気がかり
テーブルに頭をくっつけ、目を閉じる。
ひんやりとしているが、微妙に凹凸がありながらも滑らかな木の感触が心地よい。マールテイトが長年、この店を大事にしてきたことがよくわかる。ユーナは短く嘆息した。その足元を温めるように、地狼が身を横たえている。くるりと尻尾が足を伝い、くすぐったい。
そこへ、つまらなさげな声音が響く。
「――で、アーシュとエスタは上なのか」
「はぁ……」
サイズさえわかってしまえば用済み、と言わんばかりに、解放されたユーナである。今は二人そろって長さの単位について議論しているはずだ。幻界ではドリナーという長さの単位があるが、それが二センチ強なのか三センチ弱ほどなのかで悩んでいるのだ。他にも幻界では、やや長めなものだとメーコスでも測るらしいが、こちらも何メートルくらいなのかが不明だという。一メートルよりは大きいが、二メートルはないという微妙さだ。
一応、結名の身長はセンチメートルで伝えている。ただ、皇海学園は少し特殊で、五月の中間試験直後に健康診断を行うために、彼女が伝えた身長は昨年春の健康診断の結果だった。言われてみると一年前なのだから、今の結名とユーナの体形が違っているのも道理である。実は下着越しにアンダーとトップも測られたのだが、この時にカップについても問われ……答えられなかったユーナだった。現実では楽なのでブラトップを愛用しており、Mとしかわからない。今はそれでもいいかもねーとステレオでアシュアたちは声を合わせ、遠い目をしていた。若いうちはかまわないらしい。……まだ柊子も若いのでは?と思った結名だが、女子高生の自分が言うと地雷かもしれないので黙っておいた。ただ、当該物品については以前から母にも散々買いに行こうと言われているのも事実だ。現状、幻界が開始されて以降、それどころではない日々である。よって無理。
「ちょっと行ってこようかなあ」
「ダメ!」
にまにましている剣士を、頭を起こして一蹴する。その勢いに、弓手が首を傾げた。ユーナたちがエスタトゥーアの部屋に上がっているあいだに、ログインしてきたようだ。
「そんなに折り入っての話なんだ?」
「まあ、そうですねぇ……」
ことばを濁す交易商の様子で、ユーナは察した。
完璧に、今回の事情に通じている。
――うう、小川くんにまでコスプレ話バレてる……。
今バレていなくても、明日会えばバレるのだが。
とにかく、いったい何を着させられるのか。少なくとも、今よりも露出度が高いことにはならないからとは言われているが、心配なユーナである。
皓星が携帯電話であちこちに連絡を取っていた時、いったい誰にとは思ったが、まさか柊子からエスタトゥーアにまで話が及んでいるとは思わなかった。もちろん、明日、現実なエスタトゥーアに会えるのはとてもうれしいことだ。
更衣室でも結名を一人にはしないように、一緒にコスプレをしてくれるという。やけにゲームショウのコスプレ事情にも明るく、早朝から更衣室は開いているので早めに合流しましょうと言われていた。これから衣装を作って、早朝に待ち合わせとなると……彼女は眠る時間があるのだろうか。自前で白の短パンと、歩きやすいのならファンタジーっぽいサンダルを履いてくるようにとのことだが、短パンというか、白ならテニスのスコートくらいしかない。サンダルは茶色の皮のものでいいだろう、たぶん。
出来上がりがいまいち想像できず、ユーナはまたもや溜息を吐いた。
「ユーナ、つらいのですか?」
「ユーナ、悲しいのですか?」
まるで母親のような口調で、双子姫が尋ねる。長い白銀の髪がさらさらと揺れ、銀と金のまなざしが憂いに満ち、細められていた。慌ててユーナは微笑んでみせる。
「ううん、大丈夫! ごめんね、気にしないで!」
これくらい可愛かったら、何着ても似合うんだけどなぁ。
正真正銘のお姫様たちは、セピア色の小さなころとはまったく違う印象ではあるものの、エスタトゥーアの愛情がこれでもかと注がれまくった結果、非の打ちどころがないほど一対の人形として愛らしい出来栄えになっていた。自動人形故か、表情も豊かである。ユーナが微笑むと、彼女たちも微笑む。とても素直な双子姫だ。
愛らしさとは程遠い自分の見た目を思い出し、ユーナは羨ましくなった。
「我が主を気遣うことができるほど、そなたたちも成長したということか。
そうじゃのぅ。そなたたちの父にも一度、挨拶に行かねばなるまい」
「とーさまに?」
「ととさまに?」
不死伯爵の傍に座る不死鳥幼生のことばに、双子姫の声音が輝く。いつのまに、お子様椅子を作ってもらったのだろうか。他の椅子とは異なり、真新しく見える。
幼女は重く頷き、紅蓮の魔術師を見る。
「王家の短剣はお持ちかの? 魔術師よ」
「いや、あれは……」
「私が預かっています」
返却する機会もなく、というよりもその時間的余裕が一切なかったために、未だに交易商が持っていた。物が物なので、「王子様に返しておいてください」と王城の兵に預けるわけにもいかない。本来であれば王城へ赴き、正式に礼を尽くさねばならないところだが、あいにく、交易商の身分ではすぐに面会は望めない。しかし、自分たちが勝手に始めた東門防衛クエストだが、王族から依頼を受けた以上、クリアするためにも一度は出向かねばならないというジレンマまで抱えていた。
テーブルの上に、シャンレンは王子の短剣を載せた。はっきりと刻まれたフェリーシュ王家の紋章が眩しい。それを見つめながら、不死鳥幼生は口を開いた。
「我が主が寝入っておるあいだに、大神殿にも動きがあった。
『命の神の祝福を受けし者』に対して、王家の霊廟の参拝を特別に許そうとする動きじゃ」
『聖なる炎の御使い』を失い、聖女候補を逃した大神殿としては、早急に次の手を打たねばならなかった。求心力を失わないための、次の一手である。それをどのように打つのかが、アデライールは気がかりだった。
白幻を纏えば、どこへでも不死鳥幼生は入ることができる。既に手放した『聖なる炎の御使い』という立場ではあったが、今もなおフェリーシュ王家に対する想いが完全に失われたわけではない。それを上回る忠誠は主へと向けられているが、彼女は、自身の主がフェリーシュ王家に対する特別な感情を否定することはないと知っていた。そして、聖女候補であった青の神官の身の安全のためにも、という建前も用意し、大神殿に幾度か忍び込んだのである。
大神殿は、『命の神の祝福を受けし者』すべてが、フェリーシュに与えられた祝福そのものであると言い換えた。清濁併せ呑む覚悟があるように聞こえるが、実際には違う。その中でも特に選び抜かれた者――神官職、もしくは聖騎士となった『命の神の祝福を受けし者』のことを示したいという気持ちがそこにある――が、聖騎士隊と共に、さまざまな困難に打ち勝っていくという脚本を描くことにしたのである。
その中には、今まで聖騎士隊が引き受けていた魔物討伐のみならず、王家の霊廟を鎮めるという役割も含んでいる。
「もちろん、王家の霊廟に立ち入るとなれば、そなたたちと同様、条件として王族の許可が必要となる。今しばらくは、ふたりの陛下の眠りを妨げる者はおらぬじゃろう」
「なんで、そんな……王家の霊廟を、解放するのと同じじゃない……」
「婆がおらぬからの」
呆然として呟く主に、従魔はあっさり答えた。
『聖なる炎の御使い』を失ってしまった以上、大神殿に霊廟の死霊を慰める力はない。それだけではなく、東門ですらも聖騎士隊だけでは守り抜けなかった。その力の衰えは否定できない。一方で、『命の神の祝福を受けし者』の力は強大であり、かつ、使い勝手が良い。王城や大神殿の特別依頼にするだけで、容易く命を懸ける。そして、既に二つも成果を挙げているという実績が物を言う。
「不死者は蘇る。熱病を発症するとわかってなお、聖騎士隊を突入はさせられぬ。となれば、『命の神の祝福を受けし者』に期待するより他ないのじゃ」
「薬があればどうにかなりませんか?」
「発症しながら戦えと? まあ、この婆も同じことをそなたたちに強いたようなものか……」
交易商の問いかけに、苦々しくアデライールは己を嗤う。つい先日の出来事だ。
「できれば、他の者が霊廟を荒らすより先に、陛下に……フォルティス王におめもじしたいと思うておるのじゃよ」
「ルーキスとオルトゥスの、お父さんだから?」
誰かに滅ぼされても蘇るのがクエストボスである。それでもなお早くと求める心の理由を問う舞姫に、金色のまなざしが向く。
「それもあるが……彼の王の手に、不死鳥の宝珠がある故、かのぅ」
不死鳥の名に、ユーナは息を呑んだ。
影でありながら全力でユーナたちを守り、しかも融合召喚に必要なアイテムまで授けてくれた不死王フォルティス。
その力の源にさえ見えた、赤い宝珠の指輪こそが……『聖なる炎の御使い』の、力の欠片なのだ。




