ギルドマスター・アニマリート
隠し扉から入ったことのあるギルドマスターの執務室は、半年以上の間に模様替えが為されていた。
かつてユーナが食事した丸テーブルの代わりに、応接セットが設えられている。ある程度の人数と打ち合わせる前提だろう。幾つもゆったりめのソファが並んでいた。アニマリートは三人掛けのひとつにユーナを座らせ、そのまま自身もとなりに腰かけた。次いで近い一人掛けにアークエルドらが、向かい側へシリウスたちが座る。イグニスはアニマリートの後ろに立ち、グラースは最後に扉を閉めた。そして、室内の魔力灯をつけ、開け放したままになっていた執務室の窓を閉ざす。
青の神官は道具袋からハンカチを出した。それをユーナに差し出すと、アニマリートが引き受け、彼女の頬を拭う。
「……聞かせてくれる? アルタクスの、最期の戦いぶり」
そのことばに、新たなる涙がこみ上げる。
ユーナの脳裏に、最後に彼と戦った時のことが鮮明に蘇った。球状のホルドルディールがいきなり落下してきたこと、身を挺して地狼が守ってくれたこと、王都へ走れと言われたこと、傷だらけのホルドルディールはルーファンとモラードが追っていたこと、ルーファンが何かをホルドルディールに投げつけると甘ったるい匂いがたちこめ、地狼が完全に動けなくなってしまったこと、そして、自身はホルドルディールのHP吸収により、命を落としたこと……。
アニマリートからハンカチを受け取り、目元を押さえながら、ユーナはぽつぽつと語った。
途中、同席していた者たちが幾度も息を呑む。特に不死鳥幼生は不死伯爵の肩の上で大きく羽ばたき、何かを訴えたそうにしていた。しかし、彼女の話を最後まで聞くのを優先し、口を挟むことはなかった。震えるユーナのことばを遮るわけにはいかないと――話を聞くアニマリートですら、両手を膝の上で硬く握り締め、ただ頷きを返すだけだったのである。
自身の死を口にしたユーナは、小さく息を吐いてことばを切った。そこへ、シリウスが発言の許しを求める。アニマリートは頷いて許可を出した。
「オレたちは『命の神の祝福を受けし者』だ。最悪死んでも大神殿で蘇る。だが、アルタクスは違う。たった一つしかないアルタクスの命を、ユーナが殊の外大切に守ってきたことは……一緒に戦ってきたオレたちが一番よく知ってる。
だからこそ、その戦闘のあった場所まで急いだんだが……あいつはいなかった」
剣士のことばに、アニマリートの深紅の双眸が大きく見開かれた。そして、そのことばを繰り返す。
「――いなかった?」
「ああ」
「この婆が訪いし折も、そうであった。残されていたものは夥しい我が主の血の匂いと、マルドギール、そして抉られた大地のみ……」
シリウスが確かに頷くと同時に、彼女の声が響いた。厳かな口調でありながら、幼子の声音。不死鳥幼生はユーナとアークエルドのソファの隙間に姿を現し、己の主の膝へと擦り寄った。身を預けてくる彼女の頭を、ユーナはそっと撫でる。
その様子に、アニマリートは驚愕から安堵に表情を変えた。不死鳥幼生の人化を見ても驚かないのは、既にイグニスから話を聞いているからだろう。主に甘える幼女の姿に、うれしそうに目を細めている。
「そう。そして、ユーナはこのアンファングへと還り……あなたは主を求めたのね、幼き不死鳥よ」
「うむ。先ほどのはこの婆の癇癪ではなく、マルドギールのせいじゃがの」
「アデライールもですけど、アークエルドもわたしを追って、仲間とここまで来てくれたんです」
その紹介を受け、もうひとりの従魔たる不死伯爵は、無言で立ち上がる。そして、アニマリートに対し、貴族ではなく、騎士としての礼を行う。ローレアニムスの柄を左手に握り、右手は広げて胸の上に置いた。僅かに目を伏せ、次いで開いた時……アニマリートよりもなお濃い、暗き赤の双眸が開く。
顕現した不死伯爵の姿に、挨拶を受けたアニマリートもまた息を呑む。その目が一瞬煌いた。
「……カードル伯、ってエネロの、あの……」
テイマーズギルドの、ギルドマスターならではのスキルだろうか。
不死伯爵を看破し、彼女は掠れた声で呟いた。アークエルドは苦笑を漏らして頷き、そのまなざしを月色に戻す。さすがに擬装中であれば、アニマリートにもわからなかったようだ。そのまま彼はソファに座り直した。
途端、脱力してアニマリートはイグニスへ振り返る。
「何これ」
「さすが我がアニマリート、逸材を見出す審美眼は素晴らしいな」
「先見の明がおありです」
まさかの不死鳥幼生と不死伯爵の登場に、ギルドマスターも驚いたようだ。イグニスとグラースの称賛を受け、アニマリートは憮然とした表情のまま、かぶりを横に振る。その意見が欲しかったわけではなさそうだ。
そのやり取りをなつかしく思いつつも、ユーナは表情を曇らせた。あの時はまだ、森狼がいたのだ。いつも足元に横たわって、時折、尻尾で足に触れてきて。
視線を戻したアニマリートはユーナを見て、穏やかに目を細めた。
「ユーナ、あなたはとても恵まれているってわかる?」
「……はい」
地狼がいて、不死伯爵がいて、不死鳥幼生がいて。
誰もが必死で自分を支えてくれていた。それに気づかず、ただ一緒にいられてしあわせだと呑気に構えていたのは自分で、何一つ彼らに応えられていなかった。
ユーナが意気消沈したまま頷くのを見て、アニマリートは「そうじゃなくてね」と否定した。
「私も、ついさっきまではアルタクスは泉下に旅立ったと思ってた。
でも、いなかったということは……そこに、従魔使いがいたということは、まだ生きている可能性が高いと思う。だって、あなた、従魔の死を感じた?」
アルタクスの、死。
ことばにされると衝撃的だったが……改めて振り返ってみると、何かを感じるようなことは特になかった。それはスキルが封じられ、共鳴が使えないせいだとばかり思っていたのだが。
「わたし、今、デス・ペナルティでスキルが使えなくて……従魔召喚も失敗しちゃったんです」
「そんなもの、何もなくったってわかるの。どれだけ遠く離れても、それだけはしっかりとね。逆もそうよ。私たち従魔使いの死は、どれだけ離れていたとしても、従魔たちにはわかっちゃうの。それが名を与えるっていうことだから」
ずっと、ずっと希望だけが胸にあった。願いを誰もがことばにしてくれた。
でも、どこにも根拠はなくて、不確かさがいつも胸にあって。スキルが使用可能になるまで、絶対にわからないと思っていた。その時に、アルタクスが姿を見せない未来さえ脳裏に過ぎった。
アニマリートのことばは、そんなあやふやさを確信へと変えてくれた。
アルタクスは、生きている。
歓喜が胸を満たす。アデライールもまた、ユーナを見上げて頷いた。彼女も口にしていたのだ。「泉下への道を一人逝かせた」と。
その小さな身体を抱きしめて、ユーナはアデライールの朱金の髪へ頬を寄せた。またひとつ、雫が落ちる。
だが、もう哀しみの涙ではなかっった。
ふいに、イグニスがアニマリートの肩に触れた。その手に自身の手を重ね、アニマリートは薄く笑み、ことばを続けた。
「だからこそ、従魔は主なき従魔として狂化への道を進み始める。あなたのアデライールとアークエルドは、それを自分の意思で抑え込んでまっすぐあなたのところにやってきたんだから、褒めてあげなくちゃね」
「――はい」
姿勢を戻したユーナは、アデライールの頭を撫でて応えた。
そして、一方でグラースが憂い顔のまま溜息を吐く。
「今の話からすると、あの二人が、明らかにアルタクスの行方に絡んでいますね」
「最近見なかったけど、まさか王都にまで移動してるとはね。きっとイウリオスのテイマーズギルドなら……」
そこで、ことばが途切れた。アニマリートの表情が驚きと苛立ちに変わる。
グラースは冷え冷えとしたまなざしのまま、苦々しく言い捨てた。
「そうです、マスター。イウリオスの、テイマーズギルドですよ」
「やられた……っ」
アニマリートは即立ち上がり、そして、隠し扉を操作するための棚の中から小さな瓶をひとつ取り出した。そして、ユーナを呼び寄せる。ほんの少しだけコルクの口を開き、それをユーナに嗅がせた。甘ったるい、鼻につく化粧品のような匂いに、ユーナは「これです」と頷く。
「甘い匂いっていうから、魔蛾の鱗粉って思ってたけど……そうじゃなくて、使われたのは幻魔香ね。よりにもよって、従魔がいる場所で使うだなんて!」
その小瓶を元の場所に戻し、アニマリートは振り返る。いつになく厳しい表情に、ユーナは恐る恐る尋ねた。
「幻魔香って、確か、無理やり……」
「ええ、幻魔香を使った魔物を従魔使いがテイムすれば、高確率で無理やり従魔にしてしまうの」
アニマリートの視線が、ユーナの胸元に落ちる。
そして、悲痛な声音で続けた。
「だからこそ、従魔に対する幻魔香の使用は、全面的に禁止されているのに。
きっと、あの二人もそんなつもりじゃなかったんでしょうけど……」
「最悪だな。森狼王の牙も相手に渡っているとすれば……主なき従魔として再契約してしまっている可能性がある」
ふたりの傍に歩み寄り、イグニスは忌々しげに舌打ちした。
「アルタクスはもう、生きていたとしてもユーナの従魔ではなくなっているかもしれん。――そういうことだ」




