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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第八章 薫風のクロスオーバー
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あなたの声で、呼んで

 霊術陣の緑色の光が、地狼自体をも発光させているように見えた。

 その漆黒の煌きは、心に染み入るような静けさと深淵を感じさせる。


【喚べばいいのに】


 哀しげな声だった。アルタクスが哀しむ理由がわからなかった。


「どうして?」


 今、確かに自分たちは窮地に立たされているのだろう。多くの仲間が風に散り、唯一の敵は暴走し、未だ攻撃は止まない。後衛は打てる手を打ち尽くし、MPの消費も甚だしい。前衛も多くが傷だらけで、それでもMP回復を待つための壁になるべく後ろを支えている。回復薬ポーション丸薬ピルラも残り少ない。

 それでも、あのひとのことは考えていなかった。今、この時、彼に問われるまで。

 ステータスは黄色にまで削られていた。そう簡単に、不死伯爵ノーライフ・カウントたる彼を傷つけられるものがいるはずもない。だからこそ、相当無理をしたのだとわかる。今は休ませてあげたかった。自身の影での眠りが、どれほどの癒しになるのかはわからないが、まだそれほど時間が経っているとは思えない。


【ユーナがたいへんなのを、黙って見ていられるわけないよ】


 まるでひとであるかのように、地狼がかぶりを振る。

 その声音に、ユーナは思い出した。従魔使い(テイマー)としての適性、幻界システムによる恩寵(従魔への魅了効果)、感情すら揺さぶる見えない数値(ステータス)


「ねえ」


 今、訊くべきことではない。

 この戦場で、まだ戦いは続いていて。

 誰もが絶望に瀕している、この時に。

 ――それでも、心は止まらなかった。


「何で、わたしの、従魔シムレースになってくれたの……?」


 漆黒のまなざしに、驚愕が走る。

 地図マップに表示された赤い光点(エネミー・アイコン)が、一直線にこちらに向かっていた。ユーナに対する答えを出す暇も与えられず、守護壁は圧倒的な質量の衝突に砕ける。地狼は地の精霊術の行使を手放し、ユーナへと飛びかかった。




 地図マップ上の赤い光点(エネミー・アイコン)が、ホルドルディールの現在地を伝えてくる。でたらめな軌道に法則性など皆無だ。だが、シリウスは剣を構えたまま、その光から目を離さなかった。怨嗟の声が耳に届く。あれほどの覚悟で迎えた無差別攻撃であるにも関わらず、多くの旅行者プレイヤーが無惨に打ち倒されていった。飛び上がったホルドルディールは、戯れるようにあちこちを潰し、何とユーナのところにまで衝突して、また跳ね返っている。ふたりのステータス表示がブラックアウトしなかったことに、胸を撫で下ろした。

 絶対に、退けない。

 覚悟の中で、雫を感じた。

 瞼を掠めた雫は、またひとつ、増えていく。

 雨だと気づいた時、それに吸い取られるように視界が緩やかに晴れていくのを感じた。粉塵が、雨によって大地に落ちているのだ。それは、ホルドルディールの姿だけではなく――大地にしっかりと立つ、彼の姿をも現す。

 ソルシエールが立ち上がる。その手には、雷を宿す投刃が煌いていた。

 ホルドルディールが岩壁に激突し、跳ね返る。地面を穿ち、飛び跳ね――勢いを増して、シリウスのもとへと襲い掛かった。


獅子王剣リオン・エスパーダ!」


 剣士シリウスは、このフィールドで初めて剣技アルス・ノーミネを口にした。上段からの一撃は、繰り返しダメージを受け、鱗甲板の剥がれたホルドルディールの顎先を貫き、喉元にまで入り込む。まさか、と攻撃を打ち出した剣士自身が驚愕した。その直撃に、ホルドルディールの球状変化が解け始める。大剣をどうにかしようと手が動く。しかし、剣士シリウスは更に剣技アルス・ノーミネを重ねた。抉った箇所からそのまま垂直に払い、腕を一本奪った。剣士が僅かに身を屈ませた、その瞬間を、ソルシエールは狙い撃つ。


雷迅光ラートゥム・レイ!」


 雷の閃光が空気を引き裂く。

 空から落ちる水にほんの少し拡散されながらも、彼女の全霊でもって放たれ直進した雷撃は、三本目の刃と共にホルドルディールの額を穿つ。

 同時に、剣士の身体を、ホルドルディールの尾が貫いた。




【――何でだろうね】


 ユーナの上で身を起こし、地狼は全身を震わす。パラパラと砕けた地壁が払われていく。細かな土と雨までが降ってきた。

 危うく吸い込みそうになり、彼女は思わず目を細め、口をしっかり閉じる。

 その様子を見て、フン、とアルタクスは鼻を鳴らした。


【今更、不満?】

「そんなわけないよ……」

【なら、どんな答えでもいいじゃないか】


 地狼はユーナの首筋へと頭を近づけた。

 脳裏に過ぎる、あの小さかった森狼の仔。今にも喰らいつくとばかりに、唸っていた。あの、まなざしは、いつから黒かった――?


【ここにいるんだからさ】


 摺り寄せられた鼻先は湿っていて、吐息は熱かった。


『シリウスさんっ!』


 ソルシエールの、PTチャット越しの呼び声。アルタクスの警戒スキルがユーナに地図マップを見せた。赤い光点(エネミー・アイコン)と、隣接する青い光点(シリウス)の表示。意識がステータスに向く。次いで、減少しつつあるシリウスのHPが映し出された。

 地狼はそのまま、ユーナの襟首を咥え、宙に放る。その漆黒の毛並みを掴むと同時に、彼は駆け出した。

 ぽつぽつと落ち始めた雨が、頬を打つ。耳に微かな悲鳴が掠めた。白と緋色が倒れたのが、視界の端に映る。宙に浮いている黒い人影、ユーナは息を呑んだ。アシュアが癒しを叫ぶ。シリウスのHPが回復するスピードと、減少するスピードはほぼ同じだった。

 シリウスのHPの減少は止まらない。アシュアの詠唱と詠唱の間にも、HP自動回復スキルとHP回復促進薬(ポーション)の効果が彼を癒している。焼け石に水ではあったが、それでも減少速度は僅かでも鈍っているはずだ。問題は、アシュアのMPである。このままでは、もたない。


光撃の矢(ペイル・グリッター)!」


 弓手セルヴァの背中は、真っ赤に爛れていた。ホルドルディールを射るまなざしに迷いはない。それは確かに鱗甲板の隙間を刺し貫いたが、鱗甲板に包まれた魔獣は動かなかった。


「ラストアタック、いけるぞ!」

「狙っていけ!」


 周囲から、戦闘への意欲を失わない声が上がる。

 遠方から放たれたのか、炎の矢がホルドルディールへと撃たれた。だが、その鱗甲板に弾かれ、朽ちた灌木へと落ちる。まだそれほど濡れていなかったのか、あっさりとそれは燃え上がった。


 ――お願いだから、待って、まだ、シリウスが……っ。


 このチャンスを逃せない。そう思う気持ちはわかる。でも、それでも、彼はまだ、生きているのだ。もし、飛来した攻撃がほんの少しでも逸れて当たってしまえば、もう終わりだ。


 アルタクスはセルヴァを追い越し、ホルドルディールに肉薄する。ユーナはマルドギールでシリウスを貫く尾を狙った。だが、その穂先へと無造作に黒衣の身体が晒され、攻撃の手が止まる。その身体が、フレイルの如くユーナを打ち払った。地狼の背から、地面へと投げ出される。抉られた地面が肌に傷をつけた。頬に痛みが走る。それを手の甲で拭うと、赤いものが付着していた。

 命の色だ。

 地狼がユーナをかばう。ホルドルディールの残った腕が、軽々とその身体を吹き飛ばす。

 ホルドルディールの、傷だらけの顎が大きく開かれる。鋭い牙が並ぶ口内が、ユーナを追い求めていた。

 眼前に迫る吐息に、彼女は目を背け――


「下がれ」


 怒りに満ちた、低い男性の声音が耳を打った。弾かれたように戻った紫の瞳は、長身の男性の背中を映し出す。彼の握ったステッキが顎裏を突き上げ、頭ごと捻る。鈍い音が周囲に散らばる。翻ったコートは、どこもかしこも銀糸の刺繍で埋め尽くされていた。降り始めた雨に、その肩先が濡れる。

 片腕で抱き起され、両腕で抱え直された。その足が軽く地を蹴ると、地面に伏した地狼の近くまで退く。衝撃を軽く頭を振って逃がし、アルタクスは起き上がった。


【――だから、言ったのに】


 苦みの混ざった声音に、ユーナは口元を震わせた。足先から丁寧に身体を下ろされる。背に触れていた腕が、一瞬だけ止まり、彼の迷いを伝えて離れていく。

 彼の顔を見上げることすらできず、ユーナは俯いた。


「ごめんなさい……」

「何故謝る?」

「ホント、すみません……」


 頼りない主で。

 言葉尻が消え入る。すると、次いで溜息が吐き出された。

 共鳴で、感情が伝わってくる。

 それは、苛立ち。

 ユーナが今抱えているものと、まったく同じ感情だった。そして、ベクトルまでもが同じであることに、彼女は気づいた。

 ユーナは、何故彼が、彼自身に苛立たなければならないのか、わからなかった。


「我が主殿」


 呼ばれて、ようやく見上げることができた。薄い色合いのまなざしが、陰っている。首を傾げると、銀色の髪が揺れた。


「そろそろ、呼んでくれないか? ……それとも、呼ぶに値しないほど、私は頼りないのかな」


 視界の端で、シリウスのHPバーが減少していく。黄色からオレンジに変わるのを、止められない。

 ユーナは、思いっきり頭を横に振った。その手が、彼の銀糸のコートを掴む。紫水晶のまなざしが、縋りつく。


「助けて、アークエルド……っ!」

「――承知した」


 その瞳の色合いが、歓喜と紅に染まった。

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