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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第十章 聖女のクロスオーバー
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閑話 心が揺れる ~おばばさまの独白~ 後編


 王家の霊廟で眠りにつき、目覚めた時には同じ敷地の貴賓棟へ移っていた。

 熱病を外に出さないための処置であること、一両日はこちらで云々という聖騎士の話を聞いたが、以前も罹らなかった病である。自身が罹っていたのならば、あの時は喜んで熱に身を委ねたかもしれない。では今はどうかと考えて、そもそもの発症の可能性の低さに思考を止めた。にもかかわらず、青い髪の神官は、こまめに容態を尋ねに来た。手を握り、具合を問う様子に、問題ないと応えるように手を握り返した。その声音が自身に向けられたものと、聖騎士に向けられたもので大差があり、彼女の中の、聖騎士への……大神殿への嫌悪を感じさせた。それでも診察を行ない、聖騎士が熱病に倒れた時にはよく看病していたのだから、大したものである。

 食卓には見知らぬ交易商が増え、神官以外の娘御たちは姿を見せなかった。熱病に罹ったのだという。その顔触れも、時が経つにつれ変わった。体力が落ちる前に特効薬を服用すれば、熱は下がる。戻らないことを心配するより早く、発症した者も特効薬と回復神術によって熱が下がったようだ。かつてのことを思えば、驚くべき速度で床から離れ、食卓へ戻ってきている。

 だが、あの娘だけは、戻らなかった。

 よもやと思ったが、娘の名は食卓でも上がる。すると、様々なものが目に映った。並べられた食事から彼女と従魔シムレースの分を取り分ける様子が見え、最悪の事態に陥っているわけではないと安堵した。甘いものを好むようで、特に果物のジュースを多めに持っていく神官の姿があった。飲みやすいようにと水を柑橘系の果物で割る交易商や、それを飲みたがる狩人の娘御、同じものを作る努力を重ねたものの、結局果物をダメにしてしまっている従者……まるで監禁されているという事実を忘れてしまっている光景に、気持ちが和む。

 しかし、その光景を見られたのも、僅かな間だった。

 白幻イリディセンシアを身に纏い続けた影響は倦怠感や睡眠時間の長さという形で表れ、老衰という事実を浮かび上がらせた。待ち望んだ状況ではあるが、それでもまだ時間はあるようだ。


 一目、逢えないだろうか。


 そう思った時には、聖騎士より馬車の準備ができたと告げられていた。

 もはや、時間の流れすらわからない体になっていたのだ。いつ食事を摂ったのかも覚えていない。もともと空腹を感じなくなりつつあったのは確かだが、食事を摂った記憶はなかった。遠い過去はすべて覚えているのに、「つい先ほど」を思い出せないのだ。

 青い髪の神官が、見知った顔が、ぼやけた視界の中で別れを口にする。

 あの娘はと視線を彷徨わせると、ようやく見えた。紫のまなざしが、弱弱しくこちらを見る。まだ病み上がりなのだ。熱が下がったのは、つい今朝のことだと聞いた。剣士に身体を支えられて、食事の間へと姿を見せたようだ。すぐに椅子へと座り、深く溜息をついて頭を振っていた。その足元へと、地狼が侍る。


「まだ休んでたらいいのに」

「んー、でも、もうおばあちゃん行っちゃうって……またねって言いたくて」


 呆れた口調で言う黄金の髪の子どもへ、まだ疲れが残る様子でありながら従魔使い(テイマー)の娘は答えた。再会を求めることばに、心が揺れた。

 が。

 聖騎士マリスは、即座にこの身体を抱き上げた。


「こちらは先に戻るが、貴殿らにも王都まで馬車を用意してある。旅立ちの準備が出来次第、扉を守る聖騎士にその旨を告げるがいい。ご苦労だった」

「――お気遣い、痛み入ります」


 交易商が頭を下げる。

 聖騎士はすぐに踵を返した。


 視界からあの娘の姿が消えた途端、世界が暗転した。

 そして、ふと気づくと、大聖堂に戻っていたのだ。


 最早、意識すら喪失してしまうのかと。

 「その時」が近づくのを恐れたのは――初めてだった。





 大聖堂のステンドグラス(ヴィトライユ)の前に、この身体を置かれることが多くなった。

 自身の異常を、大神殿の者たちも察しているのだろう。食が細くなるだけではなく、眠る時間が長くなり、その回数すらも減った。

 刻一刻と近づく「終焉」は、待ち望んでいたはずなのに、何故か胸は痛んだ。思い出す記憶が、愛しさよりもせつなさを呼ぶのだ。もうすぐ逢えると思えば、本来なら喜びで胸が満ちただろうに。


「お待ちしておりました、青の神官アシュアよ。あなたこそ、我らの待ちわびた聖女です」


 そのことばに、視界が一瞬、像を結ぶ。

 青い髪の神官についてはよく覚えていた。あの娘と同じようにこの姿を「おばあちゃん」と呼び、皺ばかりの手を柔らかく握ってくれた時間は、運よく「つい先ほど」に含まれていなかったのだ。


「『聖なる炎の御使い』のことばを聞き届けたあなたこそ、『聖女』たるに相応しい……」

「――これより、『聖なる炎の御使い』と『聖女』候補たる神官アシュアには、潔斎に入っていただきましょう」

「……『聖なる炎の御使い』よ、どうか今しばらく、塔にお入り下さい。『現在』を司る時の塔であれば、少しでもあなたをこの時に押しとどめられるやもしれません……」

「『命の神の祝福を受けし者』もまた、あなたのために祈りを捧げておいでです」


 言葉の意味を理解することは、できなかった。

 脳裏に浮かんだ細やかな期待に、ただ歓喜していたのだ。


 ここに、この神官がいるのなら。

 あの娘も、訪ねてくるのではないか。


 最期に、逢えるかもしれない。

 ――神の祝福そのものに、もう一度。


 過去の夢を見るのではなく、未来への期待を夢見たのだ。




「おばあちゃん、私帰るんだけど、おばあちゃんも来る?」


 王家の霊廟で発したことばによって、彼女自身までも大聖堂に閉じ込められることになったと知った聖女候補は……何故か、奇異なことを尋ねてきた。

 目は像を結ばない。しかし、その存在を感じ取ることはこの身体にでもできた。握られた手は、階段を駆け上がってきたのか、かなり熱を帯びている。

 怒鳴り声が聞こえる。

 ああ、だがもう……そのことばの意味は、とても難しかった。聞こえるのに、わからないのだ。頭が理解しようとしない。あたたかいことばだったと思うが、今はひとりにしてほしかった。

 もうすぐなのだ。そう、長くはない。終わりは見えている。あと少し。


 あきらめが胸を埋め尽くした、その時だった。


 閃光が、落ちてきた。

 融合召喚ウィンクルムの存在感が、一気に意識を呼び戻す。終わりへと向けて歩き出していたはずが、白く濁った目すらも、彼女の姿を求め、絆の化身を映し出した。

 眩しかった。それでも、目を離せなかった。


「おばあちゃん? だいじょうぶ?」


 聞きたかった声を聞いた。

 聖印の在処を問われ、祈りの先へと視線を向けた。

 大聖堂の現在を司る塔、命の聖印の扉、二重螺旋の階段の下が何なのか――そう考えようとして、思考がまた飛ぶ。


「おばあちゃんも、一緒に行こ?」


 ここまで長く、この身体のままでずっと生き永らえてきたのは何のためだったのか。

 無数の死を見送り、ようやく自分の順番が巡ってきたこの時に、何故彼女はそれを言うのか。


 責めることばを内なる自分へと発したのは、確かに己であったはずだ。

 だが、頷きを返したのもまた自分自身だった。すべてを解き放つためにも、それが必要だと思った。


 きっとこの時、選んでいたのだ。

 終焉へと向かう命を選ぶか。

 また新たなる生を選ぶか。


 細い、今にも切れそうな命であったはずなのに、ことばは口からきちんと音となり、最後の力とばかりに白幻イリディセンシア白炎ブランカを操ることができた。もう一歩も歩けないと思っていた身体ですらも、動いたのだ。


 命の神の祝福が、身を包んでいるようだった。


 術の反動はすぐに訪れるだろう。それは命の終焉であり、間違いなく生別の扉は開かれる。

 迷いはなかった。死が互いの世界を分かつのであれば、魂の残骸が礎のひとつになることなど大したことではない。

 しかし、『命の神の祝福を受けし者』たちは、命を費やして扉を開くのだと知り、全力で拒否し始めた。

 不死者アンデッドたる従魔シムレースまでもが聖域に現れ、血の気が引く。

 何も失わせるつもりはないのだと、この場にいる誰もが理解しようとしなかった。


 意識を灼かれるほどの痛みを受けなければ、剣士はこの老いぼれを離そうとしなかった。

 どんな手段を使っても、命を対価にすることは許さないと、神官は言い放った。

 既に死んでいるのだからと、命を差し出す不死者アンデッドがいた。

 命を奪う水の上へと躊躇いなく足を進め、魔術師は怒り狂った。

 白幻イリディセンシアを破るために水霊ヴァルナーを喚び出し、魔力を急激に失って意識が朦朧としているだろうに……それでもなお従魔使い(テイマー)は泣き叫んだ。


「一緒に行こうよ……こんな、とこでお別れなんて、イヤだよ……っ」



 心が揺れる。



 火霊フォティアの眷属が、訴える。

 ――生にも死にも縛られぬ、至高の幻獣不死鳥(フェニーチェ)よ……あなたは自由だ。



「――わかっておるよ。我が心、偽るつもりはない。

 うら若き従魔使い(テイマー)よ、そのことば、ゆめゆめ忘れるでないぞ」



 終焉を迎えよう。

 白炎ブランカによる死は、再生へと続く。

 この命脈の泉は、本来、不死鳥フェニーチェの聖地。

 転生エンカルナシオーのための場なのだから。




 愛しいひと。

 あなたは許してくれるだろうか。


 もう一度、あの空を飛ぶことを。

 あなたのものではない肩で、羽を休めることを。



 その答えは、遥か昔に与えられていたのに。

 ようやく気付くことができた。

 伝承として、今なお残る、あのひとのことば。



 何があっても、きみは自由だからね。



 ずっとずっと、あなたを思い続けることが自由だと思っていた。

 だからこれからも、あなたを思い続けることはやめない。

 ひとつの生をあなたに捧げ、次なる生を新たなる主に捧げ――生きていこう。


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