閑話 人形遣いと双子姫 ~戦いのち、戦い~
その指先が術式刻印の上を滑り、術句によって雷を宿らせた。雷の魔女の心のまま、放たれた投刃は魔駝鳥の翼を貫く。雷撃により麻痺を起こし、魔駝鳥はそのまま地に倒れた。巫女装束を纏ったソルシエールは、自らの加護の守りにより僅かに帯電し、空気に火花を散らしている。
「へえ、さすが」
自身も地犀に剣技でとどめを刺し、シリウスは長剣を構え直す。ホルドルディール戦では死にかけていたので、ソルシエールの戦いぶりをまともに見るのは、実質、これが初めてだった。
地狼は戦利品たる地犀の角を咥え、次いでもう一体の地犀へと体当たりを仕掛けに走った。ユーナは追撃ができるようにマルドギールを持ち、駆け出す。
倒れた魔駝鳥から投刃を引き抜き、ソルシエールはシリウスに問う。
『任せていい?』
『ああ』
遠距離でHPをできるだけ削り、接近戦に持ち込む時には幾何かのダメージを与えれば落ちる。その調整を入れつつ、ソルシエールはまた投刃を放つ。残された魔駝鳥の麻痺が解ける前に、シリウスはとどめを刺した。動かない的なので、振り下ろすだけの楽な仕事だ。
電光石火、アルタクスの爪が地犀の肌を抉り、体当たりで横倒しにする。ユーナはマルドギールで眼を狙い、そのまま顎先まで体重をかけて突き通した。瞬間、地犀が砕け散る。その向こうに見えた新たなる敵影目掛けて、ソルシエールが刃を打つ。
シリウスは魔駝鳥の戦利品を拾い上げ、慌ててその背を追った。この調子では、マイウス周辺の雑魚を一掃するのにそれほど時間はかかるまい。
実際、ある程度敵影が多くとも、地狼の先制攻撃とユーナの追撃を組み合わせ、更に雷魔術の恩恵で数に訴えられるより早く倒せる。この地域の魔物は、シリウスの剣技であればほぼ一撃で沈むというのも安全策のひとつだった。おかげで、使用する回復薬の数はかなり抑えられている。
そして、マイウスに程近いこの場所なら、致命傷を負ったとしてもすぐに町へ戻り、今なら施療院へ駆け込むこともできる。久々に訪れた闇市場で悪名も高いマイウスだが、あの一件のあと、速やかに常時薬術師と神官が駐留する立派な施療院が作られたと聞いている。町長やサーディクがファーラス男爵と掛け合った結果だろう。
変わっていく幻界。
バージョンアップの解放感や、結盟による連帯感、そして新しい結盟の館の改装と、目まぐるしい分だけ、楽しさと心地よさが増す。
太陽がやや傾きかけてきた。シリウスは時計を確認し、本格的に地狼へ斥候を頼もうかと考えつつ、長剣を振るった。
現実時間にして昨日、ユーナはシリウスに連れられてフィニア・フィニスらを共に、魔蟻の巣を相当数潰した。
その異様な数の理由は、ひとえに不死伯爵の活躍である。闇に閉ざされる巣の中は、彼の得意とするフィールドだった。彼自身の愛剣ローレアニムスが戻ってきたことで、それは拍車をかけたと言ってもよい。途中から、巣を見つけた後は不死伯爵をひとり突撃させたくらいである。その後別の巣を見つけてボス部屋へ向かっていると、早々と女王蟻を倒した不死伯爵が追い付いてくるほどだ。もちろん、巣を見つけるまでそこそこ時間がかかるのは言うまでもないが、殲滅が早い理由には魔剣ローレアニムスの存在もある。魔剣となったローレアニムスにはHP吸収効果があり、不死者である不死伯爵も自己回復可能となっていた。まさに無双である。
おかげで、ユーナがログアウトするまでに十を越える宝珠を集めることができた。今となっては酸以外はさほど怖くない蟻相手なので、そこまで集めても経験値的にはレベルが一つあがっただけだが、十分すぎる成果である。
そして、アップデート二日目となる今日、アシュアはログインしているものの、やはり一角獣の酒場には戻ってこなかった。用事なのか仕事なのか、ログインしていない面々も多く、テーブルにはたった四人しかいない始末である。ちなみに、足元に一頭、地狼はいた。
冷えても美味しいマールテイトのパンを朝食にかじりながら、今日の予定を相談し――ソルシエールがいるため、魔蟻の巣は避けることに自然となった。王都近辺はまだ未知数で、少人数で行くには危険すぎる。では転送門で少し戻って……と、いう話になり、そこでユーナはマイウスのクエストボスを撃破したことがないと思い出したのだった。
倒したことのないクエストボスならば、多少推奨レベルより上の者がレイドで倒しても許されるだろうとマイウスに跳んだのである。ちなみに、日中であるため、そして一角獣の酒場の改装工事を見守るため、不死伯爵には留守を任せている。地狼とは全く違う形の、従魔は、頼り甲斐がありすぎて申し訳ないほどだ。
マイウスのクエストボス、地牡牛。
地狼の警戒スキルに期待して斥候を任せた結果、その姿は比較的早く発見することができた……というよりは、発見されたというほうが正しい。地狼の接近に気付き、エーデノウトは唸りを上げて地狼を追い掛け回し始めたからだ。灌木が多いあたりまで引っ張れという剣士の指示を伝えると、その方向へと地狼の光点が動く。希望通りの場所で遭遇することができそうだ。運良く、他のPTの姿も見えない。
小型バス並みの焦げ茶色の牛に、角が四本生えている。その姿を遠目で見て、ユーナは自分のマルドギールを見た。穂先が刺さるのだろうかと思うほどのサイズである。
『アルタクスが通過したら、よね』
『ああ。アルタクスは大丈夫なんだよな?』
『うん、引き離さない程度に走ってるみたい』
攻撃のタイミングを問うソルシエールは、灌木の陰に身を潜めている。PTチャット越しに聞こえる声音に、念のためシリウスは確認した。別の灌木の陰に座り込むユーナは応えつつも、視線を地狼から離さない。
『見た目でかいけど、ホルドルディールほど賢くないから』
シリウスの説明を聞いても、基準がおかしすぎてよくわからなかった。
ホルドルディールはこちらを認識し、殲滅するために的確に攻撃手段を選んでいた。守るべき場所があり、そこに向かおうとする者をすりつぶしてきたのだ。それより幾分どころか相当ランクの下がるクエストボスではあるが、エーデノウトもサイズだけならホルドルディール以上である。
灌木の合間を、地狼が駆け抜ける。
ソルシエールの前を過ぎた直後、彼女の手元が閃いた。
「雷光網!」
術句が、投刃を中心に輝く網を広げる。その正面から、エーデノウトが突っ込んだ。電撃が身体中を走り、絶叫が上がる。ソルシエールが宙を舞う。白い足袋に見立てた白い長靴が、痺れたエーデノウトに突き立つ投刃を更に深くへ押しやるように蹴り込み、離れる。
その瞬間、バチバチという音が強く響き、止んだ。
雷魔術の影響が消失したのだ。
方向転換して戻ってきた地狼が、エーデノウトと交錯する。鈍い音と共に、エーデノウトの角が一本、へし折れて飛んだ。長い傷が頬から頭部まで走っている。エーデノウトの意識が、後方へ下がる地狼に向く。そこを狙って、シリウスが斬り込んだ。反対側の角をまた一本奪うように、頭部の一部が耳ごとこそげ落ちる。更に剣は翻る。振り下ろされた刃は方向を変え、顎の裏から右肩、その後ろまで血の線を描いた。
エーデノウトは吠えた。
その体格故に、咆哮も大きい。だが、ユーナは身を震わせることなく、エーデノウトの様子を窺っていた。咆哮にはある程度慣れている。森狼王やホルドルディールのほうが、余程怖かったくらいだ。地狼はよく唸っているし。
シリウスとソルシエールがエーデノウトの後方へ走る。エーデノウトもまた、自身を攻撃した者を追うべく巨体を揺らす。走り出す前でなくてはならない。ユーナは灌木の陰から駆け出した。両手でマルドギールを持ち、その後ろ姿へと突撃を行う。狙うは、後ろ脚だ。膝から斜め上へ斜めに突き刺す。腿にまで到達した一撃は深く、エーデノウトは反射的にその後ろ脚を振る。マルドギールは、エーデノウトの腿肉に食い込んだまま奪われた。無造作に振られた脚が、ユーナの視界に飛び込む。その時、彼女の身体が、突き飛ばされた。灌木の茂みへと背から落ち、小さな葉っぱまみれになる。衝撃に耐えつつ、身を起こす。それでも、あの一撃を顔面から受けるよりは良い。そう思いながら、自分の前に立つ地狼を見る。
「ありがと」
【来るよ】
間一髪助けてくれた従魔が、警戒を顕わに唸る。エーデノウトはユーナのマルドギールを後ろ脚に生やしたまま、自身を傷つけた者――ユーナを攻撃対象とし、勢い良く駆け出した。
速い。
後ろ脚に傷がなければ、ユーナが認識するのはもっと遅かったかもしれない。
だが、地狼の反応速度のほうが速かった。地狼は主の首筋に牙を引っ掛け、投げる。心底慣れてはほしくない動作に、ユーナは声もなく宙を舞った。空が見える。落ちた先は漆黒の毛皮の上で、両手が空いているのでしっかりと毛皮を掴むことができた。
風が頬を打つ。髪が煽られる。
「――雷迅光!」
後方から響いた雷の巫女の声音。続く雷光、地響き。
そして、急に地狼は足を止めた。
『うわ、オレ出番マジでないし……』
『い、今のは本当に、偶然でっ! ごめんユーナ! マルドギール大丈夫!?』
振り向いたユーナの視界にあったものは、雷を落とされ、焦げ臭い匂いを放つエーデノウトと、その避雷針になってしまったマルドギールの姿だった。じわり、と真っ赤だった地牡牛のHPが減り、黒に変わった途端、それは砕け散った。
光の柱がソルシエールに立つ。
光の破片と共に転移石を受け取ると、ユーナは地狼から降り、エーデノウトがいた場所まで進んだ。そこに一本の短い槍が、確かに残っていた。少しおびえながら、マルドギールをそっと指先でつっつく。帯電していないとわかり、ようやく拾い上げた。クエストボスを倒すほどの火力を受けたにも関わらず、その短槍は僅かに耐久度が落ちてしまっただけで、それ以外の異常は見当たらなかった。
『己が心を解き放て、我が友よ』
ふと、『聖なる炎の御使い』のことばが脳裏に蘇る。
赤い宝玉の煌きは、イグニスから譲り受けた時から変わらない。
そこへ、駆け寄ってきたソルシエールが、心配そうにユーナの手の中を見る。慌ててユーナは口を開いた。
「あ、ちょっと耐久度減っただけ。大丈夫みたい」
「そう? ホントに? ごめんね……」
「結構丈夫なんだな、その槍。まあ、気になるなら、エスタが戻ったら修理頼めばいいよ。鉱石はセルヴァがうじゃうじゃ取ってきてたし、へーきだろ」
双子姫のために、借金返済のために、クランのために。
いろいろと忙しいはずのエスタトゥーアに、またひとつ仕事を頼むのは気が引けたが、ソルシエールの「そうしよう! ね!」という後押しに、ユーナはつい頷く。
マルドギールの赤い宝玉は太陽の光を受けて、その色合いにより深みを増していた。




