ああ。さっき戻ったとこなんだ。だからレス遅れたんだよ。悪かった』
『ううん、それはいいんだけど……なるほどね。ありがとう』
『礼なら身体で――』
『じゃあ急ぐから。またねー』
都合の悪い話は聞かないほうが良い。
散々貸しなら作っているのだ。先日の東門襲撃で殆ど返してもらった気がしないでもないが、そこは気にしたら負けである。
あっさりとアシュアはPT脱退を選び……その腕を、取られた。
「おまえな……一人になるなと、あれほど……っ」
息切れした紅蓮の魔術師の姿に重なるように、警告音と共にウィンドウが開く。アシュアは大きく目を開き……とりあえず、セクハラではないと「いいえ」を掴まれていない側の手で叩いてウィンドウを黙らせた。完全に割り込んでいる仮面の魔術師に対して、それでもなお周囲の旅行者は表向き文句を言わない。それでも割り込みで通報されると厄介だ。すぐに追っ払うべく、アシュアは謝った。
「ごめんごめん。シリウスからPT飛ばしてもらってくれる? もう話終わったから」
「そこにいるから自分で行け。ここは代わる」
「そう? じゃあお願いね」
交代するのであればセーフだろう。
彼の言う通り、見回すだけで列から少し離れたところに黒衣の剣士とド派手な交易商がいるのがわかった。アシュアは素直に後を頼むことにした。順番はあと少しである。要件についてはPTチャットで説明すればいいだろう。
離れようとして、逆にその腕を握る手に力を入れられた。
「――無事でよかった」
引き寄せられた腕と共に吐き出されたことばに、少しアシュアは反省した。そして取られた側の手を握りこみ、紅の術衣の胸にあてて応えた。
「心配性」
「うるさい。早く行け」
逆に突き放された。
苦笑しながら列を離れると、すぐにPT要請と、それを出した本人たちが寄ってくる。承諾するとすぐ、注意が飛んできた。
『姐さん、思い込んだら命懸けっていうのはやめましょう』
『別に命懸けなことは何もしてないわよー』
『ついさっき注意したの、すっかり忘れてただろ』
『忘れてないってば』
『それ、余計に悪いからな』
ぼそりと聞こえた三つ目の苦情に、アシュアは深々と溜息をつく。そして、頭を切り替えた。
『ぺるぺる、一応モラードとアルタクスのこと、受付のほうで聞いてみて。依頼も出せるみたいなんだけど……』
『情報収集で依頼を出すと、玉石混交すぎてたいへんなことにならないか?』
『モラードの名前は出しても問題ありません。アルタクスはなしで、そちらだけお願います』
『わかった。で、ラスティンの話は?』
『ルーファンは、神官を探していたそうよ』
アシュアの端的な説明に、PTチャットが静まり返る。
そして、震える声音が、彼女に尋ねた。
『――ルーファンが、神官をって……治療の依頼ってことですか?』
『そういうこと。ウィルはMPすっからかんで、受け付けられなかったらしいわ』
ユーナの問いかけに、アシュアはことばを続ける。
その事実は何よりも、アルタクスが生きていることの裏付けだった。
 




