双子姫
「アークエルドか……良い名だな」
赤のまなざしが、濃い緑に戻る。
そして、フォルティス王は一度戻された短剣を、再度、アークエルドへ差し出した。
「ただ、ひとりの父として希う……どうか、我が子らを救ってもらえまいか」
命ではなく。
父なる者の願いである。
ことばの深淵に、双子姫だけではなく、もう一人の眠れぬ王の存在を感じる。
跪いたまま、不死伯爵は己の主を見る。
その月色のまなざしが揺れているのを見て、厳しい顔つきをしていたユーナは表情を緩めた。途端、紫水晶の目が幼くなる。
――アークエルドの、心のままに。
やりたいことがあるならご自由にどうぞ。
二度目に言葉を交わした時と違わず、彼女は不死伯爵を促した。共鳴で伝わるまっすぐな気持ちを受け止め、アークエルドは頷く。
そして、黒の短剣と化したそれを、受け取った。
「この身に代えても」
彼の誓いを聞き、ユーナは視線を落とす。
未来を変えたつもりでいた。カードル伯が在る未来に、今自分たちは立っている。しかし、いつでもそれは変わってしまうのだ。いつまでも未来に、彼が居続けるわけではない――。
それでも。
ほんの少しでも長く、共に歩める未来が欲しい。
運命の鎖から解き放っても、彼自身が過去に囚われ続けたいと願うなら、それも一つの選択だと……ユーナは、どこかやるせない気持ちで考えていた。
フォルティス王は望む答えを得、頷いて身を翻す。その先には双子姫が、心配そうに父王を見ていた。広げられる両手に、幼子は駆け出して飛び込む。
「――まだ、三歳だった」
愛おしげに、王は双子姫を抱きしめる。小さな頭は土気色の手のひらに収まるほどだった。撫でられて、ふたりの姫君は嬉しそうに微笑む。
「この霊廟で目覚め、己が忌むべき不死者であると悟ってもなお発狂せずにいたのは、この子たちのおかげだ。永劫の闇で、どれほどの救いであったろうか……」
「とーさま?」
「ととさま?」
難しいことばの羅列に、少女たちは首を傾げる。すると、父王のまなざしが向けられる。目が合うと「ふふ」と彼女たちは笑うのだ。
笑うのだ。
フィニア・フィニスは唇を噛んだ。死後の世界など知らない。だが、ただひとりでそこにいることが苦痛であり、誰かが傍にいることが幸福であることくらい、容易に想像がつく。
盾士は気遣うように、フィニア・フィニスの表情を伺う。掛けることばは、見つからなかった。
「いずれ、誰かが訪れよう」
厳かに、フォルティス王は口にした。パッと幼子たちの表情が明るくなる。それで、剣士は悟った。そのことばを、双子の姫君たちに幾度となく繰り返したのだろう。
「その時、そなたたちがこの闇から旅立てるよう、父が頼んでみよう」
大きく、幾度も少女たちが頷く。満面の笑みで、「たびー、たびー」とはしゃぎ始める。
不死伯爵の拳が震えた。
父王が幼い身体を手放すと、双子姫は駆け出す。跪いたままの彼へと。
「かーどゅと、いくの!」
「いっしょに、いくの!」
高い声音が、ねだる。
触れることもできないままに、不死伯爵は困り果てて、王を見上げた。
「陛下……」
「すまんな。
待ち人など来ぬと……思いながらも、その日を夢見てしまった」
他国から、側室として献上された双子姫の母は正妃と同様、産褥熱で他界した。残された双子星は、病弱で、寝所から出ることすらままならぬ姫たちだった。王家に産まれなければ、生を受けたその日に潰えていたことだろう。
だからこそ、己のほうが先に逝くとは思わなかった。優秀な息子に全てを委ねると決め、その計画は着々と進んでいた。王としての公務を任せるに足る第一王子を誉れと思い、老後をか弱き姫たちと共にのんびり過ごそうと考えていたのだ。
すべてを、熱病が奪った。
己を、国の民を、姫たちと、そして……国を委ねた息子の命さえも。
フォルティス王は息を吐く。
苦い、苦い溜息だった。
「本来、我らは墓室の中に封じられたモノだ。
だが、不死者としての力で、今はこの姿かたちを取ることができている。ひとたび扉を開けば、我とてそなたたちに牙を剥かずにはいられまい……」
そのまなざしが、旅行者へと向く。
深い、深い哀しみがそこにある。
青の神官は、緑の深淵を見返した。
「我が力がなくば、姫たちは自我すら保てぬ。だからこそ、依り代が必要となる」
「依り代?」
おうむ返しで問うアシュアに、フォルティス王は頷いた。その視線が、従魔使いに移る。
「うら若き従魔使いよ、そなたは従魔の宝珠を知っているか?」
知っているどころか。
ユーナは王の問いに目を瞠り……従魔の宝珠の持ち主たる、フィニア・フィニスへと視線を向けた。当の本人も驚いて、ぱちぱちと美しい空色の瞳を瞬かせている。ユーナの視線を受け、フォルティス王の視線を受け、フィニア・フィニスは乾いた声で訊き返した。
「その、従魔の宝珠が依り代になるってことか?」
「強大な力を持つ従魔のものであれば、一つの宝珠を二つに分かつことができる。
双子で生を受けた姫なれば、ただの魔石では事足りぬのだ」
フォルティス王の説明を聞き、フィニア・フィニスはニッと笑った。黄金の巻き毛に空色の瞳、とても愛らしい容貌が一瞬で悪戯小僧のように変わる。フィニア・フィニスは躊躇わなかった。
道具袋から取り出した従魔の宝珠を見て、青の神官は溜息をつく。
「フィニアちゃん、預けなかったの?」
「忘れてたんだよ。使わない金銭って言ってたしさ」
もしも全滅していたら、MVPアイテムが喪失していたかもしれない。今からでもその可能性は否定できないくらい恐ろしい話である。しかし、そんな呑気なふたりの会話も耳に入らないほど、フォルティス王は驚愕に震えていた。
「――まさしく、従魔の宝珠……!
これほどのものを持つとは、よほど名のある者たちなのだろうな……」
「命の神の加護を受けし者たちでございますゆえ」
誇らしげに、不死伯爵が告げる。
驚愕と喜びで、眩しそうに従魔の宝珠を見る父王に対し、双子姫はその大きな宝珠を見て頭を横に振った。
「――とーさま、あれ、ヤ」
「ととさま、ヤ」
父王のもとへ駆け戻り、口々に言う。舌ったらずの声に、フォルティス王は双子姫の肩をそれぞれ抱く。
小さい肩である。同じ年の頃の幼子より、余程小柄だろう。今はドレスに隠れている細い腕も細い脚も身体も、ただ記憶の中のものだ。子どもであるにも関わらず、その頬は丸くなかった。ふっくらとしなかった。乳を口にしても、すぐに飲むのをやめてしまう子らだった……。
大きくなって。
重くなって。
それらの記憶が遠い日の夢であることなど、百も承知だ。
フォルティス王は、笑んだ。
そのまなざしが紅に染まり、頭上の名が「不死王フォルティス」へと変化する。
「いいのかよ、アンタ」
従魔の宝珠を両手に抱え、黄金の狩人は泣きそうな声で問う。
その姿に、双子姫がやがて育ち……それほどまでに大きくなる時の幻を重ねる。親とは、斯くも愚かなるものなのだ。不死者に未来などない。成長する日など来ない。それでも、闇の中で終わらせたくない――。
「この子らがいては、戦えぬ。
頼む、命の神の祝福を受けし者よ。我が子らを、どうかこの忌まわしき軛から解き放ってほしい。
どのような形でも構わぬ。従魔となり誰かに膝を折ろうとも、心を失い絡繰り人形に封じられようともよい。
そなたたちにならば、託せる……」
父王は左手を掲げた。その手に填められた指輪の宝石が、彼の瞳と同じ色合いの光を放つ。
従魔の宝珠の中の、片翼が煌き……従魔の宝珠が、フィニア・フィニスの手から離れ、浮き上がった。
フォルティス王はしばしその大きな宝珠を見つめ、やがて、剣士へと視線を移す。彼は察して、剣を構えた。
「二つにすればいいんだな」
彼のことばは、ただの確認だった。
長剣が宙を一閃する。短い音が、宝珠を割った。
「とーさま?」
「ととさまぁ……」
双子の姫が、父王のマントに取り縋る。
空いた右手が、別れを告げるためにふたりの頭を撫でた。
「さらばだ、姫よ」
そのことばを最後に、双子姫のまなざしから光が消える。くたりと力が抜け、その身体が宙に浮き……分かたれた宝珠へと重ねられた。色褪せた姿が、半球の中へとそれぞれ封じられていく。
双子姫の姿を、父王は見つめていた。
その影が失われ、従魔の宝珠がフィニア・フィニスの手に戻される。
割れた宝珠は、もう戻らない。
フィニア・フィニスはそれを抱きしめた。
不死王フォルティスの、精一杯の祈りの込められた赤い光は、もうどこにもなかった。




