あちらとこちらで
「エースータァ?」
「あら、わたくしとしたことが……ホホホホホ」
青の神官の低い声音に、人形遣いは誤魔化すように口元に手をやり、白々しく笑ってみせた。交易商は正しく視線を逸らしている。と、ふと同じように、紅蓮の魔術師の仮面もが明後日に旅立っていると気づいた。
「かしこまりました、かぁさま!」
「かしこまりました、かーさま!」
教わったばかりのお辞儀をまたもや披露しつつ、ルーキスとオルトゥスは微笑む。エスタトゥーアは「まぁぁぁっ!」と感極まったように声を上げた。
「とっても良い子たちですね、わたくしはうれしいですよ」
良いお返事をしている娘たちを抱きしめると、エスタトゥーアはそそくさとユーナのほうへと歩み寄り……その耳元に、そっと囁いた。
「こちらへ」
打って変わった真面目な指示――クランマスターのご指名である。
ユーナはカクカクと頭を上下に動かし、相当びくつきながら階上へ向かうエスタトゥーアの背を追う。要するに、逆戻りである。当然の顔をしてついていこうとする従魔たちへ、エスタトゥーアは笑顔で振り向いた。
「取って喰べたりいたしませんよ。同じ屋根の下、わたくしとユーナさんで間違いなど起ころうはずもございませんし」
「アンタ、それ本気で言ってんの……?」
深々と溜息をつくアシュアには、エスタトゥーアが余計な心配と混乱を避けるために従魔を置いていけと言っているのがわかるが、先ほどのやり取りのあとである。不安そうにしているユーナを見て、地狼も不死鳥幼生も納得しているようには見えない。渋々ながら腰を上げ、不死伯爵へと視線を向けた。唯一、ユーナに付き従おうとしなかった彼だけは、素直に納得して頷く。
「私は構わぬが……」
双子姫に対して、これほどまで愛情を注いで注いで注ぎ続けている人形遣いである。自身の主に対して「可愛い人形」と言っている以上、悪くするはずもない。青の神官が断りを入れてくるほどなのだから、余計に邪魔をする気は起こらなかった。
ただ、他のふたりは違う。
【イヤだ】
「着せ替えでもするのなら、是非もないがのぅ。これでも女子の端くれ故、同席したいものじゃが」
完全に意固地になっている。エスタトゥーアは肩を竦め、「似たようなものですね」と呟いた。アシュアの手が、宙を舞う。そして、フレンドチャット着信の音が鳴り、ユーナの視界に手紙が広がった。
――サイズ、本気で測るんだけど、そのふたりいてもへーき?
アシュアの文面に、ユーナは目を瞬かせた。その念押しに、ようやく悟る。
幻界で体防具を作成する際、着用する予定である旅行者のサイズは測らない。実際、ユーナが今着用している衣装も、どういう素材がよいかとは問われたが、身体のサイズは一切測っていないのだ。そもそも、幻界の体防具は、最初に着用した者のサイズに変わる仕様になっている。服や鎧にしてみても、中古品であればこそ身体に合わせる必要があるが、新品であれば気にする必要がない。
本気でということばに困惑し、ユーナはアシュアを見る。彼女は苦笑を漏らした。
「じゃあ、せめて女の子だけってことで。そこまでデリカシーなくはないわよね、アルタクス?」
「扉の前ならいいから、ね?」
唸り始めた地狼にユーナが縋るように言うと、ようやくその声が止む。
【何かあったら喚んで】
――何もないってば……。
半月離れた直後なので、相当気が立っている模様である。ユーナは宥めるように毛並みを撫でた。ルンルンとご機嫌なのは、幼女だ。
「ちょうどよい。我が主の冬服を仕立てねばと思っておったのじゃが、この際贅沢は言わぬ」
かなり思考が跳んでいるようだが、今はまだ誰もそれを否定しなかった。
エスタトゥーアの部屋へと向かう途中、この騒ぎの元凶がようやく姿を見せた。黒い短衣に黒の脚衣と、相変わらずの黒ずくめの剣士である。ちょうど、扉から出てきたところだった。
「あ、ユーナお前、携帯見なかっただろ!?」
「もういいって言ったのに、聞かないから……」
ユーナを見るなりリアルトークを繰り広げながら身をかがめて詰め寄るシリウスに、ユーナは頬を膨らませてまっとうに文句を言い出す。地狼が唸ると同時にアシュアはユーナとシリウスのあいだに入り、シリウスの耳をつまんで引っ張った。
「コラ! アンタもちょっと状況考えて言いなさいよ……っ!」
「っ痛!」
ちなみに、アシュアが割り込まなければ地狼が噛んでいたタイミングだ。ユーナはそれを察して、背筋が冷たくなった。共鳴がすべてを物語る。地狼は本気である。
「ここでそれ以上のおしゃべりは禁物ですよ。さあ、まいりましょう」
散々爆弾を投げたエスタトゥーアの微笑みを冷ややかに見返す親友に、ホホホと笑い声を上げつつ、先を急ぐクランマスターだった。アシュアは耳をつまんだまま、そこへ小声で言い放つ。
「おとなしく下に行ってなさい、いいわね?」
「――わかった……」
返事を聞いてから、ようやくアシュアは耳を離した。フン、と地狼と神官が同時に鼻を鳴らす。そして彼女はユーナの肩を抱き、そのままエスタトゥーアのあとを追った。後ろから、幼女の声音が鈴の音のようにころころと楽しげに響く。
「ほほ、すっかり剣士殿も形無しじゃのぅ」
そのあとに続いた「若い者は良いのぅ」を聞き、その場にいた者は全力で「今はアデライールが一番若い!」と内心ツッコミを入れていたのは言うまでもない。
地狼は約束通り、扉の前に陣取った。
そうして入ったエスタトゥーアの部屋は、ユーナの部屋と同じく木戸が閉ざされていた。魔力灯により部屋に明かりが灯り、ようやく周囲を見回せる。薬草の爽やかな匂いに満たされ、ユーナは森にいるような気分を味わった。
が、逆にアシュアには耐えられなかったようだ。情け容赦なく木戸を開き、窓も開けて空気を入れ替える。外の光が微かに射し込み、そこだけが線を引いたように床を白く彩った。
「ちょっと臭いわよ、この部屋!」
「臭……」
顔をしかめるエスタトゥーアは、とんとんと自身の額を指先で突っついた。
「まったく、あなたと話していると調子が狂います」
「地が出るだけでしょ」
「仲が良いのぅ」
まあね、とアデライールのことばには微笑んで、アシュアはユーナに向き直る。
その紺青のまなざしが、ユーナの頭から足先までを舐めるように眺めた。そして、軽く首を傾げる。
「――ちょっと、違うような?」
「な、何がですか?」
尋ね返すユーナには答えず、アシュアは次いで不死鳥幼生の前に膝を折った。こうでもしないと、視線が合わないのだ。
「おばあちゃん、これから話すことはナイショよ。いい?」
「無論。我が主の悪いようにはせぬ」
まるで宣誓をするように右手を上げ、それから命の聖印を刻んでみせる。それを見て、青の神官は大きく頷いた。
「なら、いいわね」
「では、ユーナさん……始めますよ?」
エスタトゥーアは手近な柱の前に立った。そして、手招きをする。ユーナは柱の前に立たされ、背と踵を柱にくっつけて、顎を引いてしっかり立つように注意を受けた。エスタトゥーアはインク壺と羽ペンで、ユーナの身長をまず写し取り始める。そう……身体測定である。
「あの……」
「ユーナちゃんって、見た目リアルと変えてないって聞いたから」
にっこりとアシュアが黒い微笑みを見せる。「へ?」とユーナの口元が引きつった。
「でも、何だかちょっと違う気がするのよねー。私もそんなに体格変えてないんだけど……うーん?」
「ユーナさんが成長されたのでは? わたくしたちはもう横にしか大きくなれませんし……それはさておき、少しゆとりをもって作っておきますね」
「うん、おねがい」
またもや首を傾げながらユーナを見回すアシュアに、無情な現実を告げるエスタトゥーアである。ブーメランになってお互いにぐさぐさ刺さるような内容だ。青の神官もまた、ユーナと同じように引きつっている。それでも、エスタトゥーアの手元は止まらない。次々とメモリを打ち、柱に書き込みをしていくエスタトゥーアに、アシュアが頷いた。
「――何をです?」
もう答えは分かっている。
それでも、それでも、聞かずにはいられない。
仲の良い親友同士、声を合わせ、笑顔でふたりは答えた。
『コスプレ衣装?』
逃げ場は、もうどこにもなかった。




