あなたにすべてを
フォルティス王は、己の目を疑った。
テイマーズギルドでも、有する者がごく限られる「融合召喚」。
かつて、神獣や龍をも従魔とし、「融合召喚」を以て魔族の軍を退けた従魔使いの伝説は、フェリーシュ王家やテイマーズギルド自体はもちろん、今も名だたるギルドの上層部の間に残っているはずだ。
カードル伯が主と定めるほどの従魔使いだからとは思っていたが、フォルティス王自身、その見た目に囚われていたようだ。うら若き娘に見えていたが、とんでもない傑物である。
黒髪に少しの栗色を残す少女の瞳もまた、黒い瞳に紫を宿していた。
頭部から突き出た二つの狼耳が、漆黒の尾が、彼女が人で非ざる者と物語る。
神官の祝福を宿した身体が、無造作に腕を振り下ろす。漆黒のツメが伸び、それもまた光を帯びていた。
強く弾かれた黒剣が、その腕ごと退く。左の長剣を合わせるようにソレアードは引き戻していた。左肩ががら空きになる。追撃を予測して、ソレアードは長剣を大振りに左へと払った。しかし、シリウスとアークエルドは、逆に下がる。
その瞬間、剣戟が止んだ。
彼女が駆け出す。ふたつの声が重なった。
「風の矢!」
「風爆矢!」
術句の風が疾り、より強い風のための道を拓く。交差する二つの剣が、それぞれを墜とすべく動く。しかし、彼の反応よりも爆矢のほうが速かった。
剣に触れた瞬間、着弾と判断した風爆矢は、即座に炸裂した。
爆風と炎が撒き散らされる中、視界が奪われる。
それでも、少女には見えていた。地図上の赤い光点が正しく、不死王ソレアードの位置を告げる。爆風に髪を煽られながらも、彼女は走る。
「疾風駆矢!」
更に一発。
爆風を切り裂いて、その一矢は到達した。地狼の穿った喉元の真下、首と胸の付け根に突き刺さる。ソレアードは息苦しさと痛みを思い出した。不死者の身体は呼吸などしていない。痛覚もない。それでも、反射的に心が覚えている。このようにされたら痛い、という記憶が生み出す、心の生む痛みだった。遥かに遠い痛みであっても、ソレアードに不自由を強いる。苦し紛れに、ソレアードは黒剣を振るう。闇の波濤が、爆風を吹き飛ばして少女に迫る。
祈りが、届く。
「来たれ聖域の加護!」
青の神官の聖域が、波濤を消す。
少女の左右から、ふたりの戦士が個々の武器を振り上げた。
「返してもらおうか!」
シリウスの片手剣が、速さで勝った。
不死王ソレアードの爛れた左手を、その、手首を落とす。手首は光へ還り、長剣のみが地に転がった。
不死伯爵のステッキが、次いで黒剣が戻るのを押さえ、ソレアードの身体を開かせた。二対の赤い瞳が、間近で交錯した。互いに哀しみの色を宿したまなざしが、そこにあった。
少女はソレアードの胸元へ飛び込む。漆黒の爪に神秘の光を宿し、それはシリウスの長剣が刺さっていた傷を、一度は塞がった穴を、再度貫く。
違和感。
その手ごたえの空虚さに、少女は爪を消す。飛びずさった時、その違和感の正体に気付いた。
――自分のHPが、削られている。
「不死王に祝福された死などあり得ぬ」
ダメージと等価の生気吸収が行なわれていた。
地狼の爪は、肉体の一部である。そのために、ダメージ反射が少女へとまともに入っていた。その黒と紫のまなざしが、マルドギールを探す。ソレアードの、後ろだ。
ソレアードは、少女の脚が止まったのを見逃さなかった。黒剣から闇の波濤が、少女を襲う。その時。
「闇よ閉ざせ」
厳かな、フォルティス王の声が響いた。
薄明りの灯っていた墓室が、闇に包まれる。少女を襲うと想像していた衝撃もまた、同様に消えていた。
少女の瞳は地狼同様、闇の中でも不自由しない。左手を掲げた不死王フォルティスが、こちらを見る。
「従魔使いよ、呪われし我ら不死者を受け入れられるか?」
ユーナには、その問いかけの意味がよくわからなかった。しかし、不死伯爵を、不死王を否定する気はない。少女はその心を汲み、頷く。
満足げに、フォルティス王は笑みを浮かべる。
「ならばアークエルドよ――この不死王フォルティスより授けた短剣を、己が主に捧げよ」
『――上位の触媒は、下位すべてを上回る……』
アニマリートの声が、記憶から甦る。この時、ようやくユーナはフォルティス王の問いかけの真意を悟った。淡い紫の光が、闇に浮かび上がる。その柱の中で、ひとりの少女は二つに戻った。
「アルタクス……」
ユーナの心に問うまでもなく、融合召喚が解かれた。付与されていた聖属性も失われた状態で、目の前に地狼が立っている。
「父上、これ以上の邪魔立てはやめていただきたい」
「ソレアードよ、何を恐れる? 不死者として死を欲する己を、王の意志で律することなど、そなたであれば容易かろうに」
「王であればこそ、恐れるのです」
苛立った親子の会話が聞こえる。
ユーナがソレアードのことばに首を傾げた時、その目前に黒の短剣が差し出された。音もなく、不死伯爵が跪いている。ただ、ことばはなくとも、共鳴が困惑を届ける。この距離ならばと、ユーナは「融合召喚とは何か」を伝えた。
――アークエルドは、わたしに全部、任せられる?
【全部?】
問いかけには、問いかけが返された。
ユーナはできるだけわかりやすく、と思いながらことばを選ぶ。
――その短剣を触媒に契約すれば、地狼みたいに、わたしとアークエルドで融合召喚できると思うんだけど……まだレベル低いから、実際にはわたしは自分の意思で動いたりできなくて、アークエルドのほうにお任せになるんだよね。それでも、だいじょうぶ?
告げられた内容の重さに対し、あまりにもユーナの声音が軽い。
アークエルドの困惑が深まるのを感じ、ユーナは焦った。
――あのね、ちゃんとわかってるよ? そりゃあ、最初はアルタクスに身体を預けるのも怖かったけど……アルタクスもアークエルドも、わたしが嫌がること、するわけないじゃない。
いつか、わたしがちゃんと使えたらいいなって思うけど、今は無理だから、その……お願いします。
この時間は、フォルティス王の気遣いだ。
地狼との融合召喚では、ソレアードを倒せない。
目の前に、別の手段がある。
それならばと選択するだけでは安易な判断すぎると、ユーナ自身も思う。不死者との融合召喚がどういう影響を及ぼすのかもわからない。すべてを委ねることの重さを、ユーナ自身が理解していると言い切る自信もない。
ただ、あの時のように。
アークエルドを別荘から連れ出した時のように、ユーナは受け取っていた。自分にできることなら、やってみたい。
そして、誰一人として失いたくない。それだけだった。
まっすぐな気持ちが、彼女の頭を下げさせる。
アークエルドはひとつ、息を吐いた。主として命じるのではなく、こうして彼女はいつも願うのだ。だから、不死伯爵はユーナの手を取り、短剣を握らせる。
「貴女の従魔であることを、誇りに思う。――私の全てを捧げよう、我が主殿」
その手に落とされた誓いと口づけに、ユーナは固まった。
 




