だから私は
シャンレンはすぅっと息を吸い込んで、短く吐いた。
大丈夫。
戦斧を構える手は、もう震えていない。
「手出し無用です」
PTチャットで宣言し、彼はにっこりと営業スマイルを浮かべて、重戦士にオープンチャットでこう尋ねた。
「戦います?」
その時、重戦士は動いた。
最も重量のある矛槍を剣士に向かって投げつける。面白くもなさそうにシリウスは身を躱して軽く避けたが、そこへ腰に佩いた剣を引き抜いた重戦士が迫った。
シャンレンは動かない。
それを見て取ったシリウスは重戦士の賭けに乗ってやることにした。
己の剣で重戦士の剣撃を受け止めるように、構えたのだ。
重戦士は雄叫びを上げながら、シリウスに迫る――ふりをして身を翻し、シリウスの横を抜け、異様にどすどすと足音を響かせつつ、セルヴァと仮面の魔術師の間を駆け抜けて扉から出ていく。
「いいのか?」
後ろ姿が闇に消えていくのを見ながら、シリウスは剣を肩に掛けながら問う。
シャンレンは斧を下ろして、大きく頷いた。そして、半分だけ、理由を述べる。
「ええ、ありがとうございます。ああいうのは、ひとりくらい生きて帰したほうが、仲間割れがよりひどくなりますからね。全員を一致団結させて復讐に駆り立てるよりも、内輪揉めをしばらくしていてもらったほうが、あとが楽です」
「そ、そうなんですか?」
「はい」
全滅し損ねたPTの末路が、たとえそれまでの関係が良好であってもどうなるのかを身を以てシャンレンは知っていた。彼がユーナに対して苦笑して返す様に、アシュアは溜息をつく。彼女は、シャンレンの語らない理由の半分に、ちゃんと気づいていた。つまらない挑発をして彼に意識を向けさせたことの真意。シャンレンは黙って斧を振るうこともできたのだ。だが、なりふり構わず、冷静な重戦士が戦いを挑んでいたら――最も危険なのは一人でいたユーナであることを。
「ほんっと、レンくんって腹黒……」
「あはは、姐さんには負けますから」
「そもそも、あいつ生きて帰れるのか……?」
レベルがいくつかは知らないが、シリウスたちよりは明らかに下だろう。自分であっても単独でこの別荘を最奥から出ていくのは、正直厳しいとシリウスは指摘した。シャンレンはそれにも答えた。
「即時発動する類のHP回復薬を大量に持っているとか、緊急時用の転移石とか転送石を購入していたなら、エネロまで辿り着ける可能性はありますね。まあ、どちらにせよタイムラグが生じた時点で、死に戻りの連中は疑心暗鬼になっていますから」
転移石、の下りで、シリウスは瞬きをした。
「それで思い出した。シャンレン、ここまでの転送石と転移石はお前持ちな」
「三人分ですか!?」
現在、マイウスのクエストボスの戦利品でしか存在しないもののひとつが転移石である。ダンジョン等屋内に入った後、既に一度歩いた場所なら、一度限りだか同じダンジョン内に転移することができる。そして、同じく、マイウスの洞くつのボスの戦利品が転送石である。一度行ったことのある場所なら、これも一度限りだが転移することができる。但し屋外限定で、村や町中へはできない。どちらも一人につき一つ必要である。カードルの印章ほど希少ではないが、まだそれほど数が出回っていないため、価値は軽く大銀貨を越えるのだ。
「定時で出たしな」
「僕はこの前の残業分を振り替えにしてもらったよ」
「そんなことができるのか……!」
ぼそぼそと魔術師と弓手が後ろのほうでリアルトークを繰り広げる。
いや、それ頼んでないからね?とひきつるシャンレンだった。
既にアシュアはこそこそとカードルの印章や、例のPK未遂PTの道具袋や装備を拾い集めている。まず自分の杖を拾いましょう。ユーナさん、手伝うってあなたそこ張り切るところじゃないよ……。
「PKってホントにいるんですね」
誰かに問うでもなくぽつりと呟いたユーナのことばに、シャンレンは胸が痛くなるのを感じた。それがこの世界のシステムだから仕方がないと、頭ではもうわかっている。
アシュアは微笑みを浮かべて彼女に応えた。恐らく、口にしたユーナは、PKを表面的にしかまだわかっていない。今はそれでもいいと思いながら。
「現実でも、幻界でも、人を傷つけてはいけない、けどできてしまうのは一緒ね。ただ、幻界では、運営が私たちを見てる。いちいち警告してくれたり、許可してくれたりするんだから、ホント、親切な神様よね」
道具袋を振って見せながら、アシュアは続けた。
「殺人ができるんだからやってみる、とか言うのがいて、実際にやらかしそうなら、天罰すら待たずにやっつけちゃいましょう? 人にされて嫌なことはしてはいけませんって知ってるくせに、されてみないとわかんないんだから。黙って殺されるのなんて私はイヤ。私は守るためにいるの。癒すために祈ってる。それを無にするヤツはただの敵よ」
静かな声で語る彼女の宣言は、汚れた術衣や傷の入った額とは裏腹に、凛として勇ましかった。一方でその口調は、小さな子どもに言い聞かせる母親のようにも見えた。
「よかったー、これだけあったら転移石代くらいにはなりそうよ?」
ちゃっかりしているところも含めて。
拾い上げた道具袋を覗き込みながら、アシュアは嬉しそうに声を上げ、薄暗い室内に気持ち明るい空気が流れた。
ユーナに手渡されたカードルの印章は指輪の形をしていた。大きめの男性用で、彼に似合わない金色をしている。ただ一度しか使えない白紙の委任状。三つもあるなら、人殺しになってもかまわないと言わせるほどの、その価値。
助かったのは、運がよかっただけだ。
「がんばりましたね。その短剣、よく似合っていますよ」
見た目と同じ、優しい声がユーナを包む。褒められて、思わず笑ってしまう。たくさん話したいことがあった。どれから話せばいいだろうと悩むほどに。
だからまず、彼女は礼を口にした。この世界にきて、恐らくいちばん多く口にしていることばだ。
「ありがとうございます」
でも、まだ言い足りない。
ことばでは足りないものを、どうすれば補えるのだろうと思った時。
ユーナは、モニターごしで遊んでいたころとは違う、今ここに立って人と向き合っている自分を意識する。どうすればいいのかなんて、まだわからない。出会ったばかりで、まだ、始まったばかりで。
考え込んでいると、アシュアがその肩を叩いた。
「なかなか、楽しめたわよね?」
ニッと笑うその顔に、目を瞠り、ああ、その通りだと大きく頷く。
楽しめばいいのだ。
誰かと出会って、誰かと戦って、誰かを想って泣いて、誰かと笑い合える。
このひとたちとなら、きっと。ずっと。
うれしくなって、ユーナは思わずアシュアに抱きついたのだった。




