あなたたちが、ここにいたら
戦いは終わった……。
延々と歌い続けること五時間。初めて歌うものでも大丈夫、友達は「練習ね、練習!」とお互いに受け入れてくれるものだ。男女問わずアイドル系の詩織のレパートリーと、結名の今流行の曲とネット系とゲーム系(一応アニメ映像系は外している)が交互に繰り広げられ、履歴はすごいことになっている。当分カラオケはいいかな、と思うほど、声も枯れかけて、ふたりはにこやかに会計を済ませた。少し早めに出たのがよかったようで、同じ時間帯にフリータイムを終える人も多く、まだまだ会計の列は途切れそうになかった。
「あー、楽しかった! また来ようね、結名ちゃん!」
「うん、思いっきりいろんなの歌えてよかったー!」
詩織が会員なので、フリータイム料金が十%オフなのもうれしかった。フリードリンクがついているので、散々利用しまくり、おなかは相当ちゃぷちゃぷしている。それもご愛敬である。
賑やかなロビーを後にし、出入り口の自動ドアをくぐる。と、そこには皓星が待っていた。そういえば、携帯電話を確認していなかったと今頃結名は気付く。その結名の袖を、詩織がぎゅっと握った。
「え、やだ、結名ちゃん、従兄さん来るならそう言ってよー!」
「た、ただのお迎えだから、いいかなって……」
「もー!」
耐久カラオケで少し乱れた髪をささっと手櫛で梳き直す。その手早さに、結名は目を瞠った。これぞ女子力、詩織ちゃんカワイイと感動すらしていると、結名の腕を取り、皓星のもとへ引きずるように連れて行く。
「こんばんはー!」
「こんばんは。……渡辺さん?」
「あ、名前覚えててくれたんですね、うれしー!」
「制服じゃないとイメージ違うなあ」
はしゃぐ詩織の声が、ワントーン高い。皓星は彼女を眺めつつ、なるほど、と何か頷いている。何がなるほどなんだろう。
それには触れず、うれしそうに結名の腕をぎゅーっと抱きしめる詩織に、結名は帰り道を尋ねた。地下鉄で帰るらしいが、方向は真逆である。とりあえず駅までは一緒に、と連れ立って歩き始めた。
「結名、携帯また見てなかっただろ?」
「うん、ごめん」
「うわ、声ガラガラ……」
顔をしかめる皓星に、照れ笑いで返す。ふたりだけで五時間耐久である。声も枯れる。すると、詩織が結名の腕を抱きしめたまま、皓星に尋ねた。
「皓星さんもお暇でしたら、今度ぜひご一緒に!」
「いや、オレはちょっと……」
五時間カラオケするくらいなら幻界に行きたい、と顔に書いて、ことばを濁す皓星を見て、結名は吹き出した。
思ったよりもまだ夕闇の帳は降りていない。しかし、日中からぐっと冷え込み、やや肌寒さを感じさせる風が吹いていた。アーケードに入ると遮られるので少しマシになったが、長袖のシャツを着ていてよかったと思ったほどである。
地下鉄の構内に入ると、詩織とはお別れである。またね、と名残惜しそうに手を振る彼女を見送り、反対側のホームへと向かう。
「結構待った?」
「時間聞いてたからな」
地下鉄を待つあいだに、皓星が携帯電話をいじる。合流して帰っている旨の報告らしい。帰ればすぐ夕食にありつけそうだ。結名は嬉しそうに、指折り段取りを口にした。
「帰ったら、ご飯食べてー、お風呂入ってー、幻界行かなくちゃ」
「行くのはいいけど、今夜は早めに切り上げないと。明日は早めに出るから」
「招待チケットなのに?」
「幻界のブースで体験したかったら、整理券が別に要るんだよ」
十時開場だが、招待チケットは九時半に入場が可能になる。整理券の配布も九時半から行われるそうだが、同じ招待チケットがどれほど配布されているかわからない。となれば、予め並んでおくに限るのである。
「体験」と聞き、結名の表情が輝く。
「VR? ゲームショウでもできるの?」
「同じなら、家でやったほうがいいだろ。そうじゃなくて、会場で幻界にいるみたいに遊べるっていう話だけど、どうかなあ」
かなり半信半疑的に口にする皓星に、結名は首を傾げた。ゲームショウで幻界にいるみたいに、というのがピンと来ない。
地下鉄がホームに入ってくる。
停車するまでに吹き抜ける、熱のこもった風を受けながら、結名は思い出していた。
――幻界にいるなら。
視線の高さと、ほぼ同じくらいに地狼の頭があって、すぐに首筋に腕を回せる。毎日清めているので、漆黒の毛並みの触り心地はとても良い。手触りが気に入ったのか、不死鳥幼生はやけに地狼の背に乗りたがるようになった。ユーナがその背を撫でていると、地狼の尾が仕返しとばかりにふわりと身体を撫でるのだ。不死伯爵は地狼と不死鳥幼生のやりとりを聞きながら、肩を震わせて笑っていて……。
「結名?」
地下鉄のドアが開く。
まぼろしが消え、結名は慌てて足を踏み出した。休日の帰宅時間だからだろうか、車内はやや混み合っている。反対側のドア近くが空いていたので、そちらに身を寄せた。皓星は座席前のポールを掴み、結名の隣に立つ。
「どんなふうなのかなあ……楽しみだね」
嬉しそうに、結名はうっとりと呟く。「そうだな」と皓星は短く返した。
地下鉄のドアが閉まり、動き出す。結名は今頃気付いた。駅の構内に、巨大なパネルがあったのだ。幻界が描かれた皇海ゲームショウの看板には……闘技場で戦う旅行者たちと、ユーナがいつか戦った魔鳥が見えた、ような気がした。
ほんの一瞬で、それらは遠く離れていってしまう。
「結名はさ。行くならやっぱり、そういう試遊、したいよな?」
地下鉄の轟音にかき消されないように、皓星は結名の耳元に頭を寄せて尋ねた。何を言っているのかと結名は怪訝そうに皓星を見て、目を瞠る。心底迷っているという表情があって、動揺した。
「え、何で? そのために行くんじゃないの?」
「オレたち遊んでくるから待ってるとか」
「無理!」
全力で否定を叩きつけ、結名は不満げに唇を尖らせた。
「何で皓くんたち遊んでるのにわたしだけ待ってなきゃいけないの? ひどくない?」
「お前、自分がどういう目に遭ったか忘れてるだろ」
「もういないんだからだいじょうぶじゃないの?」
「あのなあ……」
とげとげしく言い返していると、深々と溜息を吐かれた。そして、携帯電話を取り出し、結名に差し出す。皇海ゲームショウの幻界についての記事だ。結名は携帯電話を受け取り、画面をスクロールさせて写真や文章を見た。『幻界内で着用している装備を』という部分で、ふと指先が止まる。
「誰なのかが一発でバレる気がしてさ。……結名の場合?」
エスタトゥーア謹製の白の装備には、紫の刺繍が施されている。マルドギールも赤の宝玉が飾られているため、ユーナをよく見知っている者なら気付く可能性はある。何よりも。
「これって、従魔も映るのかなぁ……」
地狼たちがいたなら。
それは先ほど見た、夢の形でもあった。
逆にそれを聞いて、皓星は結名の手から携帯電話を奪い取った。すぐさまフリックして、何か検索し始める。次々とウィンドウを開いたり、スクロールをしたりしている。次の駅に着き、地下鉄は緩やかに停車した。反対側のドアが開くため、結名たちはそのまま動かずに済む。再びドアが閉まり、地下鉄は動き始めた。結名たちが下りる駅の案内が流れたころ、ようやく皓星は口を開く。
「特に、今日行った連中も、そんなコメントはしてないな」
「……そっかぁ……」
残念だなと思いながら、結名は呟いた。
ある意味当然なのだ。従魔は装備ではないのだから、映るはずがない。自分の装備だけが映るのなら、ユーナにとって最も印象深い彼らがいないのなら……特に、意識されないのではなかろうかと、結名は安易に考えた。従魔の存在のほうが、従魔使いよりもよほど目立っていたはずだ。
それは安堵すべきことだったが、少し寂しいことでもあった。
「んー、短槍とか、装備がどれくらい精密に映されるか、だよなあ……。いっそ、装備変えておくのもありだとは思うんだけど、ユーナって他の使えないよな?」
「うん、予備のもないし……」
「だよなあ」
結名は自分の携帯電話で検索を掛けた。皇海ゲームショウ……幻界……すると、そこには神官服を着たコンパニオンの画像が映し出された。
「皓くん、コレ!」
「ん?」
「いつもの恰好じゃなかったら、わたしってわかんないんじゃない? それなら、コスプレしちゃうのとかよくない?」
皓星の表情が引きつる。そして、視線を少し泳がせて、彼は口を開いた。
「いや、その、さすがにそういう仮装までは考えてなかったんだけど……髪型ちょっといじるとか、普段、着ないような服装させるとか、そんなレベルの……」
「柊子さんみたいに?」
「あー、そっか。先輩はあれが仮装だよな。あれならオレたち以外にはわからないだろうから、先輩はいいか」
「今から何かコスプレできないかなあ……」
「結名、マジで言ってんの?」
「だって、わたしってバレなきゃいいんでしょ?」
ゲームショウなのだから、ゲームに関係するものなら大丈夫なはずだ。
結名は「コスプレ」で検索を掛け……その表情が強張る。肌色の多い、殆ど水着のような服装の女性陣がずらずらと画面に表示された。もちろん、どのひともとても豊満な胸元を強調されている。
「――無理」
わずか数十秒で、結名は断念した。横からその画面を見て、皓星は首を傾げた。
「いや、今から準備するのが難しいってだけで、無理ってことはないだろうけどさー」
「無理、こんな格好できないよぉ……」
「いやいや、そんなにすぐあきらめるなって」
同じわずか数十秒で、皓星は妙に大乗り気である。何故かどこかへ流れ星を打ち始めた。
「どうにかなるかもしれないだろ? 聞いてみるからさ」
誰に? 何を?
結名の疑問は放置したまま、皓星は誰かと流れ星のやり取りを交わしている。
結名は再び自身の携帯電話の画面に視線を落とした。とても、綺麗な女性ばかりが並んでいる。この姿のまま出歩くだけで勇者だと思った。ふと、これだけ写真があるということは、撮影しているひとたちもたくさんいるのではないか?とようやく思い至り……結名の表情が蒼白になる。
「き、訊かなくていいから、ね、もうやめたから、お願い! 撮られたら困るし!」
「撮影? ああ、大丈夫だよ。ほら、撮影エリアじゃないとできないから。そっち行かなきゃいいだろ」
そういう問題だろうか。機嫌よく答える皓星のことばに安堵しきれない結名は、まなざしを揺らした。
あらゆる意味で、明日、と思うだけで、今夜は眠れなくなりそうだった。




