力よりも
「意外だな」
投げられたシリウスの声音に、頭を上げる。
鋭ささえ感じる漆黒のまなざしに、ユーナは困惑した。見えるのは、不満だ。
「本気で、ばあさんとの融合召喚、要らないのか? ばあさんとだからイヤとか?」
「融合召喚したくないとかじゃないよ。フォルティス王と戦いたくないってだけ」
地狼から手を離し、椅子に戻る。シリウスならわかってくれると思ったのに、何でそんなに絡むんだろうか。シリウスは長い脚を組み替え、溜息を吐く。
「不死鳥のアイテムが他にないから、フォルティス王に泣きつくってだけだろ。やってみもしないであきらめるのかよ」
「幻界のクエストで、戦わずに済んだことって殆どないじゃない。ルーキスやオルトゥスが、不死王として目の色変えちゃったお父さんと戦う羽目になったらどうするの」
「とーさまと?」
「ととさまと?」
不思議そうに、双子姫の声が重なる。
金と銀の瞳に互いを映すように向き合い、ふたりは首を傾げた。
「とーさまは、不死王だから、戦う……?」
「ととさまが、おばばさまと、戦う……?」
ふるふるふるふるとかぶりを横に振り始める。そして、互いの手を握り、ユーナを見た。
「とーさま、喧嘩はいかんって」
「ととさま、仲良くせよって」
ふたりの記憶の中にある、フォルティス王のことばだろう。
口々に言い募る内容に表情を緩め、ユーナは頷いた。
「うん、そうだよね」
「何でも戦闘ってわけじゃないと思うけどなあ。不死伯爵とは戦わずに済んだだろ。あと、あの時の骸骨執事とも」
「あれは説得できたから……」
不死王フォルティスを従魔に、などとは欠片も考えていない。もし、彼自身が解放を願ってそれを望むのであれば、双子姫を預ける時に彼女たちのことだけではなく、自身の話にもなったはずだ。
そもそも、不死伯爵のことも、必要に駆られてというよりも、幻界のシステムに反発してという部分が大きい。バージョンアップのために失われるキャラクターを、そのままにしておきたくなかっただけだった。
迷うようにことばを濁すユーナに、シリウスは目を細めた。
「あの時だって、戦うかもしれないとは思ってたよな。でも、戦わなかったじゃないか」
たとえそうなっても構わない。でも、最後に話がしたかった。
それは覚悟だった。
その指摘は、端的な事実を物語る。
要するに、ユーナには戦うことになろうとも、フォルティス王と不死鳥の宝珠を賭けて向き合う気がないのだ。
ユーナはシリウスから視線を逸らした。
不死鳥の宝珠が、『聖なる炎の御使い』のものだったことは分かっている。彼女が自分のものを取り戻したい気持ちも解るつもりだ。でも、もう……。
「アデライールは……もう、『聖なる炎の御使い』じゃないよ……」
過去がどうであれ、今ここにいるのだから。
それでいいではないかと思うのは、いけないことだろうか?
ユーナが弱弱しく呟く。
すると、地狼が起き上がった。
唸るわけでも、吠えるわけでもない。だが、純粋な苛立ちだけがユーナに向く。
本能的に、向けられた感情に対して身体が引けてしまう。ユーナの椅子が、音を立てた。何故、これほどまでに、彼は怒っているのかがさっぱりわからない。
だが、地狼は構わなかった。そのままユーナの首筋を咥え、いつものように背に放る。ユーナは目の前に天井が一瞬見えて、激突しそうになった。重力が働き、無事地狼の背に受け止められ……縋りつく。
「おい、アルタクス!?」
【……少し、出てくる】
誰にも聞こえないことばだったが、地狼は一応断りを入れて一角獣の酒場から出るべく食堂の扉へと向かう。止めるように名を呼ぶ剣士に対して、弓手はすぐに立ち上がり、閉まったままのそれを開けてやった。
「気をつけて」
そのことばにはちらりと一瞥だけ向けて、地狼は黙したまま主を背に扉を潜る。外に出た途端、彼は駆け出した。ユーナは悲鳴を押し殺し、ただ、地狼の毛並みを握るしかなかった。
「外に出してやってどーするんだよ!?」
「ほっとけ。アルタクスがユーナに何をするわけでもないだろう」
驚愕の声を上げるシリウスに、紅蓮の魔術師は呆れて言う。
上から、物音が聞こえる。殆ど駆け降りるというよりも、転がり落ちているのではなかろうかという足音がけたたましく近づいてきた。
「主は……!?」
「お出掛けだよー」
呑気な舞姫に、小さな不死鳥は金の目を燃えるように向けた。完全なやつあたりを受けた舞姫は、舞台の上で軽くステップを踏んで両手を広げ、ポーズを決めて見せる。鈴の音が響き……不死鳥幼生には耳障りに聞こえた。
「何故止めぬ!?」
「アルタクスが一緒なんだから、大丈夫だってば。ホント君たち、ユーナのことだと目の色変わるねえ」
その薄桃色の瞳が悪戯っぽい光を宿す。一括りにされたシリウスは、ぐうの音も出なかった。
しかし、アデライールはその身を融かし、本性を現す。朱金の鳥は、開いたままの窓を目掛けて飛ぼうとした。
「おばばさま、ダメ!」
「おばばさま、待って!」
双子姫は自動人形ならではの俊敏さで反応し、ルーキスは窓を閉め、オルトゥスはその前に両手を広げて立ち塞がった。
「キゥ!」
「おばばさま、喧嘩はいかんなのです!」
「おばばさま、仲良くせよなのです!」
オルトゥスの目前で鳴く不死鳥幼生に、双子姫は精一杯言い募る。
その鳴き声から「どけ」というニュアンスは伝わってきたが、不死鳥幼生も双子姫に対してそれ以上のことはできないようだ。
そこへ、階上から二人の母の声が響いた。
「よく止めました。偉かったですよ、ルーキス、オルトゥス」
「かーさま!」
「かぁさま!」
「いや、ホントすごいよ。私より早いしさ……」
敏捷性ではそこそこ自信があった舞姫だが、完全に出遅れた。そもそも、不死鳥幼生の前に、身を挺して飛び出すということができそうにない。双子姫はともかく、自分なら燃やされそうだ。
再び不死鳥幼生の姿が揺らぐ。ゆっくりと床に降り立ち、幼女は短く息を吐いた。
「喧嘩などしておらぬ……!」
「そーよねー。仲良くしたがりすぎなのよ」
次いで降りてきたアシュアが苦笑交じりに指摘した。
「傍にいられなかったくらい、つらかったのに……追いかけようとするなんて、どうしようもないわね」
そのことばの内容とは裏腹に、青の神官は幼女の前に屈みこみ、その身体を抱き上げた。老女とは異なり、ただ小さい子どもだ。神官の腕力でも何とかなる。アシュアの顔を間近で見つめ、アデライールの表情が歪んだ。それこそ、今にも泣きそうだ。青の神官はその身体をあやすように揺らした。
「ほら、いい子だから、泣かないの」
「――泣いてなどおらぬ……!」
朱金が、濃紺に混ざる。
アシュアの首筋に手を回し、幼女は唇を噛んだ。アシュアはその背中をぽんぽんと慰めるように叩いた。
「おばばさま、泣かないで……」
「おばばさま、泣いてはイヤです……」
むしろもう泣いている双子姫が、アデライールに迫る。
ふふふ、と声を上げてエスタトゥーアが笑った。
「一角獣の酒場には小さな子がいっぱいですね」
「酒場なのに子どもばっかりになってるけどいいのかなあ……」
指先で頬を掻きながら、舞姫がリアルに悩む。
テーブルではその光景から目を背け、遠くを見ている紅蓮の魔術師がいた。逆に、微笑ましい気持ちで眺めながら、弓手は口を開く。
「子どもかぁ……」
「ばあさんだけどな」
ぼそっと余計なことを呟くシリウスに、アシュアの視線が突き刺さった。
弓手は地図を開く。凄まじいスピードで離れていくアイコンが一つ、目についた。それはひたすら王都の外を目指し、南下していた。
 




