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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第二章 災禍のクロスオーバー
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夕食

 目を開けると、部屋は真っ暗だった。

 帰宅直後はレースカーテン越しにも明るい日差しが室内に届いていて、宿題をする時にも勉強机のライトを点けるだけで十分だったのに。

 幻界ヴェルト・ラーイで過ごした時間はほぼ丸一日にも関わらず、まるで夢でも見たかのような目覚めだった。

 慌ててVRユニットを外し、携帯電話で時間を確認する。異様に明るい画面が応えて曰く、午後六時二分。結名が安堵して携帯電話を戻そうとした時、それは震え出した。画面中央に描き出されたのは、伯母の名前である。その下にあるバーを右にフリックし、電話に出た。


「はい」

『結名ちゃん? 今どこにいるの?』

「家ー」

『あら? 携帯放置してたの? メールしたのよ』

「うん、今気づいてびっくりしちゃった。ごめんね」


 体を起こしてベッドから下りる。部屋の明かりを点け、室内に視線を巡らす。

 六畳の部屋に、二畳のウォークインクロゼット。カーテンは淡いピンクでまとめられていて、家具は木目調のものを選んでいる。彼女が目を止めたのは、勉強机の上だった。従兄に見てもらおうと考えているレポートの資料一式である。


「今から伯母さんち、行っていい?」

『もう暗いし、一人じゃ危ないわよ。皓星に行かせるから、家で待ってなさい』

「まだ六時だから大丈夫だってば。すぐ行くね。じゃあ」


 通話終了の赤い文字を押し、結名は手近なトートバッグを手に取り、大急ぎで荷物をまとめるのだった。レポート、筆記用具、お財布、携帯電話……と、そこで改めて携帯電話の画面をタップする。メールの封筒のアイコンの上の一は叔母からのメールだろう。それよりもよほど目立ったのは、ホーム画面のアプリケーションのひとつ、SSシューティングスターの右上に八の数字だった。SSを更にタップする。ずらずらと並んでいたのは、従兄からの流れ星メッセージだった。帰ったら連絡して、まだ帰ってないの? 今どこ?等々。似たような問いかけが並んでいる。そういえば、昨日のレス、忘れてた。さすがにこのまま放置はマズイと、流れ星を打つ。


 ごめん、今気づいた。

 今からそっちにいくね。


 伯母に向けたものと同じ内容を返し、結名はトートに携帯電話を放り込んで、薄手のベージュのコートを羽織る。伯母の家は一区画向こうのマンションでかなり近いが、春先とは言え、夜は冷えるからだ。念のため、戸締りをしっかり確認してから家を出る。覚悟はしていたものの、既に春の陽気はすっかり日の入りと共に消え失せていて、結名は身震いした。そこへ、耳慣れたバイクの排気音が遠くから響いた。鍵をかけている間にどんどん近づき、結名の自宅の前でアイドリングを始める。

 門扉の向こうに、久しぶりに会う気がする従兄がいた。真っ黒の大きなバイクに乗ったまま、ヘルメットのアイポートを上げる。


「よかった、すれ違わなかったみたいだな」

「皓くんも伯母さんも心配しすぎだよ。歩いて五分もかかんないのに」

「いいからとっとと乗れよ。慌ててたからジャケット羽織ってなくて寒いんだ」


 確かに、薄手のシャツ一枚では冷えるだろう。

 門扉を閉めてから皓星の差し出した予備の赤いフルフェイスのヘルメットを受け取り、素直に結名は被った。予備のはずなのに、皓星の匂いがする。トートバッグをしっかりと肩に掛け直す彼女に、皓星はステップを出してから「いいよ」と声を掛けた。皓星の肩に手を置き、気合いを入れてステップを踏み締め、タンデムシートに飛び乗る。彼の腰のあたりに手を回すと、その背中にヘルメットが当たった。


「あんまりくっつくなよ」

「う、うん……わかってるってば!」


 安全第一な念押しに、結名は唇を尖らせる。寒いから温めてあげようと思ったのにー。

 走り出したバイクは二回ほど角を曲がってすぐに停まり、正直物足りなさを感じるほどだった。正面玄関エントランス前で結名を下ろし、皓星は先に入るよう促す。


「今日はすき焼きだってさ。親父いないのにな」


 弾んだ声と、その内容に、結名も空腹を思い出し、軽い足取りで中へ入る。すぐに自動ドアが開き、コンシェルジュの「いらっしゃいませ」が聞こえた。暖かな空気と見知った顔に表情を綻ばせ、「こんばんは」を返し、結名はエレベーターホールに急ぐ。エレベーターホールの反対側から、もう皓星が姿を見せた。すき焼きの威力ってすごい。

 既に待機していたエレベーターに乗り、ボタンを二つ押す。


「叔母さんたち、出かけてるんだって? 母さん張り合っちゃって、あっちがイタリアンのフルコースならこっちはすき焼き!って誰が食うんだかめちゃくちゃ肉買ってきてた」

「え、皓くん食べるでしょ?」

「結名もだろ」


 にやりとお互い笑い合っているあいだに、最上階に着いた。


「ただいまー」

「こんばんはー」


 皓星が玄関ドアを開いている間に、結名が滑り込む。廊下の奥の扉は少し開けられていて、そこから「おかえりー、今日はすき焼きよー」という伯母の念押しが聞こえた。本人にその気はないだろうが。

 勝手知ったる伯母の家。靴をスリッパに履き替え、コートを玄関脇のクローゼットに掛け、結名も匂いに釣られるように急ぐ。ふたりとも、ちゃんと洗面台で手を洗ってから、リビングに入った。


「わーい、すき焼きすき焼き」


 シチューやカレー系は多めに作って分けることができるが、鍋物系はできないので、比較的二家において出現率が低いメニューである。ダイニングのほうは既にすき焼きが煮立って準備完了しており、伯母が最後に自分のごはんをよそっているところだった。

 菜箸は皓星に任せ、二人の取り皿にたっぷりのお肉を入れてもらう。お肉大事。皓星の眼鏡が蒸気で曇ってしまったので、自分で入れると取り皿と菜箸を奪った伯母の好みは、さすがに味の浸みた野菜やしらたき、焼き豆腐が多かった。

 まずは手を合わせていただきます。

 しばし沈黙と微かな咀嚼音が場を占めた。お肉を一口頬張ったあとの、ごはん一口がたまらない。牛肉万歳とすき焼き賛歌が結名の脳裏を駆け巡っている時、ごっそりお肉が抜けた穴に更にお肉が投入され、砂糖を少しと濃口醤油が回しかけられる。割り下を使わない、伯母の家ならではのすき焼きも、自宅のすき焼きも、美味しいから正義なのだ。〆はうどんである。これ絶対。


「お豆腐とかしらたきは予め牛脂で煮付けておいたから、もう味が浸みてるわよ」

「はーい♪」


 結名は伯母に相槌を打つが、皓星はそれどころではなく、ひたすらお肉を食している。野菜は取らない。ひたすら肉食である。今は声を掛けてはならないと悟った結名は、自分で鍋をつつく。狙うは焼き豆腐と野菜也。あつあつのすき焼きを思いっきり食べ、ごはんをお替りまでして、更に〆のうどんまで口にしてしまった結名は、食後反省していた。


「なんてこと……デザートがケーキだなんて……くっ」


 燦然と輝くフルーツタルトが眩しい。大好きなカフェオレとセットで出してもらい、しあわせすぎた。しあわせだが……それはもう苦痛に変わりつつあった。

 かなり苦しい状態の彼女は、それでもあきらめられない。

 結名は自分の皿を皓星のほうへ、そっと寄せる。


「皓くん、半分こしよ」

「いや、それ半分以上食ってるよな?」


 ちなみに、皓星は生チョコケーキをセレクトしている。しかし、まだ飾られている大きな苺は食べていない。結名はにこーっと心底嬉しくて笑顔を浮かべる。敗北を悟り、皓星は皿をトレードする。更に伯母が結名に自分のオレンジシフォンケーキ生クリーム付きを差し出した。


「私とも半分こしましょ、結名ちゃん♪」

「母さん、一口しか食ってないじゃん……」

「うん、いいよー」

「いや、もうそれあと一口しかないよな!?」


 ガッツリと苺込みで食した生チョコケーキとオレンジシフォンを交換し、結名はオレンジシフォンをつっつく。オレンジの風味がたまらない。チョコの甘ったるさが飛んでいくようである。ふわふわなのであっという間に完食してしまった。

 じーっと結名をガン見していた皓星に気付き、彼女は空になった皿と彼で視線を行き来させる。もうないよ。


「あー、美味しかった! 伯母さん、ごちそうさまでした~っ」


 ちゃんと手を合わせて感謝して、そそくさと空の皿を重ねてキッチンへ運ぶ。その後ろ姿に伯母が声をかけた。


「食洗器に入れるから、シンクに置いといてねー」

「はぁい」


 空になったカップとソーサーのセットを皓星も運んでいく。ティーポットで紅茶を飲んでいた伯母はお替わりをしながらそれを見送った。キッチンでは、結名が早々と食器の汚れを軽く洗い流して、食洗器に放り込んでいた。勝手知ったる伯母の家、働かざるもの食うべからずである。皓星も横から手を出して食器の汚れを流し始め、結名はひたすら放り込む係になった。全部片付け終わって、食洗器の扉を閉める。


「あ、ねえ、国語でレポート出されちゃって、今日持ってきてるんだけど……」

「ん? いいよ。じゃあ部屋行くか」


 公立中ではあまりレポートを課されることがなく、フィールドワークでの意見聴取とか、インターネットを使うか、もしくは図書室での調べ学習をする程度だった。論述の形式に自信がなく、文章としてもわかりやすいかどうかわからない。そもそも論点がずれていたらどうしようというレベルである。既に皇海学園高等部を卒業し、カリキュラムに慣れている従兄は快く頷いてくれた。それに反応して、伯母がソファから声を上げる。


「あんな部屋、勉強するところじゃないでしょうに……もう結名ちゃん泊まってったらどう?」

「うーん、約束あるから帰らなくちゃ」

「ああ、皓星もずっとそればかりなのよねー。ゲームでしょ。まあ、連絡つくからいいけど」


 前は「ごはんよー」って声をかけてもPCの前からなかなか離れなかったが、今となってはメール一本で済むから便利、と微笑む伯母に、結名は首を傾げる。


「同じ家にいるのにメールするの?」

「バーチャルリアリティ、だっけ? あの機械使ってる時に本人起こしちゃったら、そりゃあもう怒ってたいへんだったんだから」


 頭に両手で角を作り、顔をしかめる。思い出したのか、皓星はもっと不愉快そうに眉をひそめた。


「強制ログアウトになるんだから仕方ないだろ」


 うわ、PTとか組んでたら……戦闘中とかもう……。

 想像がつき、それはさすがにつらいかも、と結名の表情も引きつった。あとは寝るだけ状態にしてからでないと、ログインできない。


「ハイハイ。メールしておけば、そのバーチャルなところでわかるんですって。最近のはハイカラよねぇ」


 テーブルに置いた携帯電話に手を伸ばしながら、伯母は「助かるわー」と微笑んだ。

 結名はこそっと問う。


「ねえ、それって幻界ヴェルト・ラーイ?」

「ああ」


 幻界内で使えるメールには外部からのメールを受信できるように、専用のアドレスがあるらしい。公式サイトにサインインすれば確認できるとのことだ。早くチェックして、家族みんなに伝えておかなければと心に決める。トートバッグを手に取り、部屋に向かう皓星を追いかけた。

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