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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第九章 嚆矢のクロスオーバー
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裏切り


 徐々に、かび臭いだけではない空気が漏れてくる。

 ユーナは鼻につくその匂いに顔を顰めた。


「!」


 扉が開ききる前に、地図マップ上に赤い光点(エネミー・アイコン)が表示される。青の神官(アシュア)は打ち合わせたかのように、身を引いた。そこへ、剣士シリウスが駆け込む。床近くにいたらしいそれは、飛びかかるように扉の隙間からこちらへ襲い掛かった。


聖なる光を帯びしものウルテノネェレ・ルゥツェンム!」


 剣が振り下ろされるより早く、聖句が紡がれる。聖なる光を宿した長剣は、腐肉を抉った。しかし、それは動きを止めない。生きる死体(ゾンビ)とは異なる敏捷さに、剣士シリウスは息を呑む。伸ばされた不死者(アンデッド)の腕が彼に届く前に、不死伯爵アークエルドのステッキが振るわれた。細身から放たれた打撃は、その身体を容易に墓室の内へと戻した。何かが潰れた音はしたものの、未だに赤い光点(エネミー・アイコン)は消えない。


 仲間を犠牲にして。


 青の神官(アシュア)は悔いた。

 墓室に封じられたものは、先代の王だけではなかったのだ。

 増えていく赤い光点(エネミー・アイコン)を見て、唇を噛む。その動きは、先ほどの不死者(アンデッド)と同じく、ゾンビよりも格段に速い。


「下がれ」


 不死王ノーライフ・キングフォルティスの声が響く。

 途端に、不死者(アンデッド)らの動きが止まった。


 不死伯爵アークエルドもまた、その声に従いそうになった。低く、落ち着いた声音は心地よい。従魔使い(ユーナ)に再会した折に感じた酩酊感とは違う、命じられることを悦ぶ感情が沸く。

 不死王ノーライフ・キングの有するスキル――支配インペリウムである。


「――父上」


 その声は、小さいながらも驚きに満ちていた。懐かしさに駆られながら、不死伯爵アークエルドはその姿を探す。呼ばれた父王も、また、同様に。

 大きく開かれた扉の向こうが、不死者(彼ら)にははっきりと見えた。

 たむろする食屍鬼グールの群れ。

 そして、墓室の最奥、石棺の上で座る……もうひとりの、不死王ノーライフ・キングの姿が。


 奥まで魔力光は届かず、旅行者プレイヤーの目に「彼」は映らない。

 ユーナは、墓室に響いた声音が思ったよりも若いことに、驚いた。


「久しいな、ソレアード」


 親しみをこめて、父王は息子を呼ぶ。

 その足が、墓室へ踏み入れられた。途端に、四方の魔石の照明が灯く。魔力光セヘル・フォスと同じくらいの光量だが、薄闇に慣れた目には、じゅうぶんである。それは父王の、旅行者プレイヤーへの配慮だった。

 不死王ノーライフ・キングソレアード。

 短く刈られた金色の短髪に、豪奢な赤いマントが小柄で細身な青年を包んでいる。その真紅の双眸が、静かに沈んでいくのが見えた。

 父王がゆっくりと歩み寄るのを見て、不死王(ノーライフ・キング)ソレアードは息を詰まらせた。


「墓室から、どうやって――」

「死霊だからな。こことて、祈りの扉であれば出入りできたものを」


 薄く透けた身体を示す様子に、ソレアードは目を向ける。そのまなざしが、揺れていた。信じられないとばかりに、かぶりを振る。その視線が、彼を見つけた。


「ヴァルハイト」


 そこには、確かに喜びがあった。不死伯爵を呼ぶソレアードの声音に、ユーナはマルドギールを強く握りしめる。彼女の位置からはアークエルドの表情は伺うことができない。縋るようにその背に目を向けていることなど、ユーナ自身は気づいていなかった。ただ、アルタクスには、彼女の不安が感覚でわかった。もっとも、もうひとりの従魔シムレースである、当の不死伯爵は……それどころではなかった。






「まったく、そなたを自由にするのに、骨が折れた」

「助かりました、父上。そろそろ食屍鬼グールの戯れも見飽きていたので」


 高貴なる不死者(アンデッド)たちの対話に、ユーナは目を剥いた。自分の耳が信じられない。すぐそばにまで下がっていた青の神官(アシュア)もまた、驚きに絶句していた。ユーナの視線を受けて、同じように見返す。瞬きひとつできず、小さく、その頭が横に振られた。


『……まさか……』


 PTチャットでの呟きは、ユーナのものでも、アシュアのものでもなかった。フィニア・フィニスもまた目の前の光景を受け入れられず、声を震わせる。

 不死王フォルティスが、我が子ソレアードの肩へと手を伸ばす。抱きしめるようにそれは動いた。


「すべてを押しつけてしまったな。本当に、すまなかった……」

「いえ……ご期待に沿えず、申し訳ありませんでした、父上」


 親子の再会を間近で見ながら、不死伯爵はふたりの不死王の前に膝をつく。


「お会いしとうございました、殿下」

「ふふ……もう私を『殿下』と呼ぶのは貴殿しかおるまいよ、ヴァルハイト」


 父王の腕の中から、笑み崩れながらソレアードは言う。

 不死伯爵は、更に頭を下げる。不死王ノーライフ・キングソレアードの靴へと口づけを落とし、彼は誓う。


「もう二度と、離れません。我が主よ……」

『アイツ……っ』


 空色の瞳が怒りを帯びる。フィニア・フィニスが十字弓アーバレストの照準を不死伯爵に合わせた。

 が。


『やめて、フィニ……』


 その引き鉄に指を掛けた時、栗色の髪の少女が立ちふさがった。紫水晶の雫が、頬を濡らし――床に落ちる。


『何でだよ!?』

『しょうがないじゃない!』


 怒鳴るフィニア・フィニスよりも、更にユーナは大声で怒鳴り返す。


『ずっとずっと、会いたくて、でも、何にもできないって、悔やんでたんだよ! やっと会えたの! 一緒にいたいって思うの、あたりまえじゃない!』

『オマエの従魔シムレースだろうが!』

『それしか、別荘から出る方法なかったんだもん! ――しょうがないよぉっ……』


 叫ぶ間にも、ぼたぼたと雫が落ちる。ユーナは左手で拭った。革製の手袋は、水分を弾くだけ弾き、ユーナの顔はぐちゃぐちゃになるだけだった。

 青の神官(アシュア)は、そのやり取りから視線を逸らした。

 PTチャットで今の会話が聞こえているだろう不死伯爵は、既に立ち上がっている。そして、嬉しそうに再度、不死王ソレアードに一礼していた。何の感慨も抱いていない様子に、溜息をつく。高貴なる者の考えることは、本当によくわからない。そんなもの、わかりたくもない。

 油断した、と反省した時には、もう遅かった。

 高貴なる不死者(アンデッド)から、仲間へと視線を巡らせる、と。


「ひ……い……いやあああああああああっっっ!!!!!」


 いつのまにか、食屍鬼グール剣士シリウス盾士セルウス地狼アルタクスを組み伏せていた。悲鳴も上げられなかったのだろう。その身体が傷つく様に、青の神官(アシュア)は絶叫する。

 命が、流れていく。

 ステータス表示を見るまでもない。彼らの瞳に、光はなかった。

 前衛の全滅にようやく気付いたふたりは、何もかもが間に合わなかった事実に、ただ、ことばを失っていた。


 口の中が渇く。

 喉が、ひりひりと痛む。

 閉じることすらできない唇は、音もなく否定を叫ぶ。

 歪んだままの視界の向こうで、不死伯爵が笑む。


「本当に、感謝している。すべて、貴女のおかげだ」


 靴音が響く。

 銀糸の外套が翻る。

 深紅のまなざしは嘲るように細められ。

 その伸ばされた指先は、ユーナの濡れた頬を伝い。


「だから、私の手で、終わりにしよう」


 細い頸筋に、巻きつく。

 短く、ユーナは息を吐いた。

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