閑話 人形遣いと双子姫 ~子らの未来を夢見て~
不死伯爵が「はい」へと指先を滑らせると、エスタトゥーアのPTへと加入した。表示が切り替わり、主と地狼の名は消える。その瞬間、驚くほどの虚無感が圧し掛かり、彼は目を瞠った。
『どうかしましたか?』
『――いや』
従魔としての本性だろう。
従魔となる前、従魔使いとなった彼女と再会した時に感じた魅了効果といい、主たる存在が如何に従魔にとって大きいかがわかる。異常なまでの執着だ。傍にいることに慣れてしまって、殆ど忘れかけていた感覚である。
怪訝そうに問う人形遣いに、アークエルドは何でもないとかぶりを振った。
これから先、別行動を取る機会もあるかもしれない。そう思えば、戦場ですらない穏やかな酒を酌み交わす場で、別PTとなる体験ができたことは僥倖である。
彼女が自身から離れたわけではない。ほんの一時だけ……。気にするなと自身に命じて、意識をテーブルへと戻す。彼の矜持にかけて、この事実を知られるわけにはいかなかった。
短い吐息が、空気を揺らす。
それに合わせるかのように、骸骨執事が無言で酒を注ぐ。その音や、くるりと瓶を回す所作を眺めつつ、苛立ちを取り繕った。かつて、彼の屋敷でもよく見られた光景だった。骸骨執事が一礼して、その場から下がる。厨房に姿を消したので、おそらく酒肴の用意だろう。
少し盃を傾けると、遠く酒精を感じた。
エスタトゥーアの手が、ふとテーブルの下へと隠れる。次いで現れたのは、あの従魔の宝珠だった。大切そうに並べられた半球は二つあるが、片方にだけ翼のようなものが見えた。エスタトゥーアに託す時に初めて、不死伯爵も気付いたことである。半球のどちらに、どちらの姫が封じられているのかはわからないままだ。
『カードル伯――あなたは以前、この子たちの父であるフォルティス王からの伝言を下さいましたね』
アークエルドは頷いた。我が子らを忌まわしき軛から解き放ちたいという一心で、フォルティス王は彼女たちを封じたのだ。そして、自分が誓ったことばは、今も生きている。
『この中にいる子たちがあなたと同じ、元は人間であると伺った時、わたくしはやはりできるだけ人に近い身体で目覚めさせてあげたいと思いました。従魔の宝珠に封じられた心が、本来の身体ではないもので目覚めた時、記憶まで残るかどうかはわかりませんが……できるだけのことはしたいのです』
『あー、だからエスタ、クマのぬいぐるみ案とか却下なんだね』
舞姫のことばに、エスタトゥーアはふふっと笑うだけだった。その表情が、翳る。
『人形師マリオーンの自動人形は見事なものでした。触れることはできませんでしたが、あれだけの質感であれば、見た目は殆ど人と相違ありません。あのガラシアほどの自動人形を作り上げることができれば、きっと……』
不死伯爵もまた、人形師マリオーンの工房で見た自動人形ガラシアを思い出した。妙齢の女性であったが、確かに人と見分けがつかなかった。特に、目が閉ざされていたことも大きかったかもしれない。
エスタトゥーアが息を吐く。その呼吸はさすがに酒精を感じさせるもので、彼女がまったく酔っていないわけではないのかとアークエルドに気づかせた。そして、彼は最悪のシナリオが進んでいるのかと問う。
『従魔の宝珠が必要だと?』
『いいえ。それを手段として選ぶつもりはありません。ですが、この話をすればユーナさんは気に病むでしょう。従魔使いに関する情報はわたくしもある程度存じておりますが、彼女ほど幸運に恵まれていながら、その特権を生かそうとしない方もめずらしいですね』
返答は滑らかで、エスタトゥーア自身の心をそのまま述べているように思えた。不死伯爵は主をこの場に残させないように促したエスタトゥーアと、離れさせた地狼に、感謝を捧げる。
『ユーナ、すっごく気にしてたよね。アルタクスを宝珠になんかさせるはずないのに』
『――わたくしも、あなたが死にかけた時には何もできませんでしたよ。あの時、メーアを助けてくれたのは、アルタクスとユーナさんです』
エスタトゥーアの声音は、とても落ち着いていた。その深紅のまなざしが、舞姫へと向いている。瞬きひとつせず、薄桃色の瞳はそれを見返し――何かを察して、視線を外し、表情を歪めた。
『……ごめん。無神経だった』
『事実だろう? それに、アルタクスについてそう考えてもらっていることには、私も有難く思っている』
メーアの謝罪に、不死伯爵は表情を微かに緩めた。自分の知らない主の出来事を聞くだけでも、喜びと寂寥が胸を過ぎるのだと知る。
『あの時、初対面だったのになあ。ホント、ユーナっておひとよしだよ』
『ふふ、そこはあなたもですから、ひとのことは言えませんね』
メーアは頬杖をつき、熱っぽく息を吐いた。それすらも薄桃色めいている。
エスタトゥーアは視線を宝珠へと落とした。
『従魔の宝珠は準備できませんが、先ほどシリウスに頼んだクエストボスの報酬の魔石で……【合成】を試してみようかと思います』
『シンテジス?』
『薬術師のスキルに調合というものがありまして……合成はその上位スキルですね』
素材同士を合成することにより、上位の素材を生み出すという。
それにより、通常の魔石であっても、より上位の宝珠となる可能性があるらしい。
不死伯爵は、エスタトゥーアとメーアから、現在の人形師ギルド代表たる人形師ダロスの話も聞いた。マリオーンに作られたガラシアと、既に故人であるガラシアのことを聞き、彼もまた従魔の宝珠に封じられた双子姫を思い出さざるを得なかった。同じ熱病に襲われたにもかかわらず、双子姫の魂は残り、ガラシアは旅立ったのだ。そして、泉下の彼女を別の形で取り戻すほど、マリオーンの思いは深い。
そして、この件で彼もまた学んだ。力あるものとしてすぐに従魔の宝珠の名が挙げられるほど、それは市井でも知られるほどの伝承の品なのだ。エスタトゥーアの、「従魔の宝珠でもない限り」と言い出した人形師ダロスを安易に責めることはできないという考えには、頷いて同意を示す。
『どれだけ従魔の宝珠に近づこうとも、従魔の宝珠ではないという形でマリオーンには拒絶されるかもしれませんが……彼にとっては、ガラシアが目覚めることがもっとも重要でしょうから』
『うんうん。私もセルヴァと鉱石を取り終わったら、宝珠集めもがんばるよ』
『頼りにしていますよ』
『――人形遣いよ』
呼びかけに、エスタトゥーアは機嫌よく笑みを深める。小首を傾げて、話の先を促した。
不死伯爵は少し迷い、ことばを続ける。
『不死者たる私が口にするのもおこがましいが、やはり、あの人形師マリオーンは危険だと思う。ガラシアを目覚めさせるために訪れるのであれば、なおのことだ。本人でないとわかれば、何をしでかすかわからぬ』
エスタトゥーアは笑みを消し、深く頷いた。
『ええ、それでも……わたくしは自動人形を知りたいのです』
そのことばを聞き、舞姫もまた、帯の中から双剣を取り出し、にこにこと笑みを浮かべつつ手の中で回してみせる。
『まあ、敵になったら――斬るよ』
薄桃色の目を据わらせ、さらりと言い放つ物騒な双剣士に、エスタトゥーアはそろそろ寝なさいと言い放ったのだった。
 




