こころの距離
施療院から転送門広場まで移動し、そこでようやく、セルヴァは隠蔽を解除した。ユーナがいつ窓の外を意識してくれるかわからなかったので、宿はまだ取っていない。これから探すことになる。
――弓手ギルドか剣士ギルドなら割安かな、まあ、王都に比べりゃどこだって安いよな……。
「ところで」
「ん?」
位置を確認すべく地図を開いていると、改まって弓手が切り出してきた。
剣士は「近いほうにするか?」と提案するつもりでいた。しかし、セルヴァの話はまったく異なる内容だった。
「マイウスでも気になってたんだけど、シリウスとユーナってさ……ひょっとして」
ことばが、途切れる。
夜半だ。始まりの町らしく、この時間帯にはNPCの姿すらも、屋外では見られない。そして今、転送門広場を照らし出す魔力灯は、二つの影を生み出しているだけだった。彼らの他、人影はない。少し離れた、大神殿前には当直らしき神官がふたり、槍を持って立っているのみだ。
だから、他に会話を訊かれる心配はほぼない。
それでも、迷った。
おそらく、お互いに。
セルヴァとの付き合いは長い。
β時代にも開幕近くからPTを組み、レベル上げに勤しんだ。同じ始まりの町でありながら、まったく違う土地で、多くの出会いと別れを体験してきた同志である。
だからこそ、嘘は吐きたくない。どうせ現実で明日になれば、すべてが解る。
結局、皓星はセルヴァのことばを待つことにした。
「――昔、アンファングに戻ってきたことがあったよね? 惑わす森で、ユーナと出会った時に」
「そうだったなあ」
シリウスは思い出して、苦笑して頷いた。
あの時は、結名のキャラクターがログインしているかもしれないと、それしか考えていなかった。本当に、盲目的な行動だった。キャラクター名もわからない、本人と連絡もつけられない、それでも会えるとどうして考えたのか……まだ開幕して三日でしかなかったのに。
セルヴァは、問いかけを重ねた。
「その時探してた知り合いが、ユーナ?」
「……ああ。あの時はわからなかったけどな」
幻界での出来事なら、素直に話しても問題ない。
シリウスの答えを聞き、なるほど、とセルヴァは納得した。
「そっか。まあ、知り合いならそういうものかな……ってそんなこともないかな……」
途中からまたもや首を傾げている。
その微妙な仕草に、シリウスは尋ねた。
「何が?」
「え、さっきのさ。『ユーナを頼む』って、彼氏か身内じゃないと言わない気がするんだけど?」
少し上ずった声が、どこか揶揄いを交えたように響く。
身内、のことばに、シリウスは口を噤んだ。
それは皓星にとっては結名であっても、シリウスにとってはユーナではない誰かを思い出させることばだ。
互いの目が、遠く失われたものを浮かび上がらせる。
夜でよかった。
近くとも、月明かりよりはやや明るい程度の薄暗さだ。喪失の記憶を胸に押し込み、今、この時触れるべきことではないとシリウスは話を逸らした。
「ユーナは一角獣のメンバーなんだから、おかしくないだろ」
「むしろ、さっきの流れは『カードル伯の、ユーナ』状態だったけどね」
他人の『現実の自分』には触れない。
但し、自分から『自分の現実』を語る分には構わない。
βのころから、暗黙の了解となっているそれに則して、セルヴァは素直に話に乗ってくれた。もともといろいろ達観している人間だ。冷徹にもなれるが、基本的に大人で、こちらの負担にならない形でいつも関わってくれる。
今回もそれに甘えることにして、シリウスは深々と溜息を吐いてみせた。
「ホントによくもまあ、あのカードル伯をあれだけ手懐けられたもんだよなあ。主って割には、ユーナのほうが世話かけてるけどな……」
「うん、まあ、それはね……。
融合召喚もできるって言ってたっけ。見てみたいなあ」
「マジ驚くって。いろいろ凄いからな」
特に胸、とは流石に言わない。
あれはもう別物だと、正直思う。ユーナの要素など、女性であることくらいしか思い浮かばない。
地狼といい、不死伯爵といい、他人の身体を使いこなす腕前は並ではない。本来はユーナ自身が操作しなければならないという話だが、果たしてユーナが主導権を握ったところで、あれだけの戦いができるだろうか。
「うんうん、絶対今度、見せてもらうよ」
「きっと、そのうちばあさんとも融合召喚するんだぜ」
不死鳥幼生は行方知れずだ。
一角獣の酒場から出たあと、南門周辺を手分けして探した。結名からの連絡で戦闘の痕跡は見つけたものの、そこには地狼の姿も、不死鳥幼生の姿もなかった。一角獣の酒場に残っていたエスタトゥーアもまた、彼女は戻っていないという。
主の死を察知し、仲間を、PTを失い、クランの所属も失い……この夜空の下、どこにいるのか。
その可能性のひとつに、アンファングの討伐クエストで戦った、森熊の暴走を思い出した。ひたすら人を憎み、傷つけ、殺しては森に逃げ込んでいた……従魔のなれの果て。
そんな不安は、他ならぬユーナの従魔たる不死伯爵の一言が吹き飛ばした。
『アルタクスも、アデライールも、必ず貴女のもとへ戻る』
生きてさえいれば。
その可能性を封殺した、信じるこころの結晶のようなことばだった。
「そうだね。アデライールもきっと、ユーナのところに戻るよ。もちろん、アルタクスもね」
セルヴァもまた、そんな切なる願いに同意を示した。
そして、はーっと深く、息を吐く。
「寒っ。そろそろ行こうか」
「ああ、剣士ギルドのほうが近いから、そっちで」
「弓手ギルドっていつも街の中心より外れてるんだよなあ。剣士は人口多いから、立地条件いいとこばっかで羨ましいよ」
「罠師ギルドとかが街の中心にあったりしたら、ヤバすぎだろ」
「それはそうだね」
柊子と出逢って、結名の傍に拓海がいて。
明日はまた、新しい出逢いが待っている。
幻界で生まれた絆が、現実へ続いていくのがこれほど楽しみになるとは、思ってもみなかった。
その一方で、今も皓星の胸によぎるのは、結名を傷つけた存在のことだった。
土屋の一件が、結名の心に深い傷を残さなかったのは、周りの助力や結名の性格的なものもあるかもしれないが、皓星は幻界の存在が大きいと考えていた。ハマっているゲームをしていれば、多少の現実逃避など簡単なものだ。土屋もまたそのゲームの中にいたわけだが、PKを試みた挙句、現実で脅迫し暴行を振るい、また幻界に戻っても悪しき形で関わろうとしたプレイヤーを、幻界の運営は許容しなかった。
どちらも、同じ幻界が生み出した縁だ。
どんなふうにでも転ぶのだと、皓星も痛いほど理解している。
他愛のない会話を積み重ねて、ここまで来た。
例え現実で会おうとも、自分にとってこの関係は変わらないだろう。
このまま、ずっと。
無駄に美貌を誇る弓手を横目に、シリウスはその覚悟を小さく笑う。
かつて、βを終えた時の自分は、失くしたものをただひたすら嘆いていた。βテストにしかなかった絆でも、現実の自分をどれだけ慰めたか計り知れない。喪失を知る者は少なく、語れる相手は限られていた。だからこそ今は、変わらぬ自分で在ろうと思える。
ユーナの傍から離れようとしなかった地狼と、離れてもユーナのことしか考えていない不死伯爵と、アシュアの腕の中で小さな体を震わせていた不死鳥幼生。
すべて、この世界でしか得られない絆だ。
始まったばかりの幻界の終焉は、遠い。どう足掻くこともできなかった過去とは違う。だからこそシリウスは、彼らを取り戻すための助力を惜しむつもりはなかった。
空に月が出ている。
この空の下に、同じ主を戴く者たちは息づいている。そう信じてやりたかった。
そういえば、まだ勝負がついてなかったと思い至り。
シリウスは未来の力比べを夢見ながら、友と夜道を急いだのだった。




