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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第十一章 混迷のクロスオーバー
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デス・ペナルティ


 全身が沈んでいく。

 その感覚に、薄く目が開いた。

 揺らぐ視界に光が射して痛い。それが光だけではなく水だと分かった時、ユーナの鼻や口から、入ってはいけないところにまで水が流れ込んだ。逆に、沈みかかっていた身体は光へ近づく。水面だ。


「げほっごほんっえふぅっ」


 水上へと頭を出すと、足先が硬い水底についた。それほど深くなかったようだ。鼻や喉、胸の中は灼けつくように痛い上に、服は重く、全身が気怠い。ステータスバーの殆どがグレーダウンしている上に橙という奇異な状況と……PTがなく、単身であることに、ユーナは目を瞠った。誰もいない(・・・・・)

 慌ててウィンドウを操作する。しかし、殆どのアイコンがグレーダウンしており、ステータスと道具袋インベントリのウィンドウしか開くことができなかった。コミュニケーションウィンドウが開かないので、フレンドリストも見られない。


「お目覚めですか、命の神の祝福を受けし者よ」


 穏やかな、少女の声。

 視線を上げると、石造りの水辺のほとりに彼女は立っていた。

 ユーナは息を呑んだ。


 いつか見た、あの。


 商人戦士グランド、そのプレイヤーの永久追放を告げた少女……かと思ったのだが、服装が違う。髪の長さも違う。銀糸の髪は肩より少し長い程度で、白く整った顔貌を縁取っていた。

 白の神官服に白い帯を纏った少女は、蒼玉に表情を浮かべることなくユーナを見下ろし、手を差し伸べる。


「こちらへ」


 促されるままに、ユーナは水の中、足を進めた。若干の浮力が加わってはいるものの、体の倦怠感が動きを鈍らせる。何とか水面へと上がる階段にたどりつき、一歩一歩昇る。身体が水から離れるにつれて、その重さを増していく。ようやく水から上がると、ユーナは息切れして座り込んだ。

 その時、気付いた。

 いつもなら視界の下のほうで揺れる首飾りが、ない。

 ランダムドロップ、ということばが浮かぶ。そして、戦いのさなか、マルドギールもまた失くしていた。

 ユーナの手が空虚な胸元を掴む。それは失わせたものを思い出させ、濡れそぼった全身をより凍えさせた。小刻みに震え始めるユーナの身体を、ふわりと生成りの毛布がくるむ。水を吸い取るという効果はあまり見られなかったものの、ユーナをあたためる意図で為された行為だ。

 だが、ユーナは構わなかった。

 その毛布を振り払うように、両手を広げ。


「来たれ、我が同胞アルタクス!」


 声の限りに、叫ぶ。


従魔召喚プロスクリスィ!!!!!」


 石造りの建物に、誓句が反響する。

 しかし、望んだ召喚陣は開かない。沈黙が術式マギア・ラティオの失敗を告げる。そして、システムの要求(デス・ペナルティ)に従い、スキル使用不可に陥っている身体から対価を奪う。

 橙のMPバーが、黒に陥る。

 ユーナの意識は、そこでまた、途切れた。






 光のような、闇のような。

 明るい場所で、ただ瞼を閉じているだけのような空間でメッセージが流れ、それを読み上げるアナウンスが響いていく。


『デス・ペナルティ中のスキル使用により、あなたの意識は完全に失われました。キャラクターが目覚めるまでに現実時間で三分を要します。ログアウト可能です。ログアウトしますか?』


 はい、いいえ。

 その二択を前にして、ユーナは僅かに迷い――手を、伸ばした。





 目を覆うものを認識した瞬間、VRユニット(それ)をむしり取るように外す。結名はVRユニットと入れ替えに、携帯電話を握った。指紋認証でロック画面を解除する。表示されたSSシューティング・スターのアイコンには、複数のメッセージを受信している旨を示す数字がついている。タップすると、ずらずらと流れ星(メッセージ)が流れた。皓星からのものだ。それとは別枠でも、メールが届いていた。シリウスからのメールを目にして、結名はそのまま泣き崩れそうになった。


 ――ログアウトしたのか? 大丈夫か?


 返信を選び、メールを打つ。一文字も間違えまいと必死に動かすが、それでもフリックする指先は震えた。視界が滲む。今すぐに伝えなければならない。泣いている場合ではない。


 ――ごめん、死んじゃった! アルタクスが王都の南門出たところの西側に倒れてるはずだから助けて! デスペナルティで意識喪失してるけど、わたしも解除され次第すぐ、幻界に戻ります。


 現実時間リアルタイムの一分が、幻界時間の何十分にあたるのかを、結名は深く考えたことがなかった。以前、両親に強制ログアウトさせられた時は、すぐに戻ることはできなかったので、殆ど丸一日近くが過ぎていたはずだ。今はそれほど経っていない。自分がログアウトして、現実に戻るまでにどれだけかかっていても数分のはずである。


 自分が死んだ、あの時にはもう戻れない。


 送信をタップし、メールが相手に届いたのをBCCで確認すると、結名はシリウスからの返信を待たずに再び携帯電話を置き、VRユニットを着けてベッドに横たわった。

 頬を伝い、耳元や首筋が濡れても、それを拭うことよりも先に、心は幻界に向く。


 完全に動けない時間は三分だ。今からログインすれば、身体ユーナに意識が戻る。そうすれば……。


「Start to connect!」 


 幻界ヴェルト・ラーイを起動させる。

 慣れた光の奔流が、今はひたすら眩しかった。




『前回ログアウト時、デス・ペナルティ中のスキル使用により、あなたは完全に意識を喪失しました。

 なお、ペナルティ時間は既に経過しておりますので、すぐにログイン可能です。

 ログインを開始します……』


 ペナルティが影響しているせいだろうか。強制ログアウト時と同じようにアナウンスが流れた。

 早く、と気が急く間に、光に飲まれる。


 意識が浮き上がる、感覚。


 次いで自分の身体(アバター)を認識すると同時に、目を開けるのもつらいほどの倦怠感に襲われた。命脈の泉で目覚めた時は、まだ気が張っていたから感じなかったのだろうか。それとは別に、スキル使用不可にもかかわらず、スキルを使用してMPがゼロになったせいなのか、一度ログアウトして負担のない現実リアルの身体に戻ったせいなのかはわからない。とにかく今は、身体中が筋肉痛になった時よりもなお酷い状況だった。マールトに到着した時の、発熱に似ている。呼吸すらもつらく、大きく胸が上下に揺れた。

 目を閉じたままでも、視界に映るステータスは見ることができた。今もなお、多くのアイコンは使用不可になっている。スキルアイコンもまた使用不可だった。気付いていたのに、その意味を理解していなかった自分が情けない。だが、ペナルティは受けてしまったものの、現実リアルで連絡することはできた。きっとシリウスはすぐに動いてくれる。不死鳥幼生(アデライール)も、地狼アルタクスのために飛んで駆けつけてくれるだろう。一角獣の酒場(バール・アインホルン)には、他にも歴戦の勇士たちと双子姫までいたのだ。脳裏に浮かぶ人々は、自分よりもよほど信頼に足る者たちだった。

 動きたくても動けない。気ばかり急く中、ユーナはそう考えることで少し自分を落ち着けようとした。

 HPもMPも疲労度スタミナゲージも空腹度も橙で、特にMPは殆ど赤だった。それ以外のバーの殆どが今もグレーダウンしたままだ。状態異常には「デス・ペナルティ」とあり、百四十二時間三十五分二十一秒からカウントダウンが進んでいた。おそらく、幻界時間だろう。現実時間リアルタイムであってたまるか、とユーナは思った。

 うっすらと目を開く。光と共に、石造りの天井が見えた。いつのまにか乾いていた服と身体には柔らかな毛布がかけられていたが、背中の下は寝台に薄く何かが敷かれている程度のようで寝心地はよくなかった。とても、寒い。その肌触りの悪さもあり、意識がぬくもりを求め……否応なしに彼を思い出させ、目頭が熱くなった。


「お目覚めですか、命の神の祝福を受けし者よ」


 繰り返されたことばは、同じ少女から向けられたものだった。

 声のほうへと視線を向けようとすると、そのまま眦から流れ落ちていく。拭うこともできずに、ユーナはまた目を閉じた。


「泉下より戻ったばかりの身体です。既にお分かりかと思いますが、スキルは一切使用できません。また、身体の負担になる行動の数々に制約が加わっております。それはすべて時間経過と共に、回復してまいります。しばらくは安静になさいますよう。この部屋はあなたが元通りに動けるようになるまで、ご自由にお使い下さい。もちろん、お休みになられても結構です。お目覚めの時には、お食事も用意いたしましょう。

 ……あなたに、命の神の祝福を」


 地図マップすら開かないので、自分で確認ができない。

 衣擦れの音に、彼女が離れていくのを感じ、ユーナは慌てて声を掛けた。


「あの……ここ、は」


 自分のものであるはずのそれは、かなり掠れている上に弱弱しく、小さく聞こえた。

 だが、彼女には届いたようで、すぐに答えは返される。


「ここはアンファングの大神殿です。あなたは命脈の泉で目覚め、施療院に移されました。そして、この部屋にはあなたと私以外、何人なんびとも立ち入ることはできません。あなたを害する者はおりません。ご安心を」


 始まりの町(アンファング)の大神殿。

 スタート地点に引き戻された事実に、ユーナは深く、息を吐いた。

 今度こそ扉を出ていく少女をそのまま見送り、ユーナは白っぽい天井へ視線を向け……力なくまた目を閉じる。

 このデス・ペナルティは、明らかにログアウト推奨時間だ。動くのも難しい身体、数々の制約、連絡の取れない状況ともなれば、現実リアルに不貞寝するしかない。

 そう思いながらも、ユーナは離れられない。


 共鳴スキルも封じられ、今は何の声も聞こえない。

 それでも。

 幻界(この世界)にいなければ、決して彼には届かないのだから。


 最後に見たのは、光の射さない漆黒だった。


 命じたら、従える。

 そう言ったよね?


「――アルタクス、生きてて……っ」


 王都イウリオスは、あまりにも遠かった。

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