生ける死体
腐敗臭。
ひとことで言えば、それに尽きる。
一階の神像の広間ではさほど感じなかったそれが、階段を下るごとに強まっていく。
おそらく、地上階にはどこかしらに空気穴が開いていたのだろう。完全な閉鎖空間ならば、霊廟に入った瞬間にかびた空気を感じたに違いない。階下にはそれがないか、もしくは、あってもそれを上回るの何かがあるということを示している。その何かを、ユーナは具体的に考えたくなかった。
王の行幸を想定して作られている階段の幅は広い。高貴なる遺骸を御輿で担ぎ、下ることを想定しているために高さもある。分断されることを恐れ、ユーナたちは階段の片側に寄る形で進んでいた。先頭に剣士、となりに盾士、すぐ後ろに従魔使いと地狼、黄金の狩人、青の神官、骸骨執事に抱えられた「聖なる炎の御使い」、殿に不死伯爵である。
「セルぅ、何とかしろよー」
形の良い鼻をつまみ、くぐもった声でフィニア・フィニスは文句を言う。真後ろから聞こえた姫の命に、嬉々としてセルウスは従った。
「とりあえず、上の空気を下へ引き込みましょうか……風の矢」
盾の裏に刻まれた術式を撫でる。
やや後方の上部から前方へ向けて、複数の風の矢が放たれた。風が抜けるような感覚で、空気が動いていく。少し息苦しさが取れて、ユーナはホッとした。となりを歩くフィニア・フィニスも鼻から手を離している。
「あー、だいぶマシ」
「盾と魔術って組み合わせ、珍しいよな」
「もともと魔術師だったから」
アンファングのころから見知っているはずだが、剣士と盾士はあまり交流していなかったようだ。セルウスのフィニア・フィニス最優先を思えば無理もない。前衛と中衛が和気あいあいとし始めると、アシュアは苦笑を洩らした。そして、後方の年配組に話を振る。
「カードル伯って、生前熱病にかかってたの?」
「いえ? 旦那様はお疲れではありましたが、病ではなかったかと。エネロに静養するというお話を伺うまで王城に詰めておられましたので、今くらいに顔色は優れませんでしたね。まさに過労でございます」
仕事中毒っていう病気じゃないのそれ。 不死者並みの顔色ってもう死んでない?
ツッコミどころ満載の骸骨執事の旦那様評に、アシュアは目を細めて更に後ろを見る。あ、カードル伯、視線逸らした。
階段はまだ続く。魔力光に照らされたその先は、見えない。
熱病の発生とカードル伯の不死者化の関連性は薄いようだ。しかし、熱病によって亡くなった先々代と先代の王が死霊化したことと合わせると、完全に無関係とも言い難い。死霊云々はさておき、遺体を焼却することで伝染を防いだのであれば、高貴なる遺骸に病原菌が付着していたことで、後から霊廟を訪れた聖騎士や神官が感染し、そのまま息絶えた可能性も捨てきれないのではないか。この匂いも、その遺体が放置されたことによるもので……その際は、死霊の話は気のせいだったという話で終わるが。
だが、不意に、死霊の話は気のせいではないという結論が出た。
地図上に浮かび上がった複数の赤い光点が、王家の霊廟という場所柄、不死者たる敵影の接近を告げたのだ。
「――聖なる光を帯びしもの!」
握りしめた聖属性の術石の力を、各々の装備に付与していく。
範囲、対象を複数とした聖属性付与神術は術石もMPも相当消費したが、命には代えられない。いつもならば聖域を固定化して安全地帯を築くが、骸骨執事や不死伯爵まで旅立たせてしまいかねないので、今回は使えなかった。
剣士が剣を振るう。ぐしゃりと柔らかなものが潰れた。死んで腐ってそれでも動いている、まさに生ける死体である。
「ひ……」
ユーナはその見た目がもうダメだった。震える手が、地狼を掴む。すがりつく手の感触に、地狼は身動きが取れない。
ゾンビたちの動きは遅く、素手による攻撃は落ち着いて対処すれば、回避可能のようだった。剣を持つ聖騎士の死体も、生来の動きとは程遠く……問題は数だった。コンビネーションなど皆無なゾンビたちは、今も生前も味方のはずだが、互いの行動を考慮することなく生者へと突き進む。踏みにじられていたゾンビが、上にいたゾンビを倒されたために自由になり、起き上がって襲い掛かってくるという始末だ。こちらとしてはどこまでが一体のゾンビなのか、暗がりではわかりにくい。
このままでは邪魔になると悟り、地狼はユーナを背に乗せる。それを見て、敵を一掃する必要性を痛感し、フィニア・フィニスは十字弓を構えた。
「風爆矢!」
フィニア・フィニスの爆矢が打ち上がる。着弾点を近距離に設定したため、それは放物線を描いて、剣士たちと交戦するゾンビの真後ろに落ちた。炸裂した爆薬が炎と爆風を生み出し、背後のゾンビの群れを吹き飛ばす。が、シリウスたちの目の前のゾンビを後押しするように、爆風が襲った。咄嗟に盾士が風の防壁を張り、剣士を援護する。
「来たれ聖域の加護!」
奥のゾンビの群れと前衛との間合いを取るため、アシュアの加護が時間を稼ぐ。聖域が何か判断がつかずとも、その存在は脅威のようで、ゾンビの動きが滞った。
その時、背後から何かが飛来する。アシュアとフィニア・フィニスの間を縫い、シリウスの肩口へと手を伸ばした一体の頭にそれが突き刺さる。頭の半ばまで食い込んだ銀色の盆が、ゾンビを光へと帰す。同時に銀盆もまた消失した。骸骨執事の援護である。片腕で老女を抱きかかえ、もう片腕で投げたようだ。
「多少なりとも、お役に立たねば」
「――そうだな」
不死伯爵はその言にステッキを軽く振った。彼の腕ほどの長さにまで伸びる。地狼が下がるのと交替するように、彼は前に出た。
無造作に振るわれたかに見えたステッキが、違わずゾンビの喉元を貫く。未だに動く両手がそのステッキを握ろうと彷徨う様に、貫いたままで壁へとその死体を叩きつけた。砕け散るゾンビの最期を見届けることなく、彼のステッキは次の獲物を屠る。
ひとつ、またひとつと生ける死体が光に還っていく。倒せば、風に消える。こればかりは幻界の仕様に、ユーナは心から感謝した。
階段下で待ち構えていた腐敗臭の根源が断たれるまで、それほど時間は要さなかった。
「大丈夫か?」
最後の一体を斬り捨て、振り向きざまに剣士は声を上げる。骸骨執事の側で、地狼の背に乗ったまま俯せていた顔が、ようやく少し上がった。しっかりと地図に赤い光点がないことを確認してから、起き上がる。額に手袋の一部の跡がつくほど、ユーナは力を入れていたようだ。くっきりと線が残っていた。しかも涙目である。
その顔を見て吹き出し、フィニア・フィニスは呆れたように言う。
「ゾンビくらいで怖がるなよ」
「姫は平気でしたね」
「そりゃあ、ゾンビを撃ち殺すゲームなんてどこにだってあるし……ランチャー系って最強だからなあ」
だいたいどのゾンビ系シューティングゲームもミサイルを撃てば敵が全滅するものだ。ついでにプレイヤーも死ぬが。肩を竦めて答えるフィニア・フィニスに、大きくセルウスは頷いて同意を示していた。要するに、「姫は最強」である。
「これ、全部あとから来た連中かしら?」
「数的には合いそうだな」
だいたい二十人弱、といったところか。
周囲に転がる戦利品を拾いながら、剣士は息をつく。ゾンビが消失しても、何故か匂いが染みついているようで、息苦しい。
「そんなに強くなかった感じ?」
「姫、聖属性付与ありますからね?」
フィニア・フィニスの評価に、セルウスは念押しした。不死者相手にこれほど楽に戦えるとは、彼も正直思っていなかった。だからこそ、彼女の……青の神官の名が、本物だとわかる。
青の神官の惜しみない付与神術が、各段にこのクエストの難易度を下げていた。以前のエネロの別荘クエストを思い出させる手法だが、今回は不死伯爵自身がPTに参加しているので、さすがに聖水を撒いたりはできない。しかし、手数があるので、殲滅力としては申し分なかった。従魔使いは論外だが。
その、最も戦闘に貢献している本人は、死者の財布を拾い集める作業も率先して行なっていた。ちゃりちゃりと革袋の中身を確認しながら、どんどん表情を曇らせていく。
「ねえ、聖騎士って、お給料少ないの?」
どの財布にも銀数枚しか入っていない事実を哀しそうに口にして、別の意味でも彼女は死者に同情したのだった。




