邂逅
その時、確かに何かを感じた。
会話が会話だったので、気付くのが遅くなっていたのかもしれない。地図上に見えたのは、三つの光点だった。先行してくる二点、後に続く一点。緑のままのそれを見つけて、不死伯爵と剣士は通路の先を睨む。彼らのその様子に、他のメンバーも光点に気付いた。
『――フフッ……』
子どもの声だった。フィニア・フィニスよりもなお幼い子どもの声が、さざめくように笑い合いながら近づく。不死伯爵は、構えるように握っていたステッキを下ろした。驚愕のままに目を瞠っている。そのまなざしが、赤から、月の色に戻っていく。
ゆっくりと、闇の中から子らは姿を見せた。
双子の、女の子だった。古びた写真のような色合いの――まさに、暗い灰みの茶色の少女たちは、それぞれ薄い色合いのドレスを身に纏い、裾をはためかせながら走ってくる。それは、こちらに気付いて立ち止まり、お互いの顔を見合わせた。視線を交わし、次いで、不死伯爵を見て破顔し、駆け出す。
「あ、かーどゅ!」
「かぁどるだぁ!」
両手を広げ、子らは不死伯爵目掛けて飛びかかった。振り払うどころか、受け止めるために、彼はステッキを消して手を伸ばす。
が。
その身体は、抱きとめられなかった。不死伯爵の身体を素通りして、背後のフィニア・フィニスの目の前にまで突き抜ける。
透けている。
不思議そうに自身のてのひらを、双子は眺めている。どうして逃げられてしまったのだろうかと首を傾げ、振り向いて飛び跳ねた。
「かーどゅ! だっこ!」
「だっこ!!」
そして、飛び跳ねても、音はない。
服の裾はひらひらと舞うのに、風も起こらない。
頭上の名は、どちらも緑で「王家の姫」となっていた。
「隠し子!?」
「別に、隠してはおらんよ」
フィニア・フィニスの叫びに応えたのは、第三の光点だった。
幼き姫君たちとは異なり、はっきりとした色彩で彼は現れた。薄くなってしまった白髪、ふさふさのひげに隠れかかったこけた頬と、くぼんだ眼窩が生前の苦労を偲ばせる。たるんだ全身を包む深紅のマントと金色の飾り帯が、その存在が何であるかを告げていた。
不死伯爵は姿勢を正した。そして、美しく一礼する。
「――陛下……!」
失われたはずの過去が、甦る。
喜びに声を震わせる不死伯爵に対して、青の神官は身構えていた。陛下……第三十五代国王フォルティス、そのひとの姿もまた、彼女の眼には透けて見えた。不死者同士の邂逅に、ユーナは息を呑む。ただ、死がお互いに訪れていたのならば、ありえない出来事である。
王の証たる王冠も、宝珠も、王錫もない。
それでも、魔力光に照らし出された姿は威厳にあふれている。厳しい面差しだが、今はその濃い緑の瞳に懐かしさを満たしていた。
「カードル伯、息災で何より……とは言えんな。互いに、変わり果てたものだ」
揶揄うような声音に、不死伯爵の表情が崩れる。彼に抱っこしてもらえるものと思い、待っていた姫君たちは、ここで不満を訴えた。
「とーさま! かーどゅ、だっこしないの!」
「してくれないの……」
口々に文句を垂れるふたりに、国王は手を広げた。喜色満面として双子姫は父王に駆け寄り、両腕にそれぞれを抱きしめてもらう。
「ひとりずつだぞ」
「じゅんばん!」
「うん、じゅんばん!」
そして、濃い色合いの姫君と、少し薄い色合いの姫君を交互に抱き上げ、「高い高い」としてみせた。彼ならば姫君に触れられるようだ。不死者であるはずだが、姫君を下ろしたあとは腰を気にして手を当てている。
「う……むぅ」
「大丈夫ですか?」
「あまり無理はきかんな。それにしても、おばばさままで連れてきたのか? 無茶をする」
礼を解き、不死伯爵はフォルティス王を気遣う。苦笑して、王は視線を巡らせた。その先には骸骨執事に抱きかかえられた「聖なる炎の御使い」がいた。双子姫も彼女に気付き、一瞬嬉しそうにしたのだが、そのまま王の後ろに隠れてしまった。
「とーさま……」
「おばばさまなの……?」
怯えた声を上げるふたりの背を、父王は撫でる。王城にいた老女のことを、ふたりも覚えているようだ。しかし、不死伯爵が見せた反応とは少し違った。
「今のそなたたちが近づくのは危険だな。離れていなさい」
こっくりと素直に双子姫は頷く。そこから身を離し、王は老女へと歩み寄った。道を開くように旅行者は動く。逆に、骸骨執事は王へと近づいた。そして、己の主と同じように一礼し、話しやすいように老女を抱き直す。
「よく来てくれたな、おばばさま」
王の高揚した声は、ここまでだった。
老女は細い目を開き、白濁としたまなざしを彼に向ける。それはすぐに伏せられた。
返事のないことに、王は目を瞠る。
「――おばばさま?」
「話せないみたいなの」
返事をねだる様子を見かねて、青の神官が口を挟む。
王は微かに首を振った。アシュアの言を否定するようなしぐさに、不死伯爵は小さく息をつく。自分とて、信じたくなかった。
「聖騎士の話からだと、熱病に罹って亡くなった民を火葬したそうです。私たちが知ってるのはそれだけ」
「何だと……!?」
驚愕の声を上げる王に、老女は手を伸ばす。その様子を察して、骸骨執事はもう一歩王へと歩み寄った。その手が、マントに届く。指先が触れる。先ほどの不死伯爵と似たように、王もまた老女の手を取った。王の骨ばった手は、土気色をしていた。
「そんな……おばばさまの炎を……」
もう片方の皺だらけの手が、愕然として呟く王の頬にまで上がる。それは軽く滑って、力なく彼女の膝に落ちた。彼女の語らぬことばのようで、王は目を伏せる。両手で握った老女の手を、王は額に当てた。
「偉大なる火霊よ、お許しを……」
王による謝罪。かつてとは言え、この国の最高権力者である。容易に頭を下げることなど、あってはならないことだ。不死伯爵はその重みに、同じように目を伏せた。
王の言に、再び老女の白濁とした目が開かれた。映っているのかどうかわからないが、王のほうを向き、それは再び皺の合間に消えていく。
やはり、大神殿で誉れのように語られた所業は、本来ならば忌むべきことのようだ。
王の様子に、アシュアは悟った。宗教でありがちの手口である。奇跡を謳いながら、犠牲を強いる。だからこそ、本来ならば「聖なる炎の御使い」は用済みで、退場願いたいのだろう。聖別ということばの通り、王家の霊廟を彼女の手で清めることで、まとめて面倒ごとを片付けるつもりなのだ。
その青のまなざしが、双子姫に向けられる。
心配げに、父王を見る少女たち。老女に怯える姿は、彼女の力の意味を知っているということか。
やがて、王は老女の手を彼女の膝に戻し、視線を旅行者たちへ巡らせる。濃い緑の目が、怒りすら含んだ声音と共に向けられた。
「おばばさまを、王城から出したのか」
「私たちが『聖なる炎の御使い』にお会いしたのは、大神殿でした。神官長の側に控えておられて……」
「大神殿だと!?」
青の神官の答えに、その玉体が震える。
怒りが、緑を赤へと明滅させる。頭上の「フォルティス王」の名も、また。
不死伯爵が旅行者と王の間に身体を割り込ませ、声を上げた。
「陛下! この者達は私のために……私を、この霊廟まで連れてきてくれたのです。
愚かな妄執のまま、滅びすら受け入れずに恥を晒しにまいりました」
その手が、懐に入る。取り出されたのは、一本の短剣だった。銀色に煌く鞘に収められた、掌ほどの刀身しか持たない一振り。それを見て、王の瞳が濃い緑に戻る。
「覚えておいででしょうか。
私が伯爵位を継ぐ際に、陛下から授けられた短剣です。御自ら下賜していただいた日を忘れたことなど、一日たりともございません。
……殿下をお守りせよとの命を果たせず、申し訳ございませんでした」
伯爵位を継ぐ時、殿下の護衛騎士としての任は終えなければならなかった。だが、敢えて彼の王は王の直属の臣に与える短剣を用いて、自身に命じたのだ。王城に留まり、変わらず殿下の傍で、側近として務めよと……。殿下から護衛騎士として賜った短剣を返す代わりに、王の短剣は王城へと自身を繋ぎ留めたのだ。
その楔を、一時だけと思いながらも緩めてしまった。
殿下から、離れてしまった。彼のためと思いながら、それが今生の別れになるとは思わなかった。
脳裏を過ぎる過去はすべて言い訳に過ぎず、ただ、そこには後悔しかなかった。
鞘には、王の紋章が刻まれている。その信頼を裏切ったのだ。
膝を折る。
そして、短剣の柄を王へと向けて、不死伯爵は差し出した。
「――お返しいたします、陛下。御前から失礼することを、お許し下さい」
それは、訣別だった。
この時を覚悟して、この場にたどり着いた。
不死伯爵が頭を下げる。フォルティス王は目を細めた。
が。
「だめ!」
「うん、だめ!」
幼い双子姫が、口々に拒否した。
目の前の光景が何を示すのか、幼心にもわかったのか……もしくは、二十年という年月が、幼子のままの彼女たちの内なる魂を成長させていたのか。
両手を握りしめ、彼女たちは頭を横に振った。
「かーどゅは、ひめたちをつれてくの!」
「かぁどるといっしょにいくの!」
『だから、どっかいくの、だめ!』
全力で叫ばれたことばに、不死伯爵は瞬きした。
捧げられた短剣を見やり、フォルティス王もまた嘆息する。
「――カードル伯よ。そなたが最早、我が臣ではないことは存じておる。臣の誓いは生涯の誓い、そなたの生は既に尽きているのだからな。
にも関わらず、そなたがこの場に現れたことに……心から、感謝する」
フォルティス王が、短剣に手を伸ばす。柄を握りしめ、受け取った。その先から、銀が黒に変色していく。
そして、フォルティス王のまなざしもまた、深紅へと変化した。「不死王フォルティス」が顕現する。
剣士が、盾士が、黄金の狩人が身構えた。青の神官は、一瞬、迷った。
『待って』
制止は、従魔使いから発された。
不死伯爵は、己の主の声音に胸が熱くなるのを感じた。体温などあろうはずもない、鼓動を止めた身体であるにも、関わらず。
かつての主に膝を折る自身をも、許し……受け入れる彼女にも詫びるように、不死伯爵は頭を下げた。
「もったいないお言葉です、陛下」
「だからこそ、頼みたい。運命の鎖から解き放たれたそなたであれば……そなたの、新たなる主と、そのともがらであればこそ、我が願いを叶えられよう」
不死王フォルティスは、深紅のまなざしのまま、地狼を従えた従魔使いを見出す。ユーナは口元を引き結び、フォルティスのまなざしを受け止めた。
「それが、アークエルドの心にも叶うなら」
彼女の答えに、不死王フォルティスは笑んだ。




