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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第十一章 混迷のクロスオーバー
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無に帰す


 ユーナは草地に座り込んだまま、両手で顔を覆った。

 漏れ聞こえる嗚咽。微かに体を震わせて泣く主の姿に、地狼の心もまた痛む。そして、己への怒りが胸に満ちていく。

 どうして、こうなる前に、何もしなかったのかと悔やむ。


 ふたりでいた時間は長かった。

 自我というものが芽生えてから今まで、自身のすべてが彼女と共に在った。


 生き残り、主の最後まで尽くすことができる従魔シムレースはごく少数だ。そのことをアルタクスはイグニスから聞いて知っていた。雑魚ともいうべき森狼の幼生である。たとえ成長できたとしても、魔獣系の宿命ともいうべき短い命の中で、どれほど主に尽くせるのか。それが従魔シムレースとしての存在意義であり、至上命題である、と。


 振り返れば、己の従魔シムレースとしての在り方は、問題だらけだったと思う。

 最初からずっと、彼女は優しいままだった。従魔シムレースである己の気持ちを慮り、ひとりで戦わせるのではなく、傍にいることを望んだ。

 従魔使い(テイマー)としての最低限のスキルしか持たない主でありながら、前に出ようとするユーナを止めなかった。肩を並べて戦えることが誇らしく、本来の森狼としての動きとはまったく違う彼女との戦い方に、自分を慣らしていった。成長することでこの背に乗せることができて、どれだけ自分が喜んだのか、彼女はきっと気付いていない。

 「命の神の祝福を受けし者」であるユーナは、自分の命よりも従魔の命を優先する。失うことを恐れて、従魔使い(テイマー)であるにも関わらず、従魔シムレースを置いて戦いに出ることすら躊躇わない。それがどれほど「おまえは要らない」と自身に思い知らせることだとは、欠片も考えていないようだった。従魔召喚シムレース・プロスクリスィがあったところで、従魔シムレースの危機でもなければ彼女は自分を喚ばない。だからこそ、離れるわけにはいかなかった。

 融合召喚ウィンクルムで自分勝手に動いた時にも、ユーナは何一つ自分を責めたりしなかった。目覚めない彼女の傍で、どれだけ待っただろう。二度目の融合召喚ウィンクルムでも同じで、自分には戦うことしかできないのだと思い知らされた。

 共鳴のおかげで、自分の気持ちがことばとして伝わった時、ようやく彼女の望む融合召喚ウィンクルムを果たせた。失敗の積み重ねが結果を生んだ。すべてを預けてくれるユーナの身体と心を守りたいと思った。いつか、彼女に自分の力の全てを任せる日が来ることを願った。

 戦い、勝利するための道筋を脳裏に描くユーナと、その道を共に歩めることがしあわせだった――。



 地狼は、それを探知して身じろぎした。

 視線が動く。危険だと、警戒スキルが告げる方向。

 やや離れた位置から、凄まじい速度でこちらへ近づく敵がいる。

 単体だ。今まで出会った数々の敵の中でも、強い力を持つ部類に入る。


 ――このままでは不利だ。

 そもそも、今は、戦えない。

 戻らないと。


【ユーナ】


 だが、呼んでも彼女はこちらを見なかった。

 未だに身を震わせて、蹲ったままだ。


 間に合わなくなるのを避けるために、彼女を背に放るべく首筋を咥えようとした。だが、近づく自分に気づき、ユーナは顔を上げた。その顔はぼろぼろで、紫が涙に曇って、栗色の髪があちこちにへばりついていた。差し出される両手を、抗えなかった。


 首筋に回る両腕が、強く地狼を抱きしめた。

 擦り寄る身体が暖を求めるように動いて――引き離せなかった。


「ごめん……ごめんね、アルタクス……っ」


 謝る声音のか細さに、地狼は「違う」と叫ぶべきだった。

 だが、縋る主に向けられたのは、ただひとつの感情しかなかった。


【ユーナ……っ】


 かけがえのない相手だと、泣かせたかったわけじゃないんだと、泣き止むように宥めてやりたかった。

 その気持ちが伝わったかのように、彼女の腕の力が強まる。


 地狼は、一歩前へ出た。

 力任せのそれは、地狼を抱きしめているユーナの背を草地へと倒す。

 頬や肩に触れる地狼の頭に、紫水晶の双眸が瞬いた。

 歪む視界に、玉が映る。見覚えのある、不思議な光沢を持つ、あの。


 緑の霊術陣がふたりを囲うように敷かれ、発動する。

 大地から突如として防壁が築かれた。だが、それが半球を描くより早く。


「アルタクス!?」


 地狼の頭が、ユーナの頭部をも庇うように動く。

 大地が揺らぐ。閉ざしきれなかった地壁が砕かれる音と同時に、小さなホルドルディール(・・・・・・・・)が地狼の背を襲う。重なった体躯が、その四肢が、主を守るべくその突撃に耐えた。

 意味を為さない防壁が消え、新たなる地霊術が大地から杭を生やし、横合いからそれを地狼の背から押しのける。

 身体に受けた衝撃はほんの一瞬だったはずだ。しかし、それが纏う匂いに、地狼の意識が飛びかける。奇しくも、体に走る痛みが、彼を呼び止めた。何とか前脚を動かし、ユーナの上から身体をどける。どさりと、地狼の体躯が地に伏せた。


【ユーナ……王都へ、走れ】


 HPが削られ、既に橙に近い黄色にステータスバーは染まっている。

 地狼は短く言い放つと、もう一度緑の霊術陣を広げた。

 背骨をやられたようで、もう動けない。それなら、地霊術のほうが戦える。


 だが、横たわったままのユーナの視線は、弾かれて跳んだそれに向けられていた。ホルドルディールは、球状から獣形態へと変貌している。かつてまみえたホルドルディールより、どれだけ小さい個体であってもやはりホルドルディールであることに変わりはない。フィールドボスとして再誕したそれは今、怒り狂っているように見えた。既に身体中に傷を帯び、かなりダメージを受けている。装甲のあちこちが剥がれていた。


「やだぁっ、きみたちぃ、何でそこにいるのぉっ!? にぃげぇてぇぇぇぇぇっ!!!!!」

「お前バカか!?」


 聞き覚えのある声が叫んでいる。

 次いで、何かが飛んできて、ホルドルディールに当たって爆ぜた。鼻をくすぐる匂いは甘ったるく、まるで百貨店の化粧品コーナーを思い出させる、何かの粉のようだった。当たったのはホルドルディールであるにも関わらず、何故か緑の霊術陣が消えた。ユーナはアルタクスを見た。となりに伏せた地狼の目は、輝きを失い……長い舌が口元から出て、ぐったりしている。

 ホルドルディールの咆哮が、間近で放たれる。ユーナは何とか半身を起こした。粉を浴びても、その怒りは止まない。道具袋インベントリからマルドギールを出す。ホルドルディールの尾が、弱っているアルタクスへと向く。

 HP吸収だと、判った。

 だから、ユーナは地を蹴った。狙う先が分かっているのだから、軌跡は読める。

 マルドギールの穂先が、ホルドルディールの尾を絡め取る。だが、かつてのボスに比べて、その尾は細い。鉤爪で引っ掛けるよりも早く、するりと槍の柄を這う。振り払う間を与えることなく、尾の先はユーナの腕を伝い――その胸を貫いた。



 痛みが、苦しみが、後悔が、伝わってくる。

 なのに、どうすることもできない。身体はどこも動かない。



 思考はどこか切り離され、意味を為さずにその光景が視界へ映し出される。

 栗色の髪が、揺れた。

 細い体を不思議な色合いが串刺しにして、それを宙に浮かす。彼女の手元から、短槍が落ちた。

 鱗に覆われた尾から、命が吸い取られていく。

 ホルドルディールに、白い服の女が攻撃している。鞭が打たれる。

 それでも、彼女を離すことはなかった。

 やがてステータスバーが黄色から橙へ、赤から黒へ変わり。

 そして、砕け、散った。

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