炎の眷属
人ごみを縫うように、セルヴァは進む。相手にはこちらが見えないため、当然おかまいなしに突っ込んでくる中、その動きを読みながらユーナを誘導していた。ふと立ち止まったり、引き寄せられたりと配慮されるごとに、隠蔽の難しさを痛感する。バージョンアップに合わせて新規参入者が増えているようで、アルカロット産ではなく、初期装備のままの旅行者の姿も見られた。完全に野次馬だ。注意を飛ばしはするものの、実力行使をするわけでもない神官たちの様子に、今もなお避難する様子はない。
「シリウス、怒ってたなあ……」
それらを避けながらの呟きは不安の要素が少しもなく、どこかうれしそうに聞こえて、ユーナは美貌の弓手を見上げた。後悔など微塵も感じない、口元に笑みすら佩いているその様子に、返事が妙にいびつになる。
「えっと、セルヴァさんのせいじゃないので……すみません」
巻き込んだのは自分である。シリウスが怒っているとすれば、それは心配しているからだ。決して力を貸してくれる彼に対してではない。
しかし、謝らなくっていいよ、とすぐに彼は否定した。
「それよりも、どうしようかな」
神官たちが居並ぶ手前、旅行者たちの最前列にまで到達した。白い炎を恐れて遠巻きに囲んでいるが、今も柱は消えていない。ユーナたちがいる場所でも、熱さを感じるほどだ。
「使えないなあ。ここからだと、僕の看破でもアデライールは見えない。ユーナには見える?」
問われて、瓦礫の山や白い炎の柱の中、周囲へと目を配る。しかし、朱金の煌きは見えない。やはり、白幻を用いているのだろう。もしくは、まったく無関係なのか。
「もうちょっと前に行ってみようか。距離でも変わるから」
「いえ、これ以上は危ないですから。わたしだけに掛けてもらえませんか?」
ユーナがかぶりを振るのを見て、セルヴァは促した。
しかし、ユーナはセルヴァの胸元に手を置き、体を引き離す形で止めようとした。だが、男性の腕だ。ステータスにデス・ペナルティを負っているユーナでは引き離せなかった。逆に力を入れられて、引き寄せられてしまう。
近づいた碧眼が口元の笑みとは裏腹に、鋭く細くなる。
「怖いこと言うね。『じゃあ、いってらっしゃい』って送り出してまた神殿帰りなんてさせたら、僕も後追いさせられるよ?」
「そんな……」
まさか、という気持ちがその鋭さに負けて気圧される。
すると、淡い金色の頭が、不意に下がった。その額が、一瞬、肩に触れる。
「今度は付き合わせてよ。あの時、見送ったの……ちょっと後悔してるんだ」
オープンチャットでの声音は周囲の騒めきに埋もれそうなほどに低く、苦々しい響きが込められていた。行動とことば、どちらにも驚いて、ユーナは大きく紫の目を見開く。そんな彼女に付け入るように、セルヴァは頭を上げてそのまま歩き出した。神官たちの合間を縫い、転送門のなれの果てへと近づいていく。
熱い。
ストーブの前で手を翳して得られるぬくもりどころか、コンロの火に炙られている状態だ。数歩進んだだけでも、首筋からじわりと汗が噴き出す。徐々にHPと疲労度も減少し始めた。
しかも、白い炎を見つめていると、目がチカチカし始めた。ユーナは瞬きをして、何とか目を凝らす。水分が蒸発しているのか、乾いていくような感覚すらあった。
だが、そこに――見覚えのある煌きを見出す。
「これ以上はキツイかな」
まだ手を伸ばしても触れられるような距離ではない。それでも、余りの熱さに、セルヴァも足を止める。
吐く息も吸い込む空気も熱い。目の表面すらも焼けそうだ。
「セルヴァさん」
その声は、どこか上ずっていた。
呼びかけに目を向けると、ユーナは嬉しそうに……これ以上のことはないと言わんばかりに破顔した。
「――ここまで、ありがとうございました。ちょっと、いってきます!」
意表を突かれ、その時、彼の手の力は僅かながらも弱まっていた。ユーナはくるっと身を翻し、彼の腕からすり抜けていく。その手から離れた瞬間、ユーナの姿が具現化した。
白い炎の中へと駆けていく栗色の髪の少女の姿を、転送門広場にいた者は目に焼きつける。声なき悲鳴すら、そこにはあった。
「隠蔽!」
重ね掛けされた隠蔽スキルが彼女を風景へ融かす。
ユーナはまっすぐに走った。数段駆け上がり、転送門の前へ向かう。そして、瓦礫に覆われた場所を構わず踏みつけていく。見た目に反し、それは瓦礫ではなく、ただの石で組まれた門の土台の感触が、長靴の底を伝う。
それでも、熱さは増すばかりだ。
いつかの焼け落ちる街並みを駆けた時よりも、なお、炎は近かった。
更に、HPと疲労度が削られていく。
ユーナの目に見えているものは、自身の愛用の短槍のみだった。転送門の土台を礎としたかのように突き立ったそれは、白い炎の内側にある。触れれば、熔けてしまうだろう灼熱の中だ。
そのまま、ユーナは自身の求めるものに――自身を求めるものへと手を伸ばした。
彼女が、自分を傷つけるわけがないからだ。
右の指先が、白炎へ呑まれ……途端、その指先から全身へと熱が消えていく。
揺らぐ白炎が、朱金の輝きを持つ幼子をユーナに還す。
「アデライール、マルドギール……お待たせ!」
膝を地につけ、短槍に縋っていた幼女を抱きしめた。
ふぐぅっと腕の中の幼女は声を上げる。そして、朱金の小さな頭をユーナの胸元へともたれさせた。
「――ぅむ。
いや、違う……すまぬ、我が主よ。共にと誓いながら、泉下への道を一人逝かせた……」
弱弱しく頷いたかと思えば、かぶりを横に振る。
小さな身体は熱を帯びていた。それでも、灼けそうなほどではない。ユーナは頬を寄せて、腕に力を込めた。
「何それ、勝手に死んじゃったのはこっちだよ?」
「傍にいたかった……」
「アデラ、ちゃんと来てくれたじゃない」
自身がこの町を旅立って、幻界でも季節が二つも移ろうほどの時間が流れた。それほどまでに王都は遠い。にもかかわらず、転送門すら使えない身の上で、ひたすら空を飛び、会いに来てくれたのだ。
ユーナは小さな従魔の頭を撫でた。
「ありがとう。大変だったよね。マルドギール、重たいのに」
「幼くとも不死鳥じゃぞ」
頬を膨らませ、金のまなざしがユーナを睨め付ける。その瞳が濡れているように見えて、ユーナも目元が熱くなった。指先で、その頬を撫でる。滑らかな感触が心地よかった。
「そうでした。
――アデライールは頼りになる不死鳥だよ。白幻も白炎もすごいし、可愛くて綺麗な、わたしの自慢の従魔なんだからね」
みるみるうちに頬がしぼみ、金のまなざしが泣きそうに歪む。一度硬く引き締められた小さな口元が、間を置いて、尖った。
「こ、この程度のこと、造作もない。それよりも……こやつが、頑固での」
アンファングに辿りつき、アデライールはまず大神殿へと向かった。空で旋回し、ユーナの姿を探すものの見当たらない。家屋の中であれば当然である。その時、目についたものが転送門だった。ユーナが目覚めてすぐに王都へ戻ってしまえば……再会できない。その不安が、アデライールからマルドギールへと伝わった。状況を理解し、瞬時にマルドギールはその精霊力を爆発させた。そして、転送門へと墜落し……深々とその門前へ突き立ってしまったのである。とっさにアデライールは白幻を巡らせ、マルドギールを引き抜こうとしたのだが、マルドギールはその場から離れようとしなかったのだ。
話を聞いたユーナは、むしろどうしてマルドギールとアデライールが一緒にいるのかが気になったのだが、とりあえずアデライールを抱いた腕を、もう一度力を込めて抱きしめてから離した。このままではマルドギールに触れないからだ。
「そっか、マルドギールも帰ってきてくれたんだよね……ありがとう。
おかえり、ふたりとも」
マルドギールの柄を逆手に握る。スキルが封じられているために吸い付くような感触はなく、腕の延長にも思えない。それでもユーナが持ち上げると、深々と転送門の台座に埋まっている短槍の穂先は、力を抜いたかのように呆気なく引き抜かれた。
ユーナの手に、戻る。
白幻の中、赤い宝玉は陽光を受け、喜びを表して煌いていた。
 




