移り変わっていく季節
「ようやくお目覚めか、主よ」
金色の目を細め、唇を尖らせて。
不死鳥幼生は不満げな口調で言い放った。その小さなてのひらが、やさしくユーナの頬を撫でる。
「まったく、半月も眠り続けるとは……命の神の祝福がこのようなものであったとは驚きじゃのぅ。幾度こうして死んではおらぬかと確かめたことか」
【死なれてたまるか】
枕元に腰かけた不死鳥幼生のことばに、身を起こした地狼が鼻を鳴らす。アデライールの小さな手に自分の手を重ねると、ぷくぷくした手はしわしわのそれとはまったく違う感触なのに、その柔らかさにはどこか懐かしさを覚えた。
「ん、ごめんね、アデラ。ホント、ただ寝てただけ……」
自宅のベッドよりはやや硬めだが、寝具の質がただの板に布を張ったものからかなり改善されていた。一応マットレスらしきものがあり、綿がしっかり詰まっているので、それほど体が痛くない。上掛けは驚きの羽毛布団である。某貴族御用達の一品だそうで、寝心地の良さにもう一度横になりたくなるほどだ。少し高めのアデライールの体温を感じながら、ユーナは本能に従ってまぶたを閉じかけた。空気が冷たいので、布団から出るのが忍びないのだ。彼女を抱きしめて眠れば、さぞかし暖かいだろう……。
微かに、離れたところから物音が響いた。
衣擦れの音と共にそれは近づき、寝台の反対側に重みが加わる。
「――いつになく目覚めが遅かった故に、気にかかっていた。具合が悪いのではないのか? 主殿」
伸ばされた大きな手が、心配げな声音と共にユーナの額に触れる。その冷たさに身体が震えた。するりとアデライールの手が抜け、額の手を引き離す。
「寒いと震えておるぞ、アークエルド」
「熱でもおありか」
頭上で繰り広げられている展開についていけない。
月色と金色が見下ろす中、ユーナは慌てて頭を左右に振った。
「大丈夫だから! すぐ起きます!」
【そうだよ。すぐ起きないからだって】
アデライールのとなりから、アルタクスが寝台へと前脚を掛け、そのまま頭を乗せる。みしっと今までで最も大きな音が響いた。アークエルドがアデライールから手を引き、肩を震わせて笑った。ユーナはようやく身体を起こす。肩まですっぽりかぶっていた羽毛布団が、腰まで落ちた。以前、交易商と購入したパジャマ代わりの術衣が露わになる。寒い。
「お休みになられているあいだに、外はすっかり冬支度を始めている。暖かい服装に着替えたほうがよかろう」
アークエルドは腰を上げ、窓辺に近づいた。
空気を入れ替えていてくれたのだろうか。薄く窓が開かれている。そこから漏れる光と、視界に映る数字でまだ幻界は午前中だと判った。指先でそれを閉ざし、そのまま彼は衝立の向こう、部屋の外を出ていく。ついでに壁の魔力灯をつけてくれたようで、室内は淡い光に照らし出された。扉がゆっくりと閉ざされた音で、ユーナは装備ウィンドウを操作する。術衣からエスタトゥーア謹製の短衣を選択し、変更した。そして、寝台の足元の長靴を履く。
「よくもまあ、このような部屋をあつらえたものよのぅ」
「うーん、アズムさんにお任せしちゃったら、こうなって……」
自分が眠っていた寝台からして、天蓋付きのものである。もっとコンパクトなものを想像していたのだが、部屋のほぼ中央にどかんと設えられていた。何分、広さがあるために壁際の飾り棚や衣装櫃、鏡台だけではなく、かつて不死伯爵の主寝室にあった応接セットに似たものまで部屋の隅には並んでいる。少し違うのは、一角が長椅子になっていることだろうか。
従魔の居心地が良いように、と頼んだ結果が、貴族の主寝室である。不死伯爵のためにと思えば、致し方ないと懐具合を心配したユーナだったが、勝手に外に出て稼いでくる不死伯爵のポケットマネーで全額を賄ってしまったそうなので、逆にまったく自分の懐は痛まなかった。「これ、アークエルドの部屋でいいんじゃない? エスタさんに頼んでわたし用にもう一室もらおうかなぁ」と遠い目で呟いたところ、アークエルドが速攻で「不満なら作り直す。すまなかった」と謝ってきたので、逃げ場がなくなったユーナである。
従魔として離れて休むことは考えられないようだ。何故かアークエルドは自分のための寝台を準備しなかったようで、いつもユーナの影で休んでいる。結果、ダブルベッドよりも大きめの寝台は先日までユーナが独占していたが、先日はアデライールと一緒に休んで……それっきりだったような気がする。要するに、不死鳥幼生が従魔となった日以降、ユーナはログアウトしたままだった。不死鳥幼生としては不満たらたらだろう。
ユーナはアデライールを見た。座っていても、自分の肩よりも更に下に頭がある。小さい、本当に小さい女の子だ。魔力灯の光が、朱金を不思議な色合いに照らしている。視線に気づいたのか、金のまなざしが見上げてきた。
「寒くないか? 主よ」
結局、着ているものは長袖の短衣一枚である。一応下には脚衣も履いているが、あくまでショートパンツ的なもので、足は丸出しだ。
「実はあんまり冬服、持ってなくて」
「それはいかん。早う仕立てねば……今からだと時間がかかりそうじゃが」
大きく両足を振り、勢いよくアデライールは床へと着地した。軽い足音が扉へと向かう。ユーナもまた後を追うように立ち上がると、地狼が身を寄せてきた。あたたかな毛皮が心地よい。思わずぎゅーっと抱きしめると、素足をしっぽが撫でた。
【本当に寒そうなんだけど】
「かも。外、かなり寒い感じ?」
【さあ? おれは外、出てないから】
現実時間にしてほんの一日近くログアウトしていただけなのに、体感温度が違いすぎて驚く。季節の変わり目だからだろうか。離れがたい気持ちになりながら、首筋から腕を離す。そして、扉へと向かった。
アデライールが扉を開いたまま、こちらを見ている。
「廊下のほうが暖かいのじゃが……誰ぞ、術式を使っておるのかの」
「あー……そうかも?」
紅蓮の魔術師が思い当たり、ユーナは苦笑した。ありがたいが、まだ冬ではないのに、暖房を使っているようでは先が思いやられる。いつかの傘代わりの術式といい、本当に多芸な術師である。
階下に近づくにつれ、下の賑わいが聞こえてきた。日中であることを思えば、一角獣の面々であることは想像に難くない。階段真下の舞台の向こうに、白銀の髪をツーサイドアップにした愛らしい双子姫が見えた。
「ありがとうございます、かーさま!」
「とってもうれしいです、かぁさま!」
双子姫の声音が、まるで喜びの旋律を奏でるかのように高らかに響く。
ふたりの前にはエスタトゥーアが座っており、愛娘に微笑んでいた。その赤いまなざしが、ユーナのほうを見る。
「おや」
母の意識が逸れたと判り、ふたりもこちらへと振り向いた。ふわり、とその裾が広がり、たっぷりとした生地が綺麗に翻る。そのスカートのすそをつまみ、双子姫は行儀よく一礼した。
「ごきげんよう、ユーナ」
「ごきげんよう、ユーナ」
それは、立派なメイド服だった。否、結名がつい夕方に検索で見たメイド服ではなく、侍女服とでもいうべきだろうか。黒のロングワンピースに白いフリルたっぷりのエプロンをまとい、頭には白いカチューシャ、肘まで覆う手袋を身に着けている。
「一角獣の酒場の看板娘にぴったりでしょう?」
ふふ、と笑いながら、エスタトゥーアが自身の頬に手を当てる。以前身に着けていた紅白の修道服も可愛らしかったが、確かにこちらのほうが酒場には似合う。ユーナは両手を胸の前で握り、強く頷いた。
「とってもかわいいです!」
「愛らしいのはよいが、酒場であろう? 良からぬ者に絡まれはせぬか?」
愛らしいと言えばあなたでしょうと言いたくなるような幼女が、眉間にしわを寄せて双子姫を気遣う。踵を床に打ちつけ、鈴を鳴らして舞姫が応えた。
「アルタクス並みにレベル上げしたから、眠る現実が団体で押しかけてこない限り大丈夫だと思うよー」
「眠る現実がいちばん、うちの常連客になりそうなんですけどね」
「騒ぎ起こしたら出入り禁止にするからいいわよ」
最大の危惧を口にする交易商を、まさに一言で切って捨てる青の神官である。
「だいたい、眠る現実のために仕事するんじゃないし? もっとPTMに困ってるようなひとたちのため、でしょ?」
「まあ、そうだな」
久方ぶりに青と赤の組み合わせを見るような気がする。紅蓮の魔術師はテーブルの上の魔石へと何か細工しているようだった。
楽しげに双子姫を眺めていたエスタトゥーアが、立ち上がる。
「では、あなたたちはちゃんとお仕事を頑張ってくださいね」
「かーさまは?」
「かぁさまは?」
「ふふ、わたくしは……もうひとり、可愛いお人形のサイズを測らなければ……」
その深紅の双眸が、今しがた階段を降りたユーナへと向けられる。
まるで獲物を見つけたと言わんばかりのまなざしに、ユーナはびくりと身を震わせたのだった。




