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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第九章 嚆矢のクロスオーバー
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チケット


 生地を熱したセルクルに流し込み、鉄板ごと予熱が完了したオーブンに入れる。百八十度で十分から十五分というところだろうか。食事を終えた頃合いを狙う。念のためタイマーをセットして、拓海シャンレンはカウンターから離れた。手には、自身の日替わりランチとドリンク類のお替わりが並ぶ盆を持つ。

 さすがに食事は向かい合わせに食べたい、という柊子の希望を汲み、一同はテーブル席に大移動していた。既に注文の品はスフレパンケーキ以外揃っている。新しいドリンクを手渡し、拓海も椅子に座った。


「じゃあ、改めて」


 柊子アシュアがアイス・カフェオレのグラスを手に取る。

 釣られて、他の三人もグラスを手に取った。


「――えーっと?」

「そこで止まらないで下さい」


 乾杯の音頭に詰まる柊子に、皓星シリウスは息をつく。

 そして、ふと思いついたようにニヤリと笑った。グラスを高く掲げて、口を開く。


「ホルドルディール討伐成功に」


 その視線が、拓海へ移る。彼もまた笑みを浮かべて、アイスコーヒーのグラスを掲げた。


「あなたがたとの出逢いに」


 すぐに、柊子が嬉しそうに微笑み、次を引き取る。


「今、この一時に」


 三人が口々に感謝を紡ぎ、その視線が、結名ユーナに向く。

 彼女は一瞬迷い、そして思いついた。


幻界ヴェルト・ラーイに!」

 

 声も高らかに告げたその名に、四つのグラスが乾杯の音を鳴らした。




 皓星はフォークで日替わりランチを堪能していた。美しく装われた大皿は見た目にも楽しい。既に一口ずつ一巡していて、特に鶏の唐揚げが絶品だという結論に至る。

 しばし沈黙して、彼は口を開いた。


「シャンレンさぁ……」

「はい?」

「オレんとこに嫁に来ない?」

「真顔で言わないで下さい」

「この揚げ方でうちの唐揚げ揚げてほしいんだけどマジで」

「いえ、それ別にお嫁に行かなくてもいいですよね……?」


 鶏の唐揚げ、ボロネーゼ、ベーコンとほうれんそうのキッシュ、ミニサラダ、コーヒーゼリーという日替わりランチの組み合わせの中で、一際輝いたのは鶏の唐揚げの揚げっぷりだった。完全に胃袋を掴まれ、皓星は結婚を申し込む。拓海は営業スマイルで拒絶した上で遠い目をした。柊子と結名が沈痛な面持ちで顔を見合わせた。


「片桐くんがライバルとなると、無理ね」

「そうですね……」

「あの、あきらめないでいただけませんか!? っていうか、むしろこれ唐揚げですよね、目的!」


 多めに揚げたという鶏の唐揚げは、彼女たちがセレクトしたチキンドリアと三種のチーズ入りオムライスにも別添えされている。メニューの写真にはなく、今だけの限定メニューである。サクサクしていてジューシーでと、確かに自宅では味わえないほどの出来だった。それ以上の喜びはない鶏の唐揚げの食感に、結名もうっとりした。自宅の味付けで、確かに食べてみたいかもしれない。

 黙々と大皿の大盛日替わりランチを平らげていく皓星の手元を覗き込み、結名は口を開いた。


「そのキッシュも美味しそう」

「いいよ」


 皓星が大皿を回して取りやすくすると、結名はフォークでキッシュを一口分切り取った。そのまま自分の口に運ぶ。底にはじゃがいもが敷かれていて、なかなか美味しい。柊子も物欲しそうにじーっと拓海のキッシュを見つめる。見つめる。見つめる。

 拓海も同じように皿を差し出した。


「どうぞ」

「あら、ありがとー♪」

「まだありますから、切ってきましょうか?」

「うーん、このあとパンケーキもあるから、一口でいいわ」


 柊子も、ちゃっかりと一口分のキッシュをせしめる。お礼にと言わんばかりに、オムライスも一口どうぞとスプーンですくって差し出す。自分で作ったものだから味くらいわかる、などと拓海は言わなかった。ありがたく対価をいただく。

 それを見て、結名も羨ましげに呟いた。


「チーズ入りのオムライスって美味しいんですよね」

「うん、割と人気メニューだよ」

「結名ちゃんも食べる?」


 柊子が同じようにオムライスをすくって差し出すと、横から黒いのが邪魔をした。


「わたしのオムライス……」

「お、大人げないわね……。あ、ちゃんとあげるから、ね? 結名ちゃんのドリアも一口ちょうだい」

「どうぞ!」


 結名の持ち上げたドリアの皿に、柊子のスプーンが当たって床に落ちる。驚くのとほぼ同時に、拓海の手でカトラリーケースから新しいスプーンがすかさず彼女の眼前に差し出された。


「ご、ごめんなさい!」

「予備あるから、気にしないで」

「ありがとね」


 柊子が受け取ると、落ちたスプーンはナフキンを手にさっと拓海が拾い上げ、別のテーブルに取り置いた。一連の動作の無駄のなさがすごい。


 一頻り美味しい食事を堪能していると、拓海がおもむろに席を立った。ついでに空いた皿やグラス、落としたカトラリーなどを銀盆にまとめて持っていく。カウンターの裏に戻り、オーブンを見始めた。タイマーは切る。


「どうやれば、あんな高校生が出来上がるんだか」


 ぽつりと柊子は呟いた。気遣いの塊すぎて、かえって痛々しく見える。本人が楽しそうなので、余計な考えなのかもしれないが。


「オレにしてみると、先輩もそうですけど」

「私、この場では常識人を自負してるの」

「えー」


 はっきり言って皓星にだけは非常識扱いされたくない柊子である。


「小川くん、学校でもあんな感じですよ」

「うちの弟なんて、あのころはまだ猿みたいなものだったわね。話通じないって言うか」

「さ……」


 つい三月までは男子高校生をしていた身の上として、皓星はことばに詰まった。さすがにそこまで会話が通じていなかったとは思いたくない。いや、自分のことではないのだが。


「仲間内で騒いで、よくご近所から苦情来てたわー」


 イマイチ拓海シャンレンが仲間内で苦情が出るほどバカ騒ぎするところが想像できず、結名は首を傾げた。楽しそうに話しているところはよく見る。友達は多いほうだと思う。いつも誰かが彼の周りにはいるし、よく先生方にも声を掛けられている。いちばんの仲良しは先ほども名前が出ていた、同級生の八木だろう。いつも昼食を一緒に食べているようだし。


「やんちゃな弟さんなんですね」


 ご近所から苦情が出るレベルを「やんちゃ」で片づける拓海に、結名は苦笑する。確かに、同じ男子高校生とひとくくりにはしにくい。

 声音に視線を向ける。そこに待ちわびた品を見出し、結名の表情が輝いた。

 セルクルから綺麗に外されて、二段重ねになったスフレパンケーキが登場する。表面には綺麗に焼き色がつき、粉砂糖で飾られ、上にはひと塊バターが落とされていた。メープルシロップは別添えである。銀盆に載せられた二皿は、柊子と結名の前に供された。


「もう、何なのコレ、ホントに美味しそう……」

「絶対美味しいですよ! いただきまーす♪」


 サクッと音を立てる表面に対して、中はふんわりふわふわである。まずはプレーンで食べ、結名は感動に打ち震えた。


 ――このお店、絶対リピする……! ってあれ? 小川くんに頼めば焼いてもらえる? うわ、厚かまし……


 結名がぷるぷるしている向かい側で、柊子もまたパンケーキにナイフを入れる。たっぷりバターを絡めての一口は、本当に美味しくて頬が落ちそうだった。

 ふたりの笑顔を見ながら、拓海は腰のポケットから財布を取り出す。そこから何かチケットを三枚、抜き取った。テーブルに置かれたそれを見て、結名は目を瞠る。


「ゴールデンウィークの後半に、皇海ここでゲームショウがあるんですよ。幻界ヴェルト・ラーイも出展してるので、よかったら行きませんか?」

「あれ? おまえも持ってるのか」


 皓星もまた同じチケットを二枚、テーブルに置く。慌てて結名も携帯電話のカバーから例のチケットを出した。同じ招待チケットが合計八枚も並ぶ。


「何でこんなにいっぱいあるの?」

「結名と行くつもりだったから」

「わたしも、ふたりと行くようにってお父さんからもらって」

「あー……私も母からもらったんですけど、足りない分はまたもらおうかと思って……」


 頭数は四人しかいないので、足りないどころか余っている。

 柊子はテーブル上の招待チケットをじーっと見つめ、不意に手に取った。一人に一枚ずつ分け、残り四枚を翳す。


「じゃあ、これ、私の友人にあげてもいい? せっかくだから、誘ってあげたいの」

「いいですけど」

「ありがと」


 柊子は自分の鞄にチケットを大事に仕舞った。そして、たっぷりとメープルシロップを掛けた一切れを、拓海の口元に運ぶ。


「ほら、あーん?」

「……あの?」

「健気なアルバイトくんに、おねえさんからご褒美。ほら、どうぞ?」


 自分のチケットまで後回しにして、三人に誘いをかけたのだ。柊子は、その根底にあるものが何なのかに触れてしまったような気がしていた。先ほどの「あきら」という女性は、絶対に偶然でこの店に立ち寄ったわけではない。彼をどれだけ信用していても、信頼したくない気持ちが透けて見える微笑み。あのひとは、柊子たちを値踏みしていた。

 拓海は口を開く。

 その放り込まれた激甘さに、彼はブラックのアイスコーヒーを一息で飲み干し、打ち震えた。その砕けた表情(素顔)を見て、柊子は満足げに微笑んだのだった。

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