待ち人
紅蓮の魔術師の言う通り、特別依頼が出ているようだ。アシュアの場合、大神殿で受注となるわけだが、わざわざ受注してから狩りに行かずとも、その内容――討伐時の戦利品によって支払うという類の依頼の、討伐対象――を把握しておけば、受注したものの遭遇せず失敗、を防ぐことができる。他にもスキル教練などの話も聞かされたが、今のところ、新しいスキルよりも、先立つ金銭である。早めに狩りに出なければ、と思っていると、見覚えのある聖騎士に声を掛けられた。
聖騎士マリス、である。
「アシュア殿、お待ちしておりました」
「あら、こんにちは。待ってたの?」
歓迎すら感じる声音に、アシュアは首を傾げた。もう聖騎士に用事はない。
先日、王都の霊廟の貴賓棟で寝食を共にした間柄ではあるが、はっきり言えば監視されていたのである。途中、彼自身まで寝込んでいたので、あまり監視の役目は果たせていなかったかもしれない。結局何人かが熱病を発症したが、回復は早かった。それは、青の神官は熱病に掛からなかったため、熱病の特効薬だけではなく回復神術を併用できたからだ。この併用もまた、当時の熱病の終息が早かったことに一役買っていたようだ。実際、缶詰めが三日程度で済んだのは僥倖である。
「『聖なる炎の御使い』が、あなたにお会いしたいと」
聖騎士マリスの物言いに、アシュアは顔を顰めた。丁寧を通り過ぎて慇懃に聞こえる。貴賓棟では、普通に話していた気がするが。
それでも、彼の口にした内容は聞き流すわけにはいかなかった。
「――本当に?」
「私はそのように伺っている」
王家の霊廟で過ごすあいだ、『聖なる炎の御使い』も貴賓棟にいた。そして全員が全快したと判断された日に、彼女は聖騎士マリスに連れられて大神殿へ戻ったのだ。気がかりと言えばそうだったが、アシュアたちにはどうすることもできなかった。墓室で語ったのち、老女は一切口を開かなかったからだ。沈黙の中で何を考えていたのかはわからないが、共に食事を摂っている時は表情が緩んでいた気がする。
そして、骸骨執事や不死伯爵はユーナの部屋にいたので、老女と関わることができなかったのも理由にある。ユーナが最も発病が早かったのだが、影にいる彼らへの影響を考え、神術の併用を彼女自身が拒否していたのだ。結果として回復がいちばん遅かったのも彼女になったが、その分、懇切丁寧な骸骨執事による看病が行なわれていた。実際、聖騎士マリスが足を踏み込めない場所という意味でも、ユーナの部屋は安全地帯であった。
最も親しい間柄である不死伯爵と話せず、やり取りらしいやり取りもないまま、「またね」と別れてしまったのは残念に思っていた。
だからこそ、その彼女が「アシュアに会いたい」などと言うはずがないのである。「ユーナに会いたい」のならば、不死伯爵に繋がるのでわかるのだが、この展開は妙だった。アシュアにしてみると「大神殿にせっかく来たから、顔くらい見られないかしら」とは思っていたので、ちょうどよかったのだが……陰謀めいた何かを感じてしまうのは否めない。
分かっていても、飛び込むしかないのが現状だが。そのことを早々と悟り、アシュアは溜息を吐いた。
「光栄なお話ね」
「では、こちらへ」
一人で来るんじゃなかったかも、と思ったが、当然後の祭りだった。
神官職が特別依頼を受けたり、教練を受けたりする場所は、大神殿のホールから通じる右手の扉の先にあった。それを逆に戻り、礼拝堂へ進む。今、祭壇には誰もいない。その礼拝堂の奥にある扉も抜け、外で見た尖塔のほうの建物へ進む。
聖騎士マリスの先導で、聖騎士が配された大扉が開かれた。アシュアはおもむろに命の礼を取った。足を踏み入れたことのない場所だが、地図では、「大聖堂」と表示されている。聖騎士マリスの先導でもわかるように、関係者以外立ち入り禁止である。それほど神聖な場所へ入ることを許されているのだ。礼は尽くさねばならない。
入ってすぐの足元には、ステンドグラスが大理石の床へと、白と青の光で絵柄を落とし込んでいるのが見え、その美しさにアシュアの表情が緩む。荘厳華麗ということばが似合う彫刻がそこかしこにあった。視線を奥に向けると、ただ一つ、赤に彩られたステンドグラスが最奥中央上に嵌め込まれているのに気づいた。他はどれも白と青を基調としているのに、それだけが赤い。
一目で、鳥だと分かった。王都イウリオスの南門上でも、王家の馬車でも、王家の霊廟でも見た紋章の大本になるものだろう。華麗なる赤い鳥は、空へと舞い上がる図案で描かれていた。
その真下に、彼女がいた。白い神官服に、赤い帯を佩いた――『聖なる炎の御使い』である。
となりに立つ者は、見覚えのある紫の帯を佩いていた。
「お待ちしておりました、青の神官アシュアよ。あなたこそ、我らの待ちわびた聖女です」
その言に、アシュアは目を伏せた。
――失敗した。
背後で、鈍い音が聞こえる。戻る扉が、閉ざされた音だった。
改装の打ち合わせの途中。
マールテイトが食材を大量に持ち込んだので、ユーナはここぞとばかりに手伝いを申し出た。ユーナに対しては昨夜からやや点数が辛めのマールテイトだったが、やる気は買ってくれるようで、今夜の料理に使う芋を洗う、たいへん名誉ある任務を与えられた。朝がブランチめいていたので、昼食はカットである。恐らく、酔っ払い……二日酔いたちは、もう何も食べたくないレベルだろう。
マールテイトは手袋を取ったユーナを手を見て、一瞬だけ視線をとどめていたようだった。やっぱり気になるものかなあとユーナが気落ちする間に、「とっとと洗え」と言い置いて、彼は別の作業に入っている。ユーナは洗い場に芋を出した。結果としては失格である。ひとつひとつ丁寧に洗おうと芋を撫でていたユーナを見て、マールテイトはあっさり厨房を追い出した。桶に入れた芋ごと井戸のほうへ放り出し、「ごゆっくり」と笑顔で告げる様子は怖かった。本当に怖かった。
井戸の傍で再び芋洗いを開始したユーナだったが、一向に泥だらけの芋はなかなか綺麗にならない。幾度か水を汲み替えたものの、やはり汚れは落ちにくかった。
「お手伝いしましょうか?」
楽しげな声音は、我らがサブマスター、シャンレンのものだった。改装の打ち合わせは終わったようだ。寝台で眠ったのがよかったのか、だいぶ顔色もよくなっていた。食事時は本当に、アークエルド並みに青白かったのだ。改装の打ち合わせではいつもの調子でしゃべっていたので、おそらく本調子に戻っているのだろう。
彼はまず、桶に入った芋にそのまま水をかけ、ひたひたにした。そして一旦、厨房へ入る。「簡単にソテーするだけのようですから、皮ごと使いたいらしいですね」と、シャンレンは芋の用途を把握して戻ってきた。ユーナは、その思考回路が足りなかったと気づく。
しばらく水に浸していた芋を、新しく汲み替えた水で流しながら更に撫でるように泥を落としていく。
「新しい、いい芋ですね。芽も出てないし。もしあったら、一応取っておいてくださいね。ジャガイモじゃないみたいですけど、念のため」
見た目はジャガイモだが、ここは幻界である。これまでもいろいろと裏切られてきたので、ユーナは素直に頷いた。いくつかシャンレンにお手本を見せてもらい、彼女は礼を言う。
「ありがとうございます、シャンレンさん。もうだいじょうぶ、がんばってみますね!」
一人で頑張るという意図を察し、交易商は微笑んだ。
「きっとこれ、調理のスキルマスタリーの鍛錬になりますよ。
ああ、ユーナさんのお部屋の改装ですが、予算に問題なさそうなので、お風呂がつきますよ。まだ改装を手掛ける結盟の館が少ないみたいで、ちょうど手が空いてるようなので数日で完成する見込みです。ログアウト中はカードル伯にお留守番を頼んでもよろしいでしょうか?」
「アークがいいなら、わたしも問題ないです」
「わかりました。改装中は空き部屋のほうを使って下さいね。私は少し出ますので、他の女性陣にも戻り次第、その旨お伝え下さい」
「はい」
本来の案件はこっちだな、と思いながら、ユーナは交易商の背中を見送る。
見るに見かねるほど、ユーナの手つきややり方がよくなかったのだろう。芋は水にしばらく浸してから洗う、と脳裏にメモして、ユーナは再び芋に対峙した。ソテーにしてやるのだ。
それから半刻ほどかけて、芋を綺麗にしたユーナを待っていたものは「ご苦労」のひとことと、大根のような野菜の皮むきだった。
アシュアが戻ってこない。
そう気づいたのは、皆の揃った夕食でだった。
やはり、帰る家があると違うと痛感する。既にマールテイトはいないのだが、厨房からは骸骨執事が温め直している料理の匂いが漂い始め、誰もが食堂に降りて、特に女性陣の成果に聞き入っていたのである。だが、すべての料理がテーブルに並んでもなお、彼女は戻らなかった。閉門の鐘は鳴り終わっているにも関わらず、である。
「――部屋にはいないね」
ぽつりと呟くのは、追跡持ちのセルヴァである。同じ集落内であれば、フレンドリスト内の友人を自身の地図に表示できる。
『――はい?』
『ああ、王都にはいるんだな』
クランチャットで、唐突にアシュアの声が聞こえた。どうやら、シリウスが呼び出したらしい。テーブルに安堵の空気が流れた。安易に連絡がつくということは、トラブルに巻き込まれたわけではないようだ。
『ああ、うん。ごめんねー。何だかオリジナルクエストっぽいの始まっちゃって、今、大神殿なの』
『オリジナルクエストですか?』
『ユーナちゃんもほら、カードル伯を連れ帰った時の、あれ多分オリジナルクエストよ。そのひとだけのとか、その職限定のとかあるみたい』
幻界では、転送門開放クエストのように規定のクエストが主流とされるが、それ以外のクエストもある。その中でも、特に個別に発生するものをオリジナルクエストと呼ぶ。
アシュアの話を聞くと、身に覚えのあるモノが幾つもユーナの脳裏に浮かんだ。森狼幼生をテイムした件からこちら、殆どがそれだったような気がする。
『帰れないのか?』
『――うん。今日はこっちに泊まるわ』
紅蓮の魔術師の問いかけに、少し間を置いてアシュアは答えた。その声音は「仕方ないわよねえ」的に明るく聞こえ、彼女自身がそのオリジナルクエストに取り組んでいる様子を映しているように思えた。
『ちゃんとごはん、食べましたか?』
『精進料理みたいなのもらったんだけど、おばあちゃんと一緒に食べたわよー』
『ばあちゃんもいるなら大丈夫かな』
『手が足りないなら、いつでも呼んでよ』
『うんうん、ありがとねー。そっち、ごはん中?』
『こっちはこれからだよ。マールさんのごっはーん♪』
『羨まし……』
耳元に響く多数の声は、彼女を気遣うものばかりだった。
だからこそ、「じゃあ、おやすみー」で途切れたクランチャットは、やけに寂しく感じた。
「――本当に、大丈夫でしょうか?」
クランチャットでは一切発言しなかったシャンレンが、視線を落としたまま呟く。エスタトゥーアが肩を竦める。その言を否定する仕草に、ユーナは驚いた。青の神官の声音はいつもの調子で、特に問題があるように思えなかったからだ。きっと神官職のクエストで、彼女でなければならない何かが発生していて、熱心に取り組んでいるのだと考えていた。
「今のところは、そっとしておいてあげましょう。ひとりでがんばってみたいようですし……連絡がつくのなら、それほど心配はいらないと思います」
「神官の上級職になるクエストとかかなあ……」
「司祭とか? それはそれで頼もしいね」
舞姫が頬杖をつきながら、想像を口にする。盾士はその先を考えるように、できるだけ明るくことばを発した。黄金の狩人もまた、大きく頷く。
「うんうん、アシュアさんなんだからさ、期待しとこうっ! じゃあ、いただきまーす!」
行儀よく両手を合わせて言うフィニア・フィニスに、テーブルについた者達も唱和する。
地狼にも取り分けていたユーナは、仮面の魔術師の視線が空いた一席に注がれていることに気付いた。同じように察した巫女が、彼のために飲み物を注ぐ。複雑な心境をそのまま感じ取ってしまった従魔たちは、互いに困ったように視線を交わすのだった。
そして、アシュアはその後、幻界時間にして数日経ち、彼らがログアウトする時間帯になってもなお、帰らなかった。
次回は17日更新予定です。お盆明けから、毎日更新に戻ります。




