わたしにとって、コレは敵
「聖なる炎の御使い」が自らの意思で王家の霊廟を詣でる、という形を整えると、大神殿側の動きは早かった。本来、王家の霊廟であるために王城の許可が必要になるのだが、これは王子自らがその場で許可を下し、決裁する。そもそもその権限が王子にあるのかどうかも旅行者たるユーナたちにはわからないのだが、こちらの目的である「王家の霊廟に入る」ことが簡単に叶いそうな今、余計な口は挟まなかった。
準備のためにと食事まで用意され、大神殿の一角で歓待まで受けた。ただ、歓待とは名ばかりで、食事は簡素なものである。神殿らしいと言えばそうだが、何と言っても肉類が一切ない精進料理で、地狼は不満げに野菜炒めを食していたほどだ。当然だが、酒類も一切ない。ただ、ユーナはヴィナグラードというジュースを饗されて大喜びだった。薄い緑色の飲み物で、味は葡萄ジュースそのものなのだ。「聖なる炎の御使い」と同じテーブルを囲ったのだが、老女は無言だった。ひたすら笑みを浮かべているので、愛想が悪いという印象はない。発声に不自由しているのかもしれない、とそれ以上、誰も触れなかった。
箱馬車の準備と護衛の聖騎士が揃い、ようやく一同は大神殿を後にする。そこでも地狼は、ユーナの影をその身体に隠すことを忘れなかった。
一同を運ぶ箱馬車の内部は、神官が移動する際に使用されるものだという。馬車の内周に沿って、十人ほど乗れるように座席が作られていた。大きな窓は開放的だが、その箱馬車の周囲は少しも開放的ではない。聖騎士が一個小隊ほどが馬車を取り囲み、戦場へ赴く顔つきで騎乗しているのである。「聖なる炎の御使い」と「命の神の加護を受けし者」を護送しているのだから、当然かもしれないが……微妙にドナドナ感があるのは、ユーナの気のせいではなさそうだ。
非常に目立つ行列がすぐに始まった。東の大通りから転送門広場へ、一般市民は立ち入れない王城の真下を北の大通りに抜けることまでやってのけ、街道を最短距離で王家の霊廟へと箱馬車は進む。昔ながらの馬車のようで、スプリングなど効いていないため、揺れがひどい。腰が痛いと呻くフィニア・フィニスを見かねて、セルウスが箱馬車に風の防壁を巡らし、揺れを軽減してくれたのは本当に救いだった。無言だが、おそらく老女も辟易していただろう。
「ちょっと、止まって!」
アシュアが声を張り上げたのは、王都の北門を出る直前だった。
御者は彼女のことばを聞き、馬車を止める。周囲の聖騎士たちのざわめきは増し、御者に対して詰問し始めた。停止した箱馬車に、駆け寄ってくる人影がある。普段の赤べストを隠すように焦げ茶色の外套をまとった、交易商である。アシュアの姿を見て、彼は外套の奥から苦笑を浮かべた。差し出された手に、アシュアは予備の道具袋を託す。
食事の合間に、彼女は今回のメンバーに覚悟を問うていた。王族が絡み、大神殿が絡み、しかも王家の霊廟に入るのである。そこには神殿帰りという可能性がイヤというほど見えていた。それでもなお、「やめておく」という声は上がらなかったが、代わりに今回必要ではないもの……金銭類を中心に集めることにしたのだ。あくまで「もしもの時」のための保険ではあったが、レベル五十解放があった直後のクエストである。今後のためにも、必要な処置と判断した。
「ご武運を」
「そっちもね」
短い言葉を交わし、交易商はすぐ馬車を離れて雑踏に紛れていく。その後ろを追う者がいることに、ユーナは気づいた。だが、声を掛ける間もなく、馬車はまた動き出す。
「勝手な真似をされては困ります」
「あら、この上もなく協力的だと思うけど?」
聖騎士小隊の長が、窓からアシュアへと苦言を呈する。逆に笑顔で彼女は切り返した。止めろと言ったにも関わらず、自分たちが降りる自由すら与えなかったのだ。問うこともしなかった姿勢を、アシュアは冷たい青のまなざしで非難する。しかし、彼女のことばもまなざしも無視して、長たる聖騎士は身を離していった。
剣士が、その対応に溜息をつく。
『一筋縄じゃ、いかないよな』
『レンくんも、気づいてたとは思うけど』
『まあ、聖騎士の尾行なんて、鈴がついてるのと一緒だからな。あいつでも撒けるだろ』
全身鎧で身を包んだ聖騎士が、身軽なシャンレンに追いつけるとは確かに思えなかった。その指摘に、思わず一同は笑ってしまう。PTチャットに入っていない老女だったが、空気が読めるのか、その微笑みを更に深くしていた。
王都の北門を抜け、箱馬車は速度を上げていく。瞬く間に王都の賑わいは見えなくなり、逆に、黄金色の染まる実りの光景が広がっていた。
王家の霊廟。
王都北側の丘に築かれた白亜の建物は、予想を覆すほどに小規模だった。大神殿のファサードに類似した外観だが、高さも幅も半分以下に見える。低い石造りの壁には紋様が刻まれており、神術陣を構成しているものであることを匂わせていた。
近づくその威容を馬車の窓から食い入るように見ているユーナのとなりで、白の神官服に緋色の帯をまとった老女は、皺だらけの顔で変わらず笑んでいた。足元には地狼が横たわり、くつろいだ様子で目を伏せている。
既に、陽は傾きつつあった。馬車の中に射し込む日射しが、向かいの座席の窓に影を生むほどに。
聖域結界の存在にユーナが身を固くしていると、地狼が彼女の靴を軽く食んだ。どうしたのかと首を傾げると、【ユーナ、ちょっと】と顎をくいっと引かれて呼ばれる。揺れる馬車の中で立つのは危険極まりないので、彼女は身を屈めるようにして地狼の傍に膝を落とした。
「どうしたの?」
すると、地狼はユーナの肩口に頭を乗せ、体重を掛けた。その重さに耐えきれず、ユーナは膝だけではなく、腰まで落とす。
【このままで】
そのことばに続くように、馬車の揺れが変わる。街道から、王家の霊廟の門へと入ったのだ。身を屈めていたおかげで、ユーナの影は馬車の内側、床に落ちていたために完全に見えなくなっていた。門を潜り抜けると、地狼はユーナから身を離す。
『何とか、ここもクリアね』
『問題はここからだよなあ』
息を呑んでいたのは、ユーナだけではない。アシュアたちもまた、ユーナの影が聖域結界によって弾かれはしないかと注視していた。難なく素通りすることができて、青の神官はとりあえず身体から力を抜いた。フィニア・フィニスが頷きながら、視線を前へと向ける。御者の向こうには、王家の霊廟の大扉と、この馬車の周囲にいる聖騎士小隊と同種の存在が見えていた。
緩やかに馬車が停車する。待ち構えていた聖騎士の手により、馬車の扉は開かれた。
「――なっ!?」
『う、わー……』
扉の向こうで、奇妙な声を上げたのは……かつて、アンファングで見た聖騎士マリス、そのひとだった。白銀の全身鎧に身を包んだその姿に、目を据わらせるのはフィニア・フィニスである。口ばっかりでお散歩よろしく歩いていただけの聖騎士だが、出迎えの栄誉に預かれるほどの実力者であったとは――とアシュアは意外そうに彼を見ていた。
「聖騎士マリス、まずは『聖なる炎の御使い』を」
彼の背後から、別の男性の声が響く。ユーナは立ち上がり、老女に手を差し出した。座る時には神官が手伝っていたが、この馬車には同乗していない。聖騎士マリスが入るほどの余分なスペースもない。差し出された手と、ユーナの顔。どちらにも老女の顔が向けられ、やがて、のろのろと小さな手が上がる。逆にユーナから進んでそのしわしわの手を取り、支えた。非常にゆっくりと、老女の腰が上がる。彼女が立ち上がったところで、剣士がキレた。
「ばあさん、ちょっと我慢しろよ」
ユーナの手から老女の手を取り上げ、ついでに腰から抱き上げる。
「おまえ! 『聖なる炎の御使い』に何て……!」
「歩かせるほうがひどいだろ」
大神殿でも世話係らしき神官に抱き上げられていた老女である。歩くことがそもそも不自由なのだ。立つことと座ること、自力での食事ができるだけ、かなりがんばっていると言えるだろう。
マリスへと老女を差し出し、彼は不満げに彼女を受け取る。そのまま扉から離れていったので、シリウスも降りた。
『もし、こいつら付いてくるなら厄介だな』
『命が惜しいなら来ないでしょ』
馬車の窓から、六十人を超す聖騎士の姿が見える。聖騎士マリスの実力は、前回のアンファングではまったくわからなかった。ただ、単純に数を考えても油断ならない存在ではある。
しかし、それよりも先に、ユーナのとって、「聖騎士」自体が敵認定だった。
――この連中が、アークエルドをタコ殴ったわけ?
馬車から降りる順番待ちのあいだ、ユーナはゆっくりと聖騎士の集団を睥睨した。紫水晶のまなざしを細める主を見やり、地狼は彼女の身体に自身をまとわりつかせた。柔らかな毛並みの感触で、途端にユーナの表情が緩む。その動きに促され、最後にふたりは箱馬車を降りた。
王家の紋章が刻まれた大扉が、来訪者を厳かに待ち構えている。その向こうに、彼が会いたいと願う相手が、永遠の眠りを拒んで今もなお、目覚めているはずだった。




