伯爵
とっとと奥へ踏み込む……わけでもなく、その場にシャンレンは屈んだ。扉の下に何かを嵌め込んでいる。すぐに終わったのか、アシュアとユーナが開けた側の扉の下にも、それを嵌め込んでくれた。
「アンカーっていうんですよ」
例の、ボス部屋の扉を開けっ放しにするための道具である。単なるドアストッパーだが、仕掛けたPTが再びボス部屋を出るまでは耐えてくれるらしい。ダンジョン攻略のために必要な道具として、ユーナも記憶しておく。
改めて見た室内は星明かりに照らされた部分だけが薄明るく、相当視野が狭かった。辛うじて見えるのは、足元の絨毯、右手の先に大きな応接セット、奥にも何かあるような……といったところである。
「星明かりの加護」
神官の祈りに応え、星明かりが複数天井へと上がり、視界を確保する。別荘らしく天井は梁が丸出しで、その分とても高く作られていた。先ほどは月も星も見えない夜のような闇に思えたが、室内は星明かりに照らされて全貌を見せている。
そう。
部屋の主、カードル伯爵、その人までも。
「ようこそ、神官殿」
「覚えていて下さって光栄です、カードル伯爵。ノックもせず、大変失礼いたしました」
思ったよりも若い。低く落ち着いた声ではあったが、壮年というには早すぎるような男性だった。肩まで伸びた銀色の髪と、服装は中世西欧の貴族らしい重みのある生地をたっぷり使った膝下までのコートが印象的だった。細かく銀糸で刺繍が施されているのだろう。星明かりにどちらも煌いている。青白い顔貌は凛々しく整っており、歓迎のことばと裏腹に、表情は失せていた。不死者と、言われなければわからないのではないか。頭の上の名前は「カードル伯」となっており、未だに緑のままである。
アシュアは聖印を左手で刻み、法杖と交差させて少し膝を屈め一礼した。神殿でも見たことのある礼に、ユーナは改めて彼女の神官職を意識する。いつもの言動はまるで神官らしくないが。
転送門開放クエストとは別のクエストを意識しているのだろう。より神官らしさを表しているようにも見える。
「貴女は私を眠らせてくれた、最初の勇者だからね……忘れられるはずもない」
もたれかかっていた執務机から、カードル伯爵はゆっくりと身を離す。その動きにユーナが警戒し身を固くすると、彼はその薄い色のまなざしをちらりと向けたが、何も言わなかった。
「永遠の眠りにして差し上げられず、申し訳ありません。私の不徳の致すところです」
討伐したボスに向かって言うのも何だか可笑しい気がするが、アシュアは至って真面目に返している。そして、この流れでユーナもようやくわかった。カードル伯は、自身が不死者であることを理解しているのだ。その上で、眠りたいと語っている。要するに……滅びたいと。
「あの後も多くの方々が来てくれたよ。貴女のおかげだね」
「お騒がせしたのではありませんか? あまりお休みになられていないのでは」
「確かに、どちらかというと、残念な結果が多いかな」
応接セットの奥に、巨大な天蓋付きの寝台も見えた。寝室とは言え、ボス部屋のためだろうか、執務机から扉までの距離がかなりあり、この後の戦闘を予見させる。これまでの別荘の中とは異なり、この部屋は埃っぽくなかった。
「ずっと……ずっと、ここで考えているんだ。今もまだ」
凍てついた表情のまま、胸を軋ませるような低い声で、彼は吐露した。
「どうしてこうなってしまったのか……やらなければならないことは多くあったのに、もう何もできないんだ。考えることさえ辛くて、眠りたいのに、一人では眠ることすらできない」
右手で顔を覆い、目を閉じる。一連の仕草がどこか芝居めいて見えるほど美しく、表情は変わらないのに、カードル伯爵が追い詰められている様子が感じ取れた。
これは不死者の嘆きだ、とユーナが思い至った時、思わず彼に問いかけてしまっていた。
「どうしてですか? 本当に、何もできないんですか?」
そこで、初めてカードル伯爵は表情を驚きに変えた。実際はただ、僅かに目を瞠っただけだが、三人はそれに気づいていた。思ってもみない言葉に、アシュアもまた驚いてユーナに振り返る。
「初めてだな、そんなふうに訊かれたのは……」
最初と同じく淡々としていながら、どことなく、うれしそうに聞こえるカードル伯爵の声に、ユーナは身を乗り出し一歩前に出た。しかし、拒絶するように彼は首を振り、再びアシュアを見る。
「神官殿、また、私に眠りを与えてくれるのだろうか? 例え刹那でも構わない」
「正直なところ……印章をいただければ、戦いは避けたいのが本音です。貴方が強いことは、よく知っていますから」
「印章?」
ユーナの問いかけから、カードル伯爵に変化が現れた。
そう悟ったアシュアは瞬時に対応を変えた。本心で話せば、何かが変わるかもしれない。それは一縷の望みでもあった。先ほどの台詞は、本来そのまま戦闘に入ってしまう流れのもので、ユーナが断ち切ったおかげで生まれた機会は今しかなかった。
事実、印章が欲しいという願いを聞いて、カードル伯爵は困惑しているようだった。彼は執務机に目をやり、一つ頷く。
「貴女方も気付いただろうが、私は今、新しい変化を得た。その礼も込めて、印章を渡したいとは思う。しかし、その術は一つしかない。
私は眠りを求めている、貴女方は印章を求めている……」
その瞬間、鮮やかに彼の名が変わっていく。
――不死伯爵カードル。
眼差しも同じく赤へと変え、不死伯爵は三人を睥睨した。




