何もかも、消えてしまえ
彼女が砕けた瞬間。
自分自身も、きっとまとめて、砕け散った。
甘い匂いがまとわりつく。
頭の中に靄がかかったようで、地霊術も発動できない。
これのせいで、思考がまとまらず、身体から力を奪われているのだということは明白だった。
しかし、腕一本にすらも力が入らないような状況では、ただ目に映る光景を受け止めることしかできなかった。
脳裏に描かれるのは、ただ彼女のことだけ。
砕けた光が風に融けるさまが、目に焼きついて離れない。
「がーん、まじでぇっ!?」
「おい、とにかく倒すぞ!」
焦った男女の声音が聞こえる。
ユーナの命の分だけ回復したホルドルディールは、次いで自身を狙って尾の先を向けた。
彼女の死を見るだなんて、それこそ死んでもいやだったのに。
どうせなら、先におれを殺せよ。
先に泉下へ旅立ったユーナを想う。
あれだけけなしておきながら、自身は結局、主ひとり満足に守れなかった。こんなことになるなら、泣かせるんじゃなかった。アデライールの言う通り、そのまま、彼女がいつかわかってくれることを願いながら日々を過ごせばよかった。
絶望的なまでに焦げた串焼きの味すら懐かしい。料理人に従って厨房に入ってからは、だいぶ調理の腕があがってきていた。テイマーズギルドでユーナが自身を迎えに来てから、いつも彼女が真っ先に自分の食事に気を配ってくれることがうれしかったと、伝えたことはあっただろうか。
『何で、わたしの従魔になってくれたの……?』
命懸けの戦いの真っ只中、今目の前にいるホルドルディールの初代が暴れまわる峡谷で、彼女は不思議というよりも哀しそうにそれを尋ねた。アークエルドの話をしていたはずなのに、恐怖で頭がおかしくなったのかと思った。それくらい突拍子のない話だった。
そんなの、なりたかったからに決まってる。
『二度と……会わないように、どっかに行って』
最初に言われたことばがコレだ。
どれだけ彼女を探したことだろう。
次いで会った時には、よりにもよって自身を捕えようとした狩人の腕を食いちぎろうとしているタイミングで。
よく、従魔にする気になったなあと思うほどだ。
お互いの距離感も、最初はまったくわからなかった。
意欲的に「戦え」と言わない従魔使いなど、他にいるのだろうか。役に立ちたい一心でレベル上げに励み、触れられることに慣れていない魔獣に平気で触れようとしてくる主に感覚を合わせていった。従騎どころか寝具ができるほどの従魔になったことを自負した時、従魔って何だったっけと心底わからなくなった。
思考がまとまらない。
取り留めなく流れていく思い出は、どれもこれも大切で。
ああ、そうか。
最後の最後まで、彼女を想って死ねるのは、いいな。
それはとてもしあわせなことだった。
だが、ホルドルディールの尾は、鞭によって絡みつかれ、白い女の手刀によって切断された。
紫の髪をした少年が、何か小瓶の中身を自身へ振りかける。橙から黄色へ、HPが回復していく。
余計なことを。
白い女が、またホルドルディールへ甘い匂いのするものを投げつける。また一段と甘さが濃くなり、頭の中の靄から、睡魔すらも生み出された。しかし、ホルドルディールの怒りは一段と強くなった気がする。自分に対する影響と、ホルドルディールに対する影響が違いすぎる。
「おい、もうそれやめろ!」
「うぅ、ここまで来たんだしぃっ、そろそろ成功するんじゃないかしらぁ?」
「ピゥイ、ピィ!」
翡翠色の小鳥が、薄緑の髪に埋もれたまま文句を言う。あれも動けないのか。
頭の上に殺意を飼う女もよくわからないが、その仲間のくせに自身を中途半端に癒そうとする少年もよくわからない。
白い女は白い皮手袋に包まれた指先を、ホルドルディールへ向けた。
そして。
「テイムぅぅぅっ!!!!!」
その術句で、自身の思考はすべて、塗り替わった。
紫の目の「命の神の祝福を受けし者」は、当初、森狼を連れていた。自分の髪の色を宝石に溶かしたような色合いが印象的な娘だ。幾度も邪魔をされた相手だが、契約上面倒を見なければならない相手に比べると、ちゃんと「使える」従魔使いだったこともあり、覚えていた。
本当に、とんでもない契約をしてしまったと反省している。
従魔使いを志す者は、まず「手懐け」を身につけなければならない。こればかりはスキル・スクロールで身につくものではなく、ひたすら、相性の良い魔物と出会えるか否かにかかっている。
アンファングのテイマーズギルドへ特別依頼に応じて訪ねた時、割り振られた客がルーファンだった。金払いはすごくよかった。アンファング周辺の魔物すべてと彼女の相性がよくないと判ったあと、遠方へ行くなら交通費宿代食事代は実費で払ってもらうと言えば、快く応じるほどだ。もともと小金貨二枚も前払いさせているにも関わらず、である。
契約内容は、依頼者に「手懐け」させ、一匹、従魔を取得させるところまで含む。通常、余程相性が悪くても三日とかからない内容だ。だが、ルーファンはその所要日数の新記録を日々更新するほど、どのような魔物からも敵認定を受けていた。結果、自分の苦情を受けて、以後の特別依頼には三日と期限が設けられるようになっている。期限を設けていなかったがために、延々とルーファンに付き合い続ける羽目になり、自分の従魔は未だに森へ放したままだ。
彼女に、従魔使いへの適性はないのだろう。その分、体術と術式を掛け合わせる腕前は見事だった。そう伝えても、ルーファンはあきらめが悪かった。卵から孵した魔鶯の幼生すらもテイムできず、挙句、親の仇と命を狙われる始末だ。今のところは成長していないので、命に危険がないとされ、放置している。
王都イウリオスのテイマーズギルドに泣きついたところ、ようやく、今回の特別依頼における幻魔香の使用許可が下りた。幻魔香は、魔物の本性を失わせることで無理やり従魔にする確率を高める薬香である。未だにテイマーズギルドに所属しているわけではないルーファンだが、これ以上の拘束は避けたいモラードの、苦肉の策だった。さすがに半年以上もつきあっているのである。勘弁してほしい。一度テイムを覚えてしまえば、あとはその魔物が逃げ出そうとも、自力で従魔となり得る魔物を探せばよいのだ。
そう、思っていた。
隠蔽を駆使しながら、ホルドルディールを弱らせ、幻魔香を使い、テイムをしようというルーファンの計画は、完全に、予想外だった。隠蔽によって、従魔にしたい魔物を待つというやり方はあれど、まさか、戦いながら隠蔽を駆使する羽目になるとは思わなかったのである。それにより、敵の認識を視力ではなく純粋な力として捉えるしかなくなったホルドルディールは、最初、混乱していた。峡谷の出口を封鎖せよという命令はホルドルディールに対してはもうないらしく、戦場はどんどん移動していく。ムソーン峡谷から王都まで逃げ惑う中、ホルドルディールは全身をタコ殴られ……手近なHP回復手段を求めたのである。
そこに、彼女たちはいた。
「命の神の祝福を受けし者」が尾の攻撃を受ける前まで、殆どホルドルディールのHPは赤になっていた。生まれたばかりのフィールドボスなら、恐れるに足りない。だが、彼女たちの防御は甘く、従魔は地に伏せ、彼の従魔使いは尾の餌食となった。
すべて、幻魔香の所業だ。
重ねて使用されたホルドルディールの纏う幻魔香の影響を、地狼はまともに受けてしまった。この件がテイマーズギルドに知られれば、間違いなくルーファンはテイマーズギルドから追放を受けることになる。他者の従魔に関して幻魔香を使用することは禁忌だからだ。何とかこの事態を収拾し、栗色の髪の従魔使いに弁明せねばならない。
ふたりきりとは言え、全身を隠す必要がなくなったおかげで全力でどつきまわした結果、栗色の髪の従魔使いの命の分、またHPを削ることができた。赤にまで戻っている。
そして、ルーファンの最後の悪あがきが炸裂した。
ホルドルディールには、まったく変化がない。また失敗だと告げようとした時。
地霊術が、発動した。
複数の杭が周囲からただ一点を狙い、大地から生み出された。
全き殺意の下、ホルドルディールは痛みを叫ぶことすら許されず、絶命する。砕け散った光が、先ほど見たものと同じ色合いだったのは皮肉だった。
光の柱が立つのを、モラードは見た。
それは、新たなる従魔使いの身体を包み込み、輝きを放っていた。




