短剣
アシュアの少し困っていた眼差しが、がらりと変わる。蒼い煌きがユーナを突き刺し、思わず彼女は「やっぱりやめます」と自身の決意を翻したくなった。助け舟を求めるようにシャンレンを見ると、彼もまた厳しい眼差しをユーナに向けていた。
「今、ですか?」
「賛成できないわね」
硬い声音で反対が表明され、唇を噛む。
「どうしてですか? 一応調べましたし、ちゃんと先のことも考えています」
「短剣ですよね。結構扱いが難しいんですよ」
テーブルにマグカップを置き、シャンレンは椅子から身を乗り出した。顔がぐっと近づいてきたので、咄嗟にユーナは身を竦める。だが、その一瞬でシャンレンの手には短剣が握られ、抜身のまま、くるっと彼の手の中で宙を舞っていた。
「あれ? 使えたっけ?」
「スキルはありませんが……少しなら」
シャンレンは柄を握ると、音もなく立ち上がる。斧を持っている時とは違い、シャンレンの立ち姿は全く力が入っていないもので、逆にそれが底知れぬ恐怖をユーナに抱かせた。そして、気づく。
彼は、全く短剣を見ていない。
刃が星明かりに煌いた、と思った時、既にユーナの首筋にぴたりとそれは合わせられていた。
「――いけそうですね」
淡々とした呟きと、冷たい刃の感触に。
胸の鼓動が、どん、と強く打ち鳴らされた。
「コラ」
「え、あっ、す、すみません! いえ、あの、その、お返ししますねっ」
アシュアの「何してんのアンタそれ以上やったらわかってんでしょうね」を一言でまとめあげた注意にすぐ刃は離れていき、また、くるりと短剣は宙を舞った。柄を逆手に握って、シャンレンはユーナへと短剣を差し出す。
呆然とその差し出された短剣を見て、ユーナは改めてシャンレンを見上げた。
本当に申し訳ない、という表情と、揺らいだ緑の瞳。
あの怖さがないとわかって、ユーナはようやく息を吐いた。細かく震えていた手で、しっかりとマグカップを持ち直し、テーブルに置く。
そしてようやく、短剣を受け取った。
「シャンレンさん、すごいんですね……」
「いえいえ、私のは護身術みたいなものですよ。よかったら、それでちょっと私を攻撃してみてもらえませんか?」
笑顔付きでさらっと提案されたことばに、目を剥く。
「レーンくーん?」
「大丈夫です。絶対に怪我はさせませんから」
自信たっぷりに言い放たれ、アシュアは深々と溜息をついた。何この商人、自分が短剣を向けられるというのに、保証するもの間違えてない?
「え、と、シャンレンさんは大丈夫なんですか?」
「ユーナさんの短剣なら、たぶん目を閉じていても避けられますけど……」
ひどい。
あんまりな言い草に、ユーナはフォローを求めるべく、若干の期待を胸にアシュアを見る。逆にアシュアはユーナの目をきっちり見据え、くいっと顎をシャンレンに振った。その姿が語って曰く、ヤッテオシマイ。
神官がそう言うのなら、いざという時も大丈夫だろう。
ユーナは立ち上がり、先ほど骸骨執事と戦った場所で短剣を構えた。
初心者用の短剣はセルヴァ譲りの短剣と異なり、やや小さめで、身長百六十センチ程度のユーナのような女の子でも、両手使いも片手使いもできるような作りになっている。まだ短剣が怖いユーナは、いつも柄を両手で握りしめていた。
シャンレンもまた、ユーナの向かい側に立つ。
「星明かりの加護」
二人のために、アシュアの加護が頭上に輝いた。
その瞬間、ユーナは顎を引き、短剣を腰の位置で両手に構え、そのまままっすぐ突き出す。が、シャンレンは左手だけで上からユーナの両手首を捕らえた。
「安定させるのはいいことですね。でも、それだと……」
そのまま体重を乗せられ、ガクンとユーナの体が傾ぐ。軽く手首をひねられ、そのまま短剣は床に転がった。痛みはない。両手首を抑えられているので、体が床を這うこともなかった。
シャンレンはユーナから手を離し、短剣を拾い上げて渡す。
「本当は、床に叩きつけて、首を打つんですよ」
さわやかに言うな。
綺麗な営業スマイルで返され、ユーナの口元がひきつる。もう一度、と促され、今度はもう躊躇わなかった。
結果。
右手上から狙っても、左下から狙っても、両手でも片手でも、全く歯が立たなかった。華麗にシャンレンは腕を掴んだり、引いたり、押したり、ひねったりすることで、ユーナの短剣を躱し、奪っていったのだ。
息切れ一つすることなく、シャンレンは指摘した。一方のユーナの疲労度は既にオレンジに突入している。限りなく赤に近づきかかった時、遂にユーナは膝をついて座り込む。
「わかりますか? これほどにリーチが短いんですよ。対魔物と考えても、対人と考えても、相当難しい――ただスキルを選ぶだけでは、とても戦えないと思います」
「は……い」
優雅に観戦していたアシュアは、シャンレンの流れるような体さばきに感嘆した。
「ねえ、ホントに短剣とか体術のスキルないの?」
「ありません。商人スキルを取って、斧スキルを取って、この後のために取ってありますからね」
「そ、そうよねー……」
両手剣士が使うパリィなどでもない。あれは武器を使って相手の攻撃を逸らすものだが、完全に今のシャンレンは素手である。そして、彼が宣言した通り、二人のHPは満タンの緑のまま変化はない。ユーナの疲労度はなかなか回復しないだろうが。恐らく、アシュアのMPがまだ黄色状態で回復待ち、ということを理解した上での行動だとは思う。アシュアももうしばらく休憩と判断し、更にビスケットを口に運ぶのだった。
ちなみに、初心者向けに短剣が用意されているのは、最初の町の南の街道沿いにいる草兎や草虫という最弱魔物を、ちまちまぷすぷす刺してレベル上げをするためである。
実は、初期装備が短剣であったために、スキルをそのまま伸ばしていけば無駄がないと思い込んでいたユーナにとって、シャンレンが出してくれた疲労度回復促進薬の味は、その事実の指摘と共にとても苦い。
「もう少し、考えてからにします」
現実時間にして一分に満たない、ユーナの翻意であった。




