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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第八章 薫風のクロスオーバー
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暴走


 峡谷の空が曇る。噴煙によって積乱雲が生じたのか、周囲はたちまち陰っていった。このまま、雨が降るのかもしれない。

 弓手セルヴァは弓を引き絞ったまま、照準を合わせる場所に苦慮していた。粉塵の中、ホルドルディールの影すら見えない。しかし、この一矢をブレーキの一助にするために、彼は目を凝らしていた。

 ホルドルディールは死んでいない。打ち上がらない光と、柱がすべてを物語る。だが、攻略組・後続組を問わず、この場に集う後衛の火力と呼ばれる者すべてが全力を放ったはずだ。致命傷でないはずがなかった。そして、これほどの火力を浴びようとも、滅びないフィールド・レイドボスモンスターであることが胸に重く圧し掛かる。多くの死が生み出した成果が、今この時を紡いでいる。どれだけ血を流し、互いに傷つこうとも――最早、どちらかが滅するまでは、この戦いは終わらない。それは予測ではなく、ただの事実だった。


 神術陣が砕け散る。

 まるでガラスが割れるような音を、創り手たる青の神官だけが感じていた。


 爆風は神術陣の中で、未だに吹き荒れていたのだろう。

 唐突に視界を白煙で覆われ、旅行者プレイヤーは息を呑む。地狼の霊術陣が消える。すなわち、彼の地壁が破られたことを示していた。ラスティンの怒号が聞こえる。弓手セルヴァは霞む視界の中、地図マップの光点と照準を重ねた。

 見えた。

 重戦士ラスティンを弾き飛ばし、その勢いのまま転がるホルドルディールの色合いが、くすんでいる。回転数が落ちているのだ。そのHPははっきりと赤に染まっていた。思わず碧眼に喜色を灯し、弓手はそのまま矢を放つ。回転し続けるホルドルディールだが、その矢は弾かれることなく、鱗甲板の隙間に入り、矢じり以外の部分は折れ飛んだ。回転は今までに比べると緩やかであるものの、次の矢を番える隙は与えられなかった。弓手は進行方向を開けるべく、身を翻す。


 だが、ホルドルディールは直進しなかった。その軌跡が渦を描く様に、旅行者プレイヤーは回避を選択する。徐々に回転が上がっていく。


 シリウスは剣を鞘へと戻し、紅蓮の魔術師を担ぎ上げた。MPは回復しているようだったが、一度ブラックアウトした意識は今もなお戻らない。そして、ホルドルディールの狙い(ターゲット)は、自身に最もダメージを与えた彼のはずだった。直線的に狙いに来ない理由はわからないが、赤にまでHPが変わった以上、攻撃パターンも変わっているだろう。ジャンプでの攻撃も考えられる。警戒を解かないままで、できるだけ下がらなければならない。一刻も、早く。


【あいつ、おかしい】


 頭に直接響かせた声の持ち主は、次いでユーナをその背に放り投げた。視界がはっきりしない状況で、地狼は獣の勘を頼りにしているのか、迷わず駆け出す。その方向は、何故か岩棚の上へと向かう街道で、ユーナは焦った。


「アルタクス、待って!」


 しかし、主のことばに応えることなく、地狼は僅かに街道を昇ったところでその身体を灌木の裏側へと落とす。その動きを察したアシュアは、効かない視界に頼らず、地図マップに表示された光点を頼りに神術を組み上げた。


方円聖域の加護キルクルス・サンクトゥアリウム!」


 渦という軌跡を前提に、方円聖域でプレイヤー個々にダメージ軽減を掛ける。範囲が広すぎて完全な防御はできない。それでも、アシュアの神術に反応した他の支援職が防御の手段を取る。


風の防壁(ヴェント・ジタール)!」


 セルウスの風が、フィニア・フィニスと自身を取り巻く。重ね掛けされた二重の防壁に、更に彼は盾を斜めに地面へと突き刺した。その影へとフィニアを押し込む。


 地狼の動きに反応し、シリウスもまた、ホルドルディールによって穿たれた地面へと紅蓮の魔術師を寝かせていた。ソルシエールに離れないように言い置き、彼自身は剣を抜き放つ。迎撃態勢を取るものの、剣士シリウスも自分の剣が回転するホルドルディールに傷ひとつ負わせることはできないと知っていた。必要なのは、軌跡を歪める力だ。シャンレンが教えてくれた、衝撃で軌道を変更させる術である。

 剣士シリウスの背に、無謀な覚悟を読み取ったソルシエールは、紅蓮の魔術師に視線を落とした。未だに彼は目覚めない。耐久力など衣類並の魔術師である。ホルドルディールの直撃を受ければ、ひとたまりもないだろう。守るために攻撃に転じるという剣士シリウスの姿勢は、彼女にとっても望むところだった。だが、鱗甲板に覆われたホルドルディールに、彼女の雷魔術は殆ど効かない。表面で弾かれ拡散されるのがオチだ。体術で衝撃を与えることならできそうだが、今の怒り狂っているホルドルディールに触れれば、弾き飛ばされるのはやはり彼女のほうだ。唯一効果的と思われる手段は、今もなお生えたままになっているシャンレンの短剣や自身の投刃目掛けて、体内にまで雷魔術を届けることだろうか。いずれにせよ接近が必要となる。ソルシエールは投刃を持つ。そこに刻まれた雷魔術に触れ、彼女もまた、その一瞬を待った。


「伏せろ!」


 旅行者プレイヤーのその声が、最後の忠告となった。

 地狼が地壁を築く。ほぼ周囲を完全に取り囲むほどの防壁が完成した時。


 ホルドルディールは暴走した。


 球状のまま、峡谷の底を駆け巡る。転がり、跳ね、轢き、潰し。この場にいるすべての敵を対象とした、確実に一撃を加えていく形での攻撃。視界が効かない中でも、耳をつんざく叫び声がそこかしこから響く。防御を選んだ者は多少なりともダメージを軽減させていたが、回避を選んでいた者はまともにその攻撃に全身を晒している。地図マップから消えていく光点に、アシュアは唇を噛んだ。その身体を、誰かが横合いから抱えて引き倒す。


「セ……」

「ごめん!」


 既にホルドルディールによって抉られた穴の隅へとアシュアを放り込む。その荒業に、彼の武器である弓までが落ちた。構わず、弓手が自身の身体で蓋をするように塞ぐ。すぐに、衝撃が訪れた。耳障りな音が、命を削る音が、彼女の真上から伝わる。それはHPバーの減少によって、露骨に数値化していた。色合いは……赤。歯を食いしばった口元が、ふっと緩む。地図の赤い光点(エネミー・アイコン)はまだ動き続けていた。第二波の可能性に、彼女の背筋が凍る。


「わが手に宿れ癒しの奇跡(クラシオン・リート)!」


 青の神官(アシュア)の祈りは、確かに届いた。たちまち弓手セルヴァのHPは黄色にまで回復していく。あの聖域の防御神術がなければ、と思うと恐ろしくて震えがくる。しかし、起き上がろうとするアシュアの肩を、セルヴァは再度押しとどめた。


「ダメだ、まだ」


 彼女が、せめてPTMの癒しを行ないたいと思っていることなど、セルヴァには手に取るようにわかった。PTのステータスで、現在無傷の者などいない。誰もが何がしかの傷を負っている。戦闘は終わっていない。次につなげるためにという気持ちなど、痛いほどわかった。

 だからこそ、アシュアを死なせるわけにはいかなかった。

 道具袋インベントリに手を入れている余裕などない。セルヴァは直接ウィンドウ操作でアイテムを……命の丸薬ピルラを使用する。HPが緑まで戻った。

 アルタクスがユーナを、シリウスがペルソナとソルシエールを守るだろう。あの攻撃は今のところ峡谷の底に限定されている。おそらく上にいるシャンレンたちに影響はない。


 怒り狂っている暴走も、いつかは止む。

 その時まで耐えるのだ。




 耳を覆いたくなるほどの、絶叫だった。奪われていく命、潰されていく命、削られていく命。そこかしこから悲鳴だけでなく、更に呻き声が響いている。底から少しばかり離れ、しかも、地狼の地壁によって隔絶され、唯一彼の放つ霊術陣の光のみが存在するこの場所にまで、旅行者プレイヤーたちの苦鳴は届いた。


【どうして、喚ばないの?】


 それは、静かな問いかけだった。 

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