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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第十章 聖女のクロスオーバー
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命を選ぶか、生を選ぶか


「戻るぞ」


 何を問うでもなく。

 老女の発言に、剣士シリウスは彼女を抱いたまま身を翻した。当然の如く、一同も祭壇に背を向ける。

 しかし、その視界に、あるべきはずのものがなかった。

 泉の中央から、橋が消えていた。仮面の魔術師の舌打ちが水面を空しく滑っていく。


「ちょっと、そういうのは先に言ってよ!?」


 巫女ソルシエールの怒鳴り声が室内に響く。老女は肩を揺らして笑った。


「何も、そなたたちに犠牲を求めてはおらぬ」

「バカ言わないで」


 神官アシュアの声が低くなった。本気で怒っているのだ。

 ユーナは地狼を見た。


「アルタクス、橋、もう一個作れそう?」

【無理。この石、動かない】

「じゃあ、あっちまで跳べる?」

【それならできるけど……何か意味あるの?】


 助走込みでなら、祭壇から対岸にまでは戻れる。だが、意味合いを正しく受け取った地狼は「ひとりで戻ってもしょうがない」ことを指摘した。一応、ユーナは粘る。


「あっちに何か仕掛けとかあったりするかもじゃない?」

【わからないし、ユーナから離れる気はないよ】


 結論には対抗できなかった。

 しかも、地狼アルタクスは唸り声を上げながら、老女を睨んでいる。『聖なる炎の御使い』はしわしわの顔を笑んでいるかのように見えた。


「まあ、泳げばいいよね?」

「この水は命を吸う。あちらまで持つかの」


 触るな、と言われた理由がわかり、軽く水泳を考えて小首を傾げたユーナは凍り付いた。

 老女は軽く、剣士シリウスの鎧に触れた。


「下ろしてもらえるか、お若いの」

「いや、ばあさん下ろしたらオレ、このまま泉に蹴り飛ばされそうなんだけど?」


 うちの聖女に。

 青いまなざしが鋭さを増し、剣士シリウスは老女の身体を抱き直す。

 その視界に、白い炎が上がった。

 老女の翳した手の中に、それが揺らぐ。


「下ろすがいい、お若いの」


 しわしわの手は何ら影響がないようだが、ただ老女を抱いているだけにも関わらず、剣士シリウスは聖騎士の鎧が融けそうな感覚を味わっていた。じっとりと汗ばむ身体、痛みに近い熱さ。歯を食いしばる様子に、老女は声を上げて笑う。


「ふふっ……若いのぅ」

「おばあちゃん!?」


 おもむろに、『聖なる炎の御使い』は自身を抱く籠手に覆われた腕へと、白炎を当てた。一瞬、聖騎士の籠手が白光を放つ。剣士の呻きが零れる中、老女は床に落とされた。左側の腕にあった聖騎士の籠手は、完全に失われている。


 装備破壊。

 HPこそ削れていないが、シリウスの守備力が減少した。


 ゆっくりと、『聖なる炎の御使い』は歩き始める。それは牛歩よりもなお遅く、しかし確かに前に進んでいた。

 ユーナは祭壇の中央へ向かう道筋へと立ち塞がった。その前に、地狼が入る。


「ダメだってば! おばあちゃんが死んじゃうなんてイヤだよ!?」

「扉を開かねばどうなるか、わかるじゃろうに……」

「そんなことのために連れてきたんじゃないわよ!」


 アシュアが叫ぶ。白銀の法杖を構え、いつでも神術を放てる姿勢で彼女はことばを続けた。


「癒しでも、聖域使いながらでも――何とかして戻りましょう。普通に出て、短剣使ってごねながら行けばいいわ。こんなところで鍵代わりに命使うなんてもったいないでしょうが」

「そうだよ! アークエルドだって、まだ全然、おばあちゃんと話してないのに……っ」


 従魔使い(ユーナ)の叫びに。

 影が動いた。


 しまった、と思った時にはもう遅かった。


 銀糸の刺繍が施された外套を翻し、は姿を見せる。擬装フェルリトゥルのままだが、HPなどのステータスは、一角獣の酒場(バール・アインホルン)で見た時よりも数値が落ちている気がした。

 薄い月色のまなざしが、『聖なる炎の御使い』を捉えた。


 ふぅ、と疲れたように老女は息を吐き、歩みを止める。


「心優しき従魔使い(テイマー)よ……その剣を収めておくれ。

 この婆とて、死にゆく姿を誰もに見せたいわけではないのでな」

「誰の命でも構わぬのなら――この命でも、よかろう」


 老女のことばを裂くように、アークエルドは感情の篭らぬ声を発した。

 白濁とした目が、偽りの生の輝きを映し出す。

 交わされたまなざしに互いを認めると――アークエルドは老女に背を向けた。そのまま紫水晶を捉えて微笑む。

 ユーナはかぶりを横に振った。何言ってるの。

 歩き出したアークエルドは、そのまま、ユーナの隣を抜けていく。


「何でこんなに死にたがりが多いのよ……」

「もう死んでいるからな」


 アシュアの法杖の前を素通りして、彼は歩き続ける。ほんの少しでもそれで叩けば、擬装中のアークエルドは化けの皮を剥がされ……聖域の中で、息絶えることを、アシュアは悟っていた。楽しげに言い返し、アークエルドはなおも進む。


 祭壇の中央。

 白い穴のほうへと近づく彼を止めたのは、また白炎だった。


「ならぬ、アークエルド。少しおとなしくしておれ」

「おばばさま……っ」


 アークエルドの正面に、白炎の柱が打ち上がる。

 咎めるように振り向いた彼は、一角獣アインホルンの面々の周囲に取り巻く白炎の渦を見た。少しでも身じろげば、その身体が白い炎に巻かれてしまう。蒼白になったユーナ(己の主)の姿に、アークエルドもまた動きを止めた。


「余計な力を使わせおって……すぐ終わる。待つがいい」


 息も絶え絶え、といった様子で、老女は声を発する。まるで身体を引きずるような歩き方で、一歩一歩前に進んでいく。全身で辛さを表しながらも、白炎は消えない。



 どうして、死ななければならないのだろう。

 いつかやってくる終わりを、今迎えなければならない理由なんて、ないはずなのに。

 それほどまでに、望んでいるの?



 彼女が白い穴の縁へと足を入れる。

 ユーナは、叫んだ。


「やだ……やだよ、おばあちゃんっ!

 ――満たせ純粋な水(ナキ・アーグァ)!」


 左手に込められた祈りに、水霊ヴァルナーが応える。水の霊術陣が宙に描かれ、滝のような水が白炎と重なる。水蒸気が発生し、周囲の視界を白へと包み込んだ。

 多少の水で、鋼を焼き尽くす白炎を止められるとは思っていなかった。それでも、渦から出る間だけ、ほんの少しでも火力を押しとどめられたら。


「来たれ方円聖域の加護キルクルス・サンクトゥアリウム!」


 アシュアの祈りが聖域を生む。アークエルドを除く、全員の周囲に聖域結界が張り巡らされた。

 ユーナはふらつく頭で、そのまま一歩前へ、痛みを覚悟して足を踏み出す。彼女を包む聖域結界は、容易く砕け散る。

 しかし、――悲鳴は上がらなかった。

 灼かれると思っていた痛みも、なかった。


 同時に、何かが床を打つ。

 耳を叩くような音に振り向くと、紅蓮の魔術師の術杖が、振り下ろされていた。

 老女の背が、震える。


「炎を織り交ぜた幻惑か、やってくれるじゃないか」


 苛立ちの声が響く。

 彼の姿は、何もない……命を溶かす水が揺蕩う泉の真上、空中に立っていた。

 そして、怒りのままに紅蓮の魔術師は術杖を撫で、術式を放つ。


「――炎の矢(ケオ・ヴェロス)!」


 一本の炎の矢が、命脈の泉の上を走る。

 白幻のバランスが崩れ、橋が姿を現した。


「少しも待てぬとは……困ったものよのぅ」


 困ったというよりも、どこかうれしそうに、『聖なる炎の御使い』は呟いた。

 白濁としたまなざしは、何を見ているのかわからなかった。

 あと少し、というところまでユーナが駆け寄った時、その開かれた両手に、それぞれ白炎を乗せる。


「おばあちゃんだって、待ってくれてないよ!?」

「もう、待ちくたびれての。死を待つよりはよかろうて」

「よくない!」


 両手でマルドギールを握り、ユーナはかぶりを振った。


「一緒に行こうよ……こんな、とこでお別れなんて、イヤだよ……っ」


 ぱたぱた落ちる雫が、マルドギールの赤の宝玉を濡らす。

 煌く炎の証に、『聖なる炎の御使い』は目を細めた。


「――わかっておるよ。我が心、偽るつもりはない。

 うら若き従魔使い(テイマー)よ、そのことば、ゆめゆめ忘れるでないぞ」


【テイム、並びに説得ペルスラシオン成功。

 名前を決めて下さい】


 出現したウィンドウと、流れたアナウンスに。

 ユーナは目を瞠った。


 そのさなかに、『聖なる炎の御使い』の手の上で、白い炎が踊り始める。


炎霊フォティアよ、新たなる我が主の前に道を拓き給え――」


 厳かな祈りの中、老女は赤い液体へ、小さな白を落とす。

 白い神官服に赤い帯を佩いた『聖なる炎の御使い』は、己の白炎の中へと呑まれていった。


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