閑話 人形遣いと双子姫 ~それぞれの役目~
――ああ、やっぱり。
エスタトゥーアはその話を聞いた時、どこか納得してしまった。柊子はそういうひとだ。自分のことを棚上げして他人の面倒を見るくせに、いざ自分のこととなるとひとりで何とかしようとして、無理をする。そして、すべてが終わった後で愚痴るのだ。あとから聞かされる側としては、その時に言ってくれたらと思わずにはいられない。
だからこそ、逆に「困っている」と自分から正直に言えたことは……彼女なりに、殻をひとつ破れたのではないかという気がする。無理を続けるという選択肢を、アシュアは選ばなかった。そこに安堵したのは、付き合いの長さ故だろう。
アシュアの話を聞き終わった時、真っ先に怒りを顕わにしたのは紅蓮の魔術師だった。その場にいなくてよかったと思うほど、クランチャットで響く声音が低い。それに対して、アシュアは珍しく素直に謝った。一切の誤魔化しのなさで、逆に彼女がどれだけ追い詰められていたのかわかる。
交易商もまた、それに気付いたようだ。やや硬い口調ではあったが、できるだけアシュアの負担にならないようなことばを選んで、戻る道を模索することを伝える。物騒な弓手の提案に、大神殿に出たままの剣士が同意した。
エスタトゥーアは、視線を愛娘たちへと巡らせた。彼女たちの眠る寝台は、製作開始の際に木工職人に頼んで取り換え、今は俗にいうクイーンサイズになっている。衝立は寝台の足元へと置き、寝台を工房と一体にしていた。緩やかな起伏を持つ裸身は、関節の接合部を見なければ人と見間違うほどのものに仕上がっている。それも今は生成りのシーツに覆われて、殆ど見えなかった。その双眸は未だ閉ざされ、母からの呼びかけを待っている。
そして、人形遣いはというと、ふたりに合う服装をまったく考えていなかったがために、幾つかの布素材を並べ、とりあえず必要となる小物類を作っていた。平たく言えば、下着などである。小さく溜息を吐き、エスタトゥーアは口を開いた。
『わたくしは少し、手が離せなくて……』
『いいのいいの。できることから頑張るつもりだから。忙しいのに話し込ませてゴメンね』
『できるだけ早く合流しますから、大聖堂を全壊して王都を追い出されるようなことはやめてくださいね。せっかく改装工事が終わって、マールテイトさんにもおいでいただけているのですし』
『それはもちろんよ。私だって、揉め事にしたくなくって今まで我慢してたんだから』
本心だと、よくよくわかる内容だった。大神殿を敵に回すことは、神官たるアシュアにしてみたら親に歯向かうのも同義である。もっとも、彼女は必要とあらば親に歯向かうことなど全く厭わないだろうが、問題は、大神殿側にアシュアを破門にする方法があることだ。下手にペナルティを課せられないためにも、彼女が大聖堂から出る大義名分が要るのである。
だが、無理が通れば道理引っ込む。相手が不条理を押し付けてくるのであれば、こちらとて黙ってはいられない。ふふ、とエスタトゥーアは楽しげに笑った。
『でも、いざとなればわたくしもブルークエストくらい、こなしますからね?』
『そうなる前に止めてよ!?』
ふふふふふと笑い声を上げると、アシュアの悲鳴めいた声が聞こえた。最悪の事態が起こってしまった以上、誰にも止められるわけがないので、返事はしない。
すると、従魔使いが地道な提案を不毛な会話の只中に投げかけ、場を取り持った。『聖なる炎の御使い』がどれだけ本当に味方をしてくれるのかは未知数だが、アシュアたちの認識では不可能ではないらしい。既に大神殿へ潜り込んでいるシリウスやソルシエールと合流できれば、最悪でも壁をぶち破って出てこられるだろう。
アシュアとの会話が終わり、交易商からPT要請が届く。自分はまだ動けないと伝えたはずだが、と首を傾げつつ、承諾する。そこにはアシュアを除くクランメンバーがPTに名を連ねており、クランチャットの意味がまるでない状態になっていた。
もちろん、招集をかけた本人に、アシュアを仲間外れにする意図はない。むしろ、気に病ませたくないという一心だろう。アシュアが最初に帰ってこなかった夜を思い出せば、想像はつく。
『集まりがよくて助かります。ではさっそく……』
腹黒さが綺麗に隠れた、愛想のよい声音が響く。
その内容に、思わず縫い取りの手が止まった。
アシュアを取り戻す方法、とシャンレンは口にした。
彼女が自身の意思でそこに留まっているわけではない以上、監禁されているに等しい。正攻法で、大神殿に正面から彼女に会わせてほしいと頼み、それが叶うのならば良い。そのまま連れて帰ればいいだけだ。だが、それが叶わなかった場合、と彼は続けた。
『方法は三つあります。
もっとも効果的だと思われますが難易度が高いものとしては、より強大な権力から姐さんの解放についてお墨付きをいただくやり方です。王家の霊廟に関しては、本来王族からの依頼であったと伺っています。その報酬にしては恩を仇で返していませんかと、王子様に迫ってみるのは如何でしょうか? おそらく、何らかの手助け、もしくは情報が得られるはずです』
『だが、現時点で王城に入った旅行者は……』
『はい、旅行者には許可が下りないと聞いています。ですから、直接的には難しいのであれば、間接的に。何はともあれ相手は王子様ですからね。他の貴族からの紹介という形なら、可能性があります。問題は、その貴族の伝手ですね』
ある程度攻略板の動きも知っている紅蓮の魔術師の苦々しい口調に、交易商は自身ならではの解釈を伝えた。ふむ、と頷いて、彼はすぐにファーラス男爵の名を挙げた。誰もがよく知る、現役貴族である。但し、紅蓮の魔術師ならではの理由で、彼はファーラス男爵と懇意の仲になっていたことが提案の動機として大きい。
『さすがに、もうカードルの印章は使えないだろうからな』
『――あの印章を求める者は多かったが、あれほどの人数は皆、いったい何に使ったのか……?』
『えーっと、わたしはアークエルドとの召喚契約で使っちゃったけど、シャンレンさんは交易商になるために、必要だったんですよね?』
不思議そうな不死伯爵の声に、ユーナの確認が入る。だが、それに対してシャンレンはすぐ返事をしなかった。
『僕たちはマイウスの貴族の承認の時に使ったよね』
『ああ、クエストボスの初レイドに間に合ったやつな』
セルヴァとシリウスの、カードルの印章の使い道。
そこへ、シャンレンの戸惑う声が続いた。
『――マールトにある商人ギルドで、私は交易商のクエストを受けたんです。マイウスは、確か、マールトの所領ですよね……?』
『そうだ。あれから二十年以上が過ぎているが、今もファーラス男爵はご健在か』
『え、結構若かったよね?』
『少なくとも、カードル伯よりは若いと思うよ』
『若い?』
ユーナとメーアのやりとりによって更に困惑した不死伯爵へと、シャンレンは尋ねた。
『カードル伯、あなたはその当時の……ファーラス男爵の、後継者のお名前をご存知ですか?』
『世話になったことがある。アルテア殿という、利発そうな若君であられた』
その思い出話に、一本の筋道が見えた。
王城への切符だけでは足りない、と交易商は眠る現実へいつかの借りを返してもらうことにした。大神殿に最も近い王都の東門の外で釣ってもらい、魔物の暴走が起こるかもしれないという危惧を王都に与える。それは、間近の大神殿だけではなく、王城をも揺るがすだろう。聖騎士が動けば、大神殿と大聖堂は手薄になる。その結果、シリウスとソルシエールが動きやすくなり、アシュアはより逃げやすくなるはずだ。「アシュアを救うのに手を貸してほしい」とラスティンに言えば、文句は出ない。むしろ喜んでクランメンバーを引っ張り出しそうである。彼らの実力であれば、自分たちが片づけられる程度の魔物列車など簡単に引っ張ってこられるだろう。王都周辺の魔物程度であれば、多少の数も何とかなるはずだ。更に、アシュアが脱出次第、一角獣の面々も東門に加勢へ向かえば、王都へ被害が出ることはまず、ないと思われた。
『あんまり腕がよくない連中が回されたら、被害が出るかもなー』
『まあ、聖騎士様なんだし? 回復神術くらい使えるんじゃないの?』
『おいおい、オレだって使えないんだぜ? あの連中に使えるわけないだろ』
『聖騎士っていったい……』
シリウスとソルシエールが、大神殿からやや怖い予想を立てる。よって、東門にはフィニア・フィニスとセルウスが先に向かい、魔物の数や討伐状況などを逐次報告することになった。多少手伝ってもよいが、回復役が不在のため無理は禁物、と注意が飛ぶ。
エスタトゥーアは双子姫が覚醒次第動くと伝え、火力が必要な場所に向かうということになった。
各自の役目が定まると、次の行動は早い。
大神殿で待つ聖女候補が、これだけの事実を知った時にはどんな顔をするだろうか。
そこで、ふと思い至った。神官服に似たイメージで作成すれば、大神殿に突入した際に役に立つのではないか。トゥニカや貫頭衣であれば、縫うのにそれほど時間がかからない。
クランメンバーの術衣などの服を縫いまくったおかげで、裁縫師のスキルマスタリーもかなり上がっている。それにより、エスタトゥーアは、派生スキルも幾つか得ていた。特に活躍しているのは、『チャコール・ペンシル』で指定した個所を切る『裁断』や、一定の作業をコピーして自動的に繰り返せる『複製』、服の縫い目を解く『分解』である。
出来上がった下着をふたりに身につけさせ、いよいよ衣装の製作に入る。
安価な低レベル装備の術衣を『分解』したものに直接、『チャコール・ペンシル』でデザインを変更していく。これが型紙代わりになるのだ。
何となく、三人分の布素材を裁断し、製作を開始する。色は白と赤、双子姫と舞姫で色合わせを変えて……。
エスタトゥーアの手は、休まることを知らないように、ただひたすら動き続ける。
金糸の縁取りを終えて、彼女は気付いた。
――この服……一角獣の酒場には、合わない?
めでたい紅白の衣装は、纏う者の目覚めを待つばかりとなっており……娘たちを見て、その衣装のイメージを重ね合わせた親馬鹿は、一着しか着替えがないのは論外と結論付け、とりあえずあとでまた他の服を縫おうと心に決めたのだった。




