始まりの町
溜息をつく仕草で、肩口で青い髪が揺れた。そのまなざしは紫色の飲み物に落ちたまま、彼女は口を開く。
「何ていうか、ユーナちゃんの従魔って大胆よね」
「ええっ!?」
地狼にせよ、不死伯爵にせよ、主の命に「従う」存在では在り得ない。
主がログアウト中に街中をうろつくどころか、ダンジョンにまで足を伸ばすなんて……と考えて、アシュアはかぶりを振る。違った。この従魔は一人でレベル上げをした挙句、フィールド・レイドボスに単独突撃してしまうお方だった。レベル一だったはずの数字が二十に跳ね上がっていた時の衝撃は忘れない。ホルドルディール戦の影響で、今は擬装中で見えないが、そのレベルは二十二にまで上がっているのだ。恐ろしい。
顔を赤らめるユーナを横目に、アシュアは元貴族に向き直る。
肩を竦めて、彼は月色のまなざしで青の神官を見返した。
「閨事まで知られているとは、大したものだな」
「食堂に降りてきてから、ここのご主人に注意されたの。どこもその話で持ち切りよ」
ユーナはわたわたと周囲を見回す。従魔使いと従魔が同じ部屋って別におかしくないよね!? 注意されることじゃないよね!? って何でその話で持ち切りなわけ!?と内心大慌てである。
こちらの会話はPTチャットで行われているので、漏れることはない。確かに、そのあたりにいるNPCまでもチラチラとアークエルドを見ているような気がする……。
「王家の霊廟から、封じられた死霊が沸き出したっていう話。大神殿の聖騎士たちが辛うじて撃退したらしいけど、ひょっとしたら他にもいるかもしれないから、霊廟には近づかないようにってお触れが出てるらしいわ」
「――なるほど」
残念そうな響きを含んだアークエルドの相槌に、アシュアはその不安を取り除くように微笑んだ。
「まあ、近づくなって言われたら近づくのが旅行者だから、気にすることないわよ。王都にも大神殿があるらしいから、そっちで相談してくるわ」
「っていうかさあ」
ぷーっと可愛い顔を膨らませて、フィニア・フィニスが会話に割り込む。綺麗な空色の瞳がくるりとテーブルを見回した。
「火力、足りないんじゃないか?」
紅蓮の魔術師と弓手、そして人形遣いは、五月初日の本日は平日、というわけでお仕事である。今現在、このテーブルに集まっているのはそう多くない。従魔使い、不死伯爵、地狼は当然として、青の神官、剣士、交易商、黄金の狩人、盾士である。巫女と双剣士もログインしていない。
先日のレイドボスの一件以来、しれっと合流している子どもに、交易商は苦笑を洩らした。
「大神殿へ喧嘩を売りに行くんですか?」
「ち、ちがうって! 霊廟のほう!」
「同じことですよ。
王家の霊廟に聖域結界が敷かれていて、聖騎士が出てきたということは、派遣したのは間違いなく王都の大神殿でしょう。死霊を弔うこともできず、ただ封じているだけということは浄化する力もないことを示しています。カードル伯が別荘に封じられていた経緯と同じかどうかはわかりませんが、今の大神殿には、ひょっとしたら旅行者の神官以上の実力者がいないのかもしれませんよ」
そこへ、「ちょっとお弔いに霊廟へ入らせて」と言いに行くのだ。現時点において旅行者の中で最も高名な青の神官が、である。殴り込み以外の何でもない、とシャンレンは評した。
王都の大神殿に力がない理由は、当然、二十年前の出来事にさかのぼることになるのだろう。熱病で倒れたのは王族、貴族、市井の者を問わなかった。彼は自身が掴んでいる情報をテーブルの上に投げる。
王都を襲う熱病から、唯一残された直系男子を守るため、南にあった神殿へ一時避難させた経緯――それは、当時の王が亡くなると同時に、当然のことながら第一王子は暫定的に国を統治しなければならなくなったことが引き鉄となる。実際にはその側近が幅をきかせていたのだろうが、本心からか疎んでなのか、第二王子は第一王位継承者ということもあり、南のアンファングへと避難させられることになった。王が亡くなる前に、一時的に王族を避難させる計画は立ち上がっていたためだ。その際、王都の機能もまた一部移すことにより、もし王都が病魔に潰えた際にも復興できるようにという意図を含めて、話は進んでいた。その移転先が、始まりの町である。
いざという時の遷都先。そのために、町が整えられた。今もなお、多くのギルドの支店が立ち並ぶ理由もそれである。
第一王子が戴冠して間もなく病没したころに、熱病も終息へと向かう。兄王の服喪を明け、ようやく第二王子は王都へと戻った。その時には、既に王都の大神殿の機能が、アンファングの神殿に移されていたのである。当然、第二王子の帰還と共に大神殿の役割は王都の大神殿へと戻されるのだが、大神殿同様に祀られた神具はそのまま残された。今もなおアンファングの神殿は「大神殿」と呼称されている謂れである。
「この話をアンファングの大神殿で聞いた時には、成り立ちの理由づけとしか思わなかったんです。何と言っても、カードル伯の話が抜けていますからね」
「よく覚えてるなあ」
「NPCの話を聞くのは、RPGの基本ですよ」
感心したように言うシリウスに、にこやかにシャンレンは答えた。ユーナはそっと視線を逸らす。あまりにも神殿のNPCの愛想が悪かったので、最初のひと以外は話を聞かずに町を飛び出した日が懐かしい。反省はするが、後悔はしていない。それがきっかけで、彼女たちに逢えたのだから……。
と、ユーナが浸っていると、剣士の漆黒の眼差しがこちらへ向き、にんまりと細められる。同じように思い出したらしい。忘れて。
「気になってたのよね」
ぽつりと、アシュアが呟いた。
「始まりの町が、アンファングの理由。王都にも大神殿があるなら、そこスタートでもいいわけじゃない? それってやっぱり」
「大神殿でもクエストがある、ってことだよね」
ただ一人を除いて、テーブルを囲う旅行者が目を瞠る。
発言した本人は、その異様さに首を傾げた。
「え、違う、かな?」
「違わないけど、オマエが発言したことに驚いたんだって。ずっと黙ってただろ」
フィニア・フィニスのことばに、セルウスは破顔した。
「姫、僕の声がそんなに聞きたかったんですね! 遠慮なさらずともいくらでも……」
「いや、ウザいから黙ってろ」
涙を流しながら打ちひしがれているのだが、いいのだろうか。
よくこれで一緒にいられるなあと、呆れるよりも感心しながら、ユーナはセルウスの茶色い頭を眺めた。
「そっか、仕方ないなあ。姫は僕の声、他の人には聞かれたくないんだね……」
オープンチャットでぶつぶつと戯言が聞こえてきた。気のせいである。
「まあ、何にせよ、行かないと始まらないなら行くしかないじゃない? どうせ夜までエスタたち来ないんだし、レベル上げにもなるかも」
「うーん……」
残念ですが、と断りを入れて、交易商は同行を辞退した。数々の戦利品や依頼品を預かり、更に結盟の館の目星までつけている状態である。手が足りない。そもそも、彼は現在、予備に持っていた戦斧を装備しており、火力としては心もとないことこの上なかった。
「バージョンアップの情報も流れているでしょうから、いろいろと動いてみますよ」
この中で最も情報収集に長けた人物だ。アシュアはうんうんと大きく頷いた。本来の仕事をがんばってもらわなければ、希望する建物購入にたどりつけないかもしれない。がんばってね、と快く彼の単独行動を後押しした。
「ねえ、アークもお留守番したほうがよくない? 行き先が大神殿って、超地雷だと思うんだけど」
「むしろ、顔見られてる上に名前バレてるんじゃないの? それってヤバくない?」
女性陣ふたりから詰め寄られ、アークエルドは頷いた。
「すぐに闇に姿をくらましたから、顔は見られていない。名前も把握されていないはずだ。ただ、大神殿に聖域結界が敷かれていれば、まともにひっかかる」
だから、影に忍んでいく、と同行を希望した。流石に影の中まではその効力は及ばないだろうという希望的観測を多大に含んでいる内容だったが、ユーナは拒否できなかった。
朝食を済ませ、一同は二手に分かれる。王都の大神殿は王城の東にある。宿から出てすぐに不死伯爵は影に潜み、ユーナたちは大神殿へと歩き出した。
ユーナのとなりに地狼が進む。その反対側に、剣士が近づいた。オープンチャットで声を掛けてくる。
「なあ」
「ん?」
「気にならないのか? 前の主だろ。その霊廟のってさ」
シリウスの問いかけに、ユーナは首を傾げた。
何を当たり前なことを訊くのか。
「気になるけど?」
「なのに、行くのか?」
「うん、当然でしょ? 会いたいなら、会いに行けばいいよ。そこにまだいるなら、会えるじゃない」
亡くなってしまった者は、本来、この世に留まることはない。
そう考えれば、不死者であろうとも、話ができることは僥倖だと思う。
安易に言い放つ彼女に、シリウスは小さく息を吐いた。
「――相手は、不死王だぞ。敵うのか?」
シャンレンの話から予想される、クエストボスの存在である。
当代の王の、兄王、そして先々代にあたる王、どちらも王という名がつく不死者となれば。
その程度のことは、ユーナにもわかっていた。
「戦う気はないけど、でも……選ぶのは、アークだから」
短い付き合いだったね、元の主のところで仲良くね、という流れになるかもしれないことは百も承知である。それでも、自分は約束したのだ。やりたいことがあるなら、ご自由に、と。違えるつもりはない。
ユーナの視線が影に一瞬落ち、再び前を向く。
その視線の先には、大神殿の三つの尖塔が見えていた。




