ただひたすら、あなたを
大聖堂内には、多くの光点が存在している。
大神殿から、祈りを捧げるために多く来訪しているNPCの集団と、神官職のいる旅行者のPTに紛れ、セルヴァは大聖堂と大神殿の境目までは潜り込むことができた。この中庭までは、特に許可も必要ないようだ。大聖堂に祈りを捧げる参拝客も多いが、どちらかというと、聖騎士が忙しそうに駆け回っているのが目立つ。
大聖堂への扉は閉ざされていたが、それでもこれほど近づくと、内部の構造はわからずとも、人の配置はわかった。
アシュアは確かにここにいる。
扉を隔てた向こう側で足早に動いている様子に、安堵した。いつもの彼女らしい。
――見つけた。
送信したメッセージには、すぐ返事があった。だが、「おばあちゃん」がどれなのかはわからない。王家の霊廟での一件は話では聞いているが、現地には同行できていない。当然、「おばあちゃん」には追跡光点がついていない。もう少し、「おばあちゃん」に関する情報を求めると、塔のどれかにいるという。
三本の尖塔が、東へと影を落としている。その傾きが、気を逸らせた。
セルヴァは塔を見上げ――笑んだ。三つの塔に、今、光点はただ一つしかない。
――中央に、アイコンが見えるよ。会いに行くの?
問いかけに、返事はなかった。ただ、彼女の光点の進みが早くなる。
『アシュアは中央の塔に向かってるよ』
『了解』
『あたしも急ぎます』
剣士と巫女からの返事に、弓手は中庭の木へと背をもたれかけた。そして、PTチャットに耳を傾ける。
『こっちも、ようやく話ができそうだ。シャンレン、大丈夫か?』
『間に合わせます』
『レインさんが衛兵の詰め所で待っててくれるそうです。たぶん、シャンレンさんを案内してくれるつもりだと思います』
『助かります』
『こちらも間に合いました。さっそく、大聖堂のほうへ向かってもらいましょう』
『わかった。待ってるよ』
紅蓮の魔術師が交易商を呼び寄せる一方、人形遣いは自身のほうへ戦力を回すという。
『外は大賑わいだけど、まだ聖騎士少ないなあ』
『プレイヤーのほうが多いかもしれませんね。眠る現実のメンバー、やけに増えてるような……』
黄金の狩人と盾士が東門周辺の状況を語り、計画が円滑に進んでいることを伝えてくれた。
無数の手が、ただひとりを求めている。
本人が知れば、烈火の如くに怒るだろうか。それとも。
またひとり、目の前を聖騎士が走っていく。全身鎧は白銀に煌いていて、使い込まれているようには到底見えない。金属音が離れていくのを聞きながら、弓手は時を待った。
白亜の城は、予告編でも見た。外見としては王子さまがお姫さまと舞踏会で踊っているイメージに違わない優美な城だが、やはり拠点らしく王城の周囲には城壁が築かれていた。地図を見ると東西南北に城門があり、転送門広場の北の城門館が正面にあたるようだ。
王城に入り、王子に謁見を申し込む。
ことばにすればこれだけのことだが、容易なことではない。何よりも、一介の市井の者が申し込んだところで、一笑に伏される。下手をすれば、怪しいと捕まってしまうかもしれない。
道すがらレインが聞かせてくれたのだが、貴族であっても公式に謁見を許されるまで、通常は数日かかるそうだ。状況によっては許されないことも当然ある。しかし、ファーラス男爵だからこそ、非公式であれば容易に王子に会うことが許されるそうだ。王子はたいへん闘技場が気に入っているらしく、ファーラス男爵アルテアと懇意の間柄だという。
『平たく言えば、世の中コネってことだね』
メーアのことばはファーラス男爵らには聞こえないはずだが、察したのかアルテアに睨まれた。何となく可愛く見えてしまうのは、カードル伯への憧憬が影響している感は否めない。
ユーナは馬車ごと転送門に入るという新鮮な体験を経て、まさにその城門館をくぐったところだった。途中、城門館で止められた折、ファーラス男爵の側近であるレインが先に降りて何事か衛兵と話していた。その間に、打ち合わせ通りメーアはここで馬車を降りて別れる。舞姫ならではのトラブルが王城で起こってしまえば、さらにややこしいことになってしまうため、シャンレンから交代を頼まれたのだ。レインが戻り、ファーラス男爵へ「では後ほど」と断りを入れると、再び馬車は動き始めた。
「聖女、か」
ぽつりとアルテアが呟いた。というよりは、聞かせる意思があるのだろう。馬車の中は、車輪の回転の音や馬蹄の音によってそこそこ賑やかだった。座席は詰め物がしっかり入っているので腰が痛くならないように配慮がなされているが、以前、セルウスが扱った風魔術があるわけでもないため、かなり揺れている。しかし、貴族ならではの他者に聞かせるための話し方だからこそ、ユーナはその呟きを拾い上げることができた。
「神官にとっては、何よりも得難い称号だろう。その娘も、本心では、聖女になることを望んでいるのではないのか?」
「そういう性格じゃないからな」
青の神官を取り戻したい。そのために、王子の意向を知りたいという願いは、アルテアにとってはさほど難しいものではない。ただ、大神殿と正面から敵対する意思は彼にも、当然、王子にも存在しない。カードル伯は「主の仲間を救いたい」ということばで表現したが、実際に十日以上戻らないとなれば、戻れないということを言い訳にしてこのまま時を過ごしたいのではないかとも考えられた。
だが、あっさりと紅蓮の魔術師はその言を否定する。
「アーシュは……その神官は、聖女になりたいなら、なりたいと最初から言っているはずだ。そのために手助けしろと頼まれていたなら、こちらも応援していたと思う。だが、本人にはあいにくとその気がないらしい」
「大聖堂から出してもらえないなんて、ひどすぎますよ!」
怒り狂うユーナを見て、アルテアは鼻白む。
「王家の霊廟を鎮めた功績として、これ以上の報酬はない。殿下も同じ考えだろう。貴様たちの言い分は通るまい。その交易商を交渉相手として呼んだところで、同じ理屈を繰り返すだけならば使えぬぞ」
朱殷の瞳と、肥沃な大地の色合いのまなざしが交錯する。
敵対しているわけではない。ただ、話の流れとして無理があるということを教えてくれているだけだと、ユーナにもわかった。変わらず彼の名は緑のままで、本心から忠告しているのだと察することもできた。
だから、ユーナは微笑みさえ浮かべて答えた。
「シャンレンさんは、きっと誰もが納得できる形で王子様にお話して下さいます。絶対!」
アルテアはユーナを一瞥すると、小さく溜息を吐いた。護衛騎士として同乗しているサーディクが、声を上げて笑う。
「おまえ、変わらないなあ」
【ユーナだからな】
マイウスの闇市場の主と、自身の足元に横たわる地狼と、双方に言われて、ユーナは顔を顰めた。意味はよくわかっていないが、褒められている気は何故かしない。
『あー、ちょっと間に合わなかったみたいですね。今から王城に、レインさんとご一緒させていただきます』
『ホント、タッチの差って感じ。っていうか、マジ足早いなあ。ステ振りなしだよね?』
『疲労度はもうとっくに黄色ですよ」
ゆっくりと王城の大扉の前で、馬車が停車する。そのさなかに交易商到着の報がPTチャットから入った。思ったよりも遥かに早い。やや息切れして聞こえる穏やかな声音は、それでもまだ彼らしい余裕が感じられた。
大扉に立つ騎士のひとりによって、馬車の扉が開かれる。まず、護衛騎士であるサーディクが降り、ファーラス男爵アルテアの来訪を告げた。無精ひげでもやる時にはやるようだ。次いで、アルテアが席を立つ。
「すぐに会わせてやる」
自信に満ちた敬いも何もないことばが放たれ、ユーナはその力強さに頷いた。
また一歩、彼女に近づいた気がした。




