泉下
「聖なる炎の御使い」を扉の前に立たせたまま、二組の小隊が向き合う。隊長らしき聖騎士がことばを交わしているようだったが、ユーナには聞き取れなかった。聖騎士マリスは一方の隊長のとなりにいる。先ほどの出迎えの件といい、副官的立場まで昇るとは、先導するだけで戦わなかった聖騎士にしては大した出世に思えた。
『まさに、泉下ね』
アシュアは霊廟の扉側ではなく、前庭を眺めて口を開いた。そこには美しく形作られた人口の泉があり、豊かな水量を湛えている。目に見える流れはないが、底のほうまでも見える透明度からも、水が循環しているとわかった。
命が失われると、その器は大地に、魂は空に還る。逆に、生まれ出でし命は水に守られ、陽によって芽吹き、育まれる。
命の神の教義に合う形で、王家の霊廟は正しく築かれていた。遺骸は大地に葬るため、霊廟の入り口は地上にあれど、墓所は地下に作られているのだろう。地上に泉を作るのは、墓所を泉下とすることによって、偉大なる王たちの次なる生を祝福するのである。
命の神の祝福を受けし者、旅行者たる自分たちもまた、神殿帰りした場合には、泉の中で目覚める。その時を思い出して、青の神官は目を細めた。
『交代式か』
『へえ、カッコイイなあ』
数十人もの聖騎士が命の聖印を結び、剣を引き抜き掲げて仕舞う。その一連の流れは見ごたえがあった。見物人が自分たちしかいないのが惜しいほどで、フィニア・フィニスは素直な感想を口にした。となりでセルウスが衝撃を受け、あわてて命の聖印の練習をし始めた。
同行してきた聖騎士たちは、それぞれに役目があるようで、その殆どが霊廟の外周へと散っていく。対して、待ち構えていたほうの聖騎士たちの多くは軍馬を引き受け、そのまま門から出て行った。大神殿に帰還するのだろう。だが、その帰還する聖騎士の中に、マリスの姿はなかった。彼は何と、「聖なる炎の御使い」のとなりに立っている。
ようやく霊廟の大扉の前が空き、隊長クラスの二名と数名の聖騎士が残るばかりとなった。
「アシュア殿」
やはり、大神殿の者は青の神官を中心に据えて話を進めているようだ。ここまで同行してきた聖騎士の小隊長が、彼女を呼ぶ。
「準備はよろしいか?」
「あら、準備をさせていただけるようなお時間、あったかしら?」
にっこりと微笑んで、アシュアは毒づいた。途端、聖騎士一同の表情が曇る。ただでさえ顰め面な顔を更にバツが悪そうに顰めて、聖騎士の小隊長はそれでも確認した。
「命の神の祝福を受けし者は、戦いに慣れていると聞く。如何なる事態にも常に対応できるそうだが?」
「あら、誉れ高き聖騎士さまに比べたら、私共はただの旅の者にすぎません。今回のおはなしも、あくまで参拝のはず。戦闘を前提にしていらっしゃるとは初耳です。
あらあら、困ったこと」
ふふふ、と全然笑っていない笑い声を響かせて、彼女は念押しした。その声音に背筋を震わせて、フィニア・フィニスはユーナの服の裾を掴む。戦闘中でも癒しや加護をばらまいている彼女である。朗らかな面しか知らないフィニア・フィニスには刺激が強かったようだ。
口ごもる小隊長の様子を見て、ようやくアシュアは妥協案を提示する。
「そうですね……内部の様子を確認し、聖騎士さまや神官のみなさまが戻られなかった原因を突き止める程度でしたら、協力できるかと思います。もし、噂に聞く悪鬼悪霊の類が現れたとしても、勇猛果敢なる聖騎士さまたちですら敵わなかった相手ということになりますので、私共では到底歯が立たないでしょう。すぐにこちらまで戻らせていただきます」
神官長の曖昧な依頼を、こちらにとって都合がいい形で解釈する。そして、本来の目的である王家の霊廟の参拝さえできれば、もう用はない。不死伯爵も戦うために元の主に会いたいわけではなかろう。逃げを打つ。ここまでは既定路線だった。
予想外だったのは、「聖なる炎の御使い」の参拝である。
「『聖なる炎の御使い』がおられるのだ。彼のお方の炎であれば、悪鬼悪霊など燃やし尽くして下さる」
小隊長の誇らしげな物言いに、内心アシュアは舌打ちする。だが、表面的には笑顔で応えた。
「デュール殿は、御使いの炎をご存じ?」
「無論」
聖騎士小隊長は大きく頷く。
逆に、アシュアは首を傾げた。
「私はあの方の炎を存じませんの。恐れ入りますが、その武勇伝をお尋ねしても?」
「武勇ではない。奇跡の御業だ」
「武勇ではない?」
当然と言わんばかりに、アシュアのおうむ返しに彼は頷きを返す。
剣士は天を仰いだ。日の傾き具合が早い。風も水場の近くのせいか、かなり涼しく感じる。秋が深まっていく様子に……心を飛ばしたかった。
奇跡を起こす老女を、聖騎士たちは戦場へ連れていけと真顔で言っているのだ。
「その昔、王都の多くの者が熱病にかかり、この国の行く末すら危ぶまれたことがあった。この方は熱病を他の者に移さぬために、命を落とした者の病を聖なる炎で清めたのだ。ただ、おひとりで!」
『二十年前でもばあちゃんはばあちゃんだろ。ひとりで火葬させまくったのかよ……』
聖なる炎だの奇跡だの御業だのと名前をつけようが、事実はフィニア・フィニスの言そのものである。
ユーナは、誇らしげに語る聖騎士デュールが理解不能だった。「聖なる炎の御使い」を見ると、老女は今もまだにこにこと微笑みを浮かべている。多くの死を見送り、その死を焼き尽くした上での、あれは……最早笑みなどではなくて。
それはただ、泣くこともできないだけではないのか。
かつてのカードル伯が表情を変えなかったのと、同じように。
「――その熱病が王都を襲ったのは、二十年ほど前と伺いましたが?」
「そうだ。知っているのではないか」
「今もなお、あのお方の様子を見ても、同じように炎を扱えるとお思いですか?」
「聖なる炎の御使いは、私が聖騎士となる以前からあのお姿だ。偉大なる火霊が彼のお方を守る。貴殿らは、己の身を案じることだな」
御免、と言い放ち、聖騎士デュールは振り向きざまに腰にあった短剣を老女に向かって投げつけた。アシュアは間髪入れずに聖句を放つ。
「来たれ聖域の加護!」
彼女の祈りは届き、聖域が老女を守るように張り巡らされた。
と同時に、炎が現れる。
紅蓮の魔術師の炎とは異なる、白い炎である。短剣がその白炎に巻かれ、一瞬で、焼失した――。
刃の持つ煌きは、確かに金属のものだった。溶かすどころではない火力が生み出され、消えたのだ。
「何てことを……!」
しかし、青の神官は白い炎よりも、デュールの愚行のほうを見逃せなかった。そして、となりにいながらボーっと突っ立っていただけの聖騎士マリスを睨む。
「とんだ聖騎士さまですこと」
「これで判っただろう。このお方が悪鬼悪霊を打ち祓う」
「聖なる炎はよくわかりました。
ですが、ならば何故、最初から御使いをお連れしなかったのですか? それだけの力を有するのなら、命の神の祝福を受けし者など必要ないではありませんか」
鼻を鳴らしながら言い放つデュールに、アシュアは問いを重ねる。
聖騎士たちの表情が、また曇った。箝口令でも敷かれているのか、大神殿としての不都合がそこに隠されているようだ。
デュールは答えなかった。合わされた視線を振りほどき、最も扉に近い聖騎士に命じる。
「聖騎士マリス、扉を開け」
指示を受け、聖騎士マリスが身を震わせた。そして踵を返し、扉に向き合う。苛立ちを青いまなざしに残したまま、アシュアはその動きを注視した。
聖騎士は両手で命の聖印を刻み、厳かに聖句を紡ぐ。
「開扉」
王家の紋章に、命の神術陣が重なる。
力で開くものではなく、神術による封印の扉である以上、開くことができる者は神官職に限られる。この上もない、不死者を外に出さないための封印だろう。
二つに分かたれるのではなく、扉は横にスライドして僅かに開かれた。彼の力の限界なのか、ひとがひとり、通れる程度の幅である。内部には夜よりも濃い闇が、揺蕩っていた。
「この聖なる封印すらも、乗り越える者がいる」
明らかな怒りが込められたデュールの呟きに、アシュアは察した。先日の不死伯爵が引き起こした騒動が、大神殿をここまで動かしたのではないか。このままでは、王家の霊廟に封じられた死霊たちが地上にあふれるのではという危惧が、老いた「聖なる炎の御使い」を王家の霊廟に放り込むほどに、彼らを追いつめた。
とすれば、自分たちもこの老女を死地へ向かわせる点において、同罪ではないか。
「少しでも、力を削ぎたい。我らの気持ちも汲んでほしい」
聖騎士小隊長デュールのことばに、アシュアは心を動かされなかった。
逆に、そのことばを受けて、ゆっくりとした一歩を踏み出す者がいた。
――聖なる炎の御使い、そのひとである。
今にもよろけそうな足取りに、ユーナが駆け寄る。思わず取った皺だらけの手は、とても柔らかかった。少し冷えたその手は、ユーナの温もりに触れて、確かな支えと認識したようだった。ずっしりとした重みを感じる。重心を移動させながら、老女は前へ進む。すぐ傍に、地狼が並ぶ。
剣士は剣を引き抜き、その前に割り込んだ。
『――セル』
『御意』
フィニア・フィニスの呼びかけに、セルウスは一旦盾を肩から背へと掛けた。そして、早足でユーナたちの傍へ向かい、断りを入れてから老女の身体を抱き上げる。それを黙ったまま見送る聖騎士たちの前で、フィニア・フィニスは露骨に舌打ちした。
『絶対にばあちゃんを連れて帰れって、コイツら、言わないのかよ……』
アシュアは視線を落とした。
フィニア・フィニスのまっすぐな心が、真実を貫く。
そして、それを言わないということは、彼らがまた命の神の祝福を受けし者の帰還をも信じていないことを物語るのだと……彼女は理解していた。
『お参りするだけなんだから、すぐに戻ってこようよ』
セルウスに老女を預けたユーナが、フィニア・フィニスを振り返る。
その明るい声音に、アシュアは顔を上げた。
『ね?』
微笑みは、フィニア・フィニスに向けられたものだった。
しかし、その背後にいたアシュアにも、それは届いた。
レベル五十解放直後。
王家の霊廟は、エネロの別荘クエストの代替手段を思わせるものだ。難易度を想像すれば、生きて出ることの難しさに回れ右をしたくなってもおかしくない。まして、彼女には地狼がいる。不死伯爵ならばともかく、もしもユーナを失えば、この王家の霊廟でアルタクスは生きて出られないことも、わかっているだろうに――彼女は、地狼に「ここで待て」とは言わなかったのだ。
手の中にある白銀の法杖を、今一度アシュアは握り直した。
そして、いつものように軽く肩に掛け、彼女に応える。
『ええ、そうね』
死の覚悟なんて、いらない。
生きて戻るための覚悟を決めて、青の神官は法杖を握ったまま、聖騎士たちに向けて命の聖印を片手で刻む。先ほどとはまるで違う微笑を浮かべる彼女の所作に、彼らは息を呑んだ。
「では、行ってまいります」
青の術衣が、封印の扉の向こう側に消える。
開扉を一身に受け持っていた聖騎士マリスは、ようやく力を抜いた。強力な封印神術が、復元していく。瞬く間に扉は閉まり、王家の紋章が立ちはだかる。
「デュール様、箱馬車はどういたしましょうか?」
御者を務めていた聖騎士が、御者台から降りて尋ねる。
その声音で、聖騎士デュールは己が祈り続けていたことに気付いた。気持ちを切り替えるように、頭を振る。
「そうだな……もうすぐ陽が落ちる。今宵は厩で馬を休ませておけ」
「かしこまりました」
一礼して、再び御者台へ戻っていく後姿を見送る。
閉門まで、まだ時間はある。大神殿に箱馬車を戻すことも可能だろう。
だが、せめて一晩程度、その帰還を信じても良いではないか。
一度たりとも逃げ出そうとはしなかった「命の神の祝福を受けし者」たちへ敬意を表し、デュールもまた、王家の霊廟へ向けて、命の聖印を切った――。




