伝言
「ユーナ、アルタクスは今、森狼ではないのか?」
「あ、はい。地狼に進化しました」
イグニスの焦りを含んだ問いかけに水霊の指輪から顔を上げ、そういえば伝えそびれていたと素直に答えた。
ユーナの肯定を聞き、アニマリートの表情が輝く。
「え……っ、なら、アルタクスは――森狼王の牙があっても、召喚契約できないじゃない!」
イグニスがニヤリと笑み、グラースもまた口元に笑みを佩き、それぞれが大きく頷く。
ユーナはアニマリートの言を理解するのに、僅かな間を要した。
仮定が、崩れる?
ユーナは迷いながらもことばを選び、何とか尋ねた。
「――地狼は、森狼の系列じゃないんですか?」
「森狼の成長による進化でも、特殊な部類ですね。森狼の系列ではなくなってしまいます。森狼頭であれば系列になりますが、地狼は半精霊化しておりますので、別途、地狼の牙が必要となるのですよ」
グラースは氷の結晶のように美しく微笑んだまま、丁寧に答えてくれた。
ユーナの中に、そのことばが染み込んでいく。
パン、と青の神官が両手を打つ。
「じゃあ、いきなり融合召喚されたりして、襲い掛かってこないってことよね?」
「むしろ、されたほうが楽な気もするけどな」
嬉々として言う彼女に、剣士が頬杖をつきながらツッコミを入れた。アシュアは不満げに首を傾げる。
「何でよ」
「ユーナですら未だに制御しきれないんだぜ? 共鳴があったところで言うこと聞かなくて暴走するに決まってるだろ」
しかし、弓手は遠い目をして呟いた。彼は忘れていない。マイウスの訓練場で、アルタクスがどれだけ楽しげに戦おうとしていたのかを。そして、アルタクスに二度同じ手が通じるとも思えなかった。
「むしろ、暴走してもっと強くなっちゃうんじゃないかなあ……」
「うわ、それヤバイな」
さすがにそこまで、とシリウスも表情を引きつらせる。
ふいに。
ユーナが、その場に頽れた。驚きに絶句するPTMや、腰を浮かせた不死伯爵と不死鳥幼生よりも早く、ぺたりと座り込んだ彼女へと最初にグラースが手を伸ばした。
「ユーナ、だいじょうぶですか?」
「……は、い」
声が震える。
ユーナは両手を組んだ。水霊の指輪を見つめ、指先で撫で、頭を傾け額にあてる。
頭の中も、胸の奥も、たくさんのことがぐるぐるしている。泣きたいのに泣きたくなくて、うれしいのにかなしくて、主であることが誇らしいのに申し訳なくて、せつなくなる。
――ああ、わたしは。
ユーナは目を閉じた。
そして、深く、息を吸い込み、目を開く。
手を下ろし、グラースを見る。氷の美女はいつか見せてくれた雪解けのまなざしを紫水晶へと返している。
最初からずっと、支えられてばかりだ。いったい何ができるのかと自身に問えば、求められている答えなどひとつしかなかった。
声が掠れる。それでも、精一杯の心をこめて、ユーナは己の意志を伝えた。
「わたし……きっと、きっと皆が誇れる主に、なります」
グラースは頷く。ユーナの肩に触れていた手が撫でるように動いた。それはまるで彼女のことばのすべてを肯定してくれるような、そんな仕草だった。
初めてテイマーズギルドを訪れた時、ユーナはまだ「テイム」を覚えただけの従魔使いだった。ただ、自力で「テイム」を身につけ、森狼幼生を既に従えているという、特殊な状況ではあった。
森狼幼生が何を求めているのかもわからないまま、それ以外の戦う術を持たなかったユーナは、困惑しながらも自らが選んだ道を突き進んだ。偶然なのか必然なのか、幸運なのか不運なのか、それを改めて思い悩むことよりも、常に前へと歩み続けたのだ。
アニマリートはユーナの出した答えを噛み締めていた。
――従魔など、使い捨てだ。失ったところで代わりはいくらでもいる。泣いている暇があるなら「テイム」しにいけ。
遠い昔に突き刺さったことばは、今も大きな棘のまま、抜けることはない。
何故、従魔は従魔使いを主と慕うのか、その理由を研究する者は多い。だが、多くの研究結果が鼻先で嗤われて形と残されずに終わる。
曰く、従魔は従魔使いに従うものだ、以上――である。
よって、テイマーズギルド内では、主と従魔の関係への理由づけではなく、効率的に従魔をテイムする方法や、テイムを成功させる方法のほうがより興味を持たれてしまう。幻界の住人である従魔使いは、まず自身の身の安全を優先させ、説得が通用するような相手とことばを交わすこともない。
従魔のいない従魔使いこそ、何の価値もない。
それが歪な形で伝わっていくのが、つらかった。
「ユーナ、あなたへの特別依頼の件だけど……」
びくりと、彼女の肩が震えて、ゆっくりとこちらを向く。
額に押し付けていた水霊の指輪の跡がついていて、少し赤い。
アニマリートは微笑んだ。
「森狼との融合召喚という前提条件が崩れている以上、その報告を怠った件を見過ごすわけにはいかないの。だから、改めて、報告に来なさい。
――地狼であるアルタクスと共に」
地狼となったアルタクスとの融合召喚の現状。
不死伯爵や不死鳥の幼生を、どのようにして従魔にしたのか。
はぐれ従魔となってもなお、ユーナを追い求めるほどに慕うのならば、そこには明らかにスキル以上の絆があるはずだ。
聞きたいことは山ほどある。
できれば、新しい記録水晶が届くよりも早く、と思いながら、しばらくは注文せずにいようとアニマリートは心ひそかに考えていた。
きっと、それは近い未来だから。
「ルーファンもモラードも、王都のテイマーズギルドへは立ち寄らないでしょう。事実を知られれば身の破滅……テイマーズギルドの追放が待っているから。
私が知るあのふたりなら、従魔をないがしろにはしないはず。
王都を探しなさい、ユーナ」
アニマリートのことばを受け、ユーナもまた頷きを返す。
いつまでも床に座り込む主を見かね、不死伯爵が立ち上がる。ソファから飛び降り、不死鳥幼生は負けじと主へ駆け寄った。その手に、マルドギールを握っている。当初見たそれよりも、宝玉の色合いが濃い。
背後から、イグニスが唸る。
「まったく、ひとの封印を勝手に破りおって」
「不可抗力じゃ。乙女の涙で破れる脆い封印ではいたしかたなかろう」
「お……そなた、不死鳥ではないか! 不死鳥の涙に対抗できる封印など、聞いたことがないわ!」
「偽りではないぞ。まだ転生を果たして半月ほど故」
「そなたの年齢など聞いておらぬ! 散々死にたいと喚いておきながら……このくたばりぞこないめが」
口から火でも吐きそうなほどの勢いでまくし立てている、非常に珍しい炎龍の姿に、アニマリートは笑む。少し振り向けば、そっぽを向いているのがわかった。今はユーナの従魔だということを忘れていないかと、少し釘を刺しておくべきかと思ったのだが……見つめていると、不死鳥幼生へと視線が戻った。そして、この上なく低い声音で言う。
「生きる理由を得たならば、せいぜい長生きするがよかろう」
対する不死鳥幼生は、憎々しげな炎龍に対して胸を張って宣言した。
「言われずとも。我が主の子々孫々まで見守る所存じゃよ」
「――え?」
その返答に、ユーナは顔を赤らめる。
いきなり真顔になった『命の神の祝福を受けし者』たちの前で、不死伯爵が肩を震わせて笑うという珍しいものまで見られ、アニマリートはついに吹き出したのだった。




