メイク
拓海には甘い味を堪能させておきながら、柊子はメープルシロップを避けて食べている。ご機嫌でフォークを口に運ぶ横顔を眺め、ふと拓海は気づいた。
「――姐さん、本当にBBクリームしか使っていないんじゃ……」
「う」
柊子はただぬたくっているだけという事実を指摘され、頬を赤らめた。完全に視線が泳ぐ。さすがに席が隣では逃げようもない。さすがにすっぴんはまずかろうと日焼け止めだけじゃなくてというか日焼け止め込みだから楽だよねBBクリームというレベルで努力しているのだが、おそらくこの冷たいまなざしは理解していない。する気もない。
彼女の反応を受け、拓海は嘆息した。
「やっぱり」
「この前もメイク、今日と同じ雰囲気でしたよね。服装はスーツだったけど」
「バラさないの!」
というか、何故ひとの顔の表面なんぞを覚えているのか貴様は。
文句を言うと、逆に嬉しそうに微笑みを返す後輩の爪先を、柊子は躊躇いなくテーブルの下で踏みつけた。余りの出来事に、皓星は短い呻きと共に顔をテーブルに突っ伏す。
「柊子さんって、肌、綺麗ですよねー」
「やだ、結名ちゃんのほうがすっごく綺麗よー♪」
「それは否定しませんけど、スーツを着用されるのでしたら、それ相応のメイクをしておかないと浮きますよ。ナチュラルメイクっていうのは、メイクしてないように見せかけるメイクではありませんからね」
どちらを否定しないのか、両方ともなのか。ちょっとそこに正座させて説明を要求したかった柊子だが、風向きが怪しいのでそこは突っ込まない。だが、男子高校生にメイクのことで説教を受ける自分が少し悲しかった……。泣いてはいない。まだ。
「わたし、お母さんからは、若いうちはメイクしないほうが肌にいいって聞いたけど……」
「あー、うちは、あんまりそういう話もしたことないかも。母もメイクするひとじゃないから、わからなくって」
高校生の結名の発言はもっともな内容で、問題ない。しかし、柊子の発言に対して、拓海は営業スマイルを浮かべた。これはアレだ。腹黒いやつだ。
「そうですか、わかりました」
「な、何がわかったの?」
「姐さんのメイク事情、でしょうか」
そこはかとなく恐怖しか感じない微笑みに、柊子は視線を結名に向ける。最早彼女しか癒しはいない。が、皓星がスフレパンケーキを所望したようで、彼女は心底嫌そうに切り分けているところだった。「半分って、それ食べかけてるほうの半分だよな? 一枚の半分ですらないよな?」と皓星がツッコミを入れ、食い意地の張った戦いが繰り広げられている。
その視界へと、携帯電話の画面が突きつけられた。SNS……SSのID表示が出ている。真下にはQRコードがついており、読み取ればすぐに連絡先の登録完了となるのだ。
「というわけで、連絡先、交換しませんか?」
脈絡のなさに、柊子の目が細くなる。チケットを譲ってもらったので、ゲームショウでの待ち合わせ等を考えると要ると言えば要る気はするが、会話の流れ的には悩ましいところだ。
その反応を見て、露骨に拓海の表情が陰った。シャンレンであるなら見慣れていてどうということもないのだが、見た目が詐欺である。何となく、シャンレンがあの姿でいる理由が察された。以前も聞いたような気がするが、確かに柊子も見た目がいい相手は印象の良さよりも性格を気にするほうだ。美形もたいへんだね、と口には出さず、同情する。
「――いいけど、他にバラさないでね。悪用もナシで」
「もちろんです」
SSのIDを互いに交換する。すると、彼のほうからは現実のメールアドレスから電話番号まで送りつけられてきた。付随されているメールアドレスのひとつは、幻界に通じるものもある。本名までくっついていて、柊子は天を仰いだ。どこまで信頼されているのかと気が遠くなる。自分が悪い大人だったらどうするつもりなのか。良い大人になりたいとは日頃から思っているのだが。
「小川くん、オフとかでこんなの送ってちゃダメよ……」
「今回はオフ会ではありませんからね。それに、いくらなんでも相手は選びます」
そう言えば、結名の都合で今回は現実の知り合いを揃えたお茶会、というスタンスだった。
思い出して柊子は小さく溜息をつく。
「あ、そうだ。先輩は現実でアシュア呼ばわりすると怒るから、気をつけろよ」
「もともとその呼び方していませんけど……イヤなんですか?」
「厄介ごとを運びそうだから、片桐くんには釘刺してるだけ。最初、普通に大学で呼ばれて参ったわ」
思い出したように言う皓星に、不思議そうに拓海が訊く。どこまで幻界にどっぷり浸かっているんだかと柊子は肩を竦めた。
道端で声を上げる皓星を想像して、拓海は苦笑する。確かに、自分もさすがにそれは困るかもしれない。
「今みたいにアシュアっぽい恰好してたら構わないけど、それ以外の時はちょっとね」
「普段はそういう服装なさらないんですか?」
「それがさー……」
ダン!
再度、テーブルの下で皓星の爪先が踏みつけられた。今度は踵である。
俯く皓星を横目に、結名は首を傾げた。
「スーツとかですか? この前の、カッコよかったです!」
「結名ちゃんはずっとそのままでいてね」
「いえ、それ返事じゃないですよね?」
にっこりと綺麗に微笑む柊子に誤魔化されず、拓海が問う。無言で携帯電話の画面が開かれたままテーブルをスライドし、彼の手元にまで届いた。皓星のそれに表示されたものは……
「なっ、ちょっとアンタ何考えてんの!?」
分厚い眼鏡に髪を一つにひっつめた柊子である。しかも、服装は体のラインをすべて覆い隠すほどの男物のダンガリーシャツに細身のジーンズで、疲れた顔でペットボトルの水を傾けているところだった。完全に隠し撮りである。
奪い取ろうと手を伸ばした彼女よりも、拓海のほうが反応が早かった。携帯電話をすくい上げて、すぐに皓星の手元へスライドして戻す。
「よーくわかりました」
営業スマイルではない、本気の満面の笑みである。
怖すぎると背筋を震わせていた柊子だが、その向かい側には別の意味で震える結名がいた。
「……柊子さんって……」
「ゆ、結名ちゃん、あれはね、その……」
「カッコイイです! 普段の柊子さんも隙がないんですね!」
両手を握りしめて、結名は嬉々として言う。
一同が絶句していることなど気づかず、彼女は慌てて付け加える。
「あ、今の柊子さんも素敵ですし、ワンピースもすっごく似合うと思いますけど!」
先ほどの写真のどこが結名の心の琴線に触れたのかがさっぱりわからない。だが、本心からのことばであると、彼女の紅潮した頬が伝えていた。
柊子はぎくしゃくと頷いた。
「あ、ありがとう?」
「結局アレも虫除けですよね。まあ、気持ちはわかりますけど」
「片桐くん……覚えていなさいよ……っ」
「いえ、綺麗さっぱり忘れました。申し訳ありません」
ちゃっかり携帯電話は片付けた上で、皓星は両手を上げて降参する。しかし、足はもうテーブルの下から出して通路で組んでいた。完全に逃亡である。
柊子が悔しげに歯ぎしりする音まで聞こえてきて、拓海は、笑っている場合ではない、そろそろ風向きを変えないとヤバいと察した。
「え、えーっと、明日のメンテ後はすぐログインですか?」
「もちろん!」
「そういえば、ペルソナとセルヴァは仕事って言ってたなあ」
今度絶対画像フォルダを削除してやる――と柊子が心に誓っているあいだに、話題がバージョンアップに移っていく。拓海の問いかけを元気よく肯定したものの、結名は心配そうに皓星を睨む柊子を見た。
「柊子さんは?」
「私? もちろん、すぐログインするわよ」
「王都は転送門開放クエないから楽だよな」
結名の声掛けに、柊子はにこやかに答える。機嫌が直った様子に、結名は安堵した。
そして、皓星の指摘に頷きながら、拓海はむしろ、その一点においてのみ、という注釈をつけるべきだろうと考えていた。
本来、想定されていてもあまり予想されていなかったであろう王都イウリオスの門をくぐり、旅行者たちはまず、門兵の歓迎を受けた。広大な王都も、いずこの集落とも同じく、中央に転送門広場が存在していた。観光よろしく、王城見学ついでに、最初は転送門広場を訪れ――そこで、既に転送門が使用可能になっていることに気付いたのだ。
始まりの町同様、クエストなしという処置は、ホルドルディール戦直後に夜通し歩いた旅行者たちを喜ばせ……同時に、憤らせた。転送門開放クエストがないということは、この王都にまで足を運んだことのない旅行者もまた、すぐに王都にたどりつけることを示していたのである。
実際、既に転送門を利用して、ホルドルディール戦では見なかった複数の旅行者が転送門広場を闊歩しており、それによってホルドルディール戦を乗り越えた旅行者たちは転送門開放を知ったのだった。
その落胆は如何ばかりのものか……察するに余りあった。多くの同胞の命を散らし、それを踏み越えての到達だったのだから、なおさらである。公式サイトには運営に対する不満をぶつける書き込みが続出し、炎上したままメンテナンスに入ってしまったのは残念な話だった。メンテナンス中は公式サイトにもログインはできない。
王都に先行到達できた利点を活かせなかったのは事実だが、それでも、僅かながらもシャンレンは王都を巡ることができて満足していた。シャンレンの目的は、もちろんバージョンアップ後の件である。
「結盟、どうなさいます?」
「エスタも明日仕事だから、帰ってきてからでいいんじゃない?」
結盟システムがどういうものかは、未だに多くは明らかにされていない。多くのMMOでのチームやギルドと同じように、旅行者間のコミュニティとして使えること、コミュニケーションチャットウィンドウが増えることは判明している。とりあえず、他クランからの勧誘を避けるため、アシュアたちは自分たちでクランを結成すると決めていた。逆パターンの囲い込みのようなものかもしれないが、「もう他のクランに入ってるから」は最大で簡潔な断り文句なのだ。
それは、あの戦いを共に乗り越えたPT全員へ、クラン加入の誘いと同時に語られた。
驚きの展開はそのあとだった。言い出したのはアシュアだったが、クランリーダーになることは完全に拒否したのである。その彼女が推薦した相手が、エスタトゥーアだった――。
「そうですね。それまでに、結盟の館の目星をつけておきますよ」
エスタトゥーアが思い描く結盟の話を聞いた時、その場の全員が同意を示した。彼女の夢が共通認識に変わった瞬間である。シャンレンもまた、同じ夢を叶えたいと思ったひとりだった。
拓海のことばに、柊子はうれしそうに頷いた。友の夢に近づく過程を楽しむ様子に、拓海もまた喜びを覚える。
だから、そっとその隙を突くように、彼は柊子の耳元で囁いた。
「ところで、おれも姐さんのこと、とうこさんって呼びかけてもいいんでしょうか?」
「ダメ!」
間髪入れずに頬を赤く染めた柊子に拒否され、拓海は声を上げて笑った。




