幻想の中で踊れ
いざという時には、盾になる。
その意識で、また使い捨てにと重鎧を纏っていた。
叩きつけられた衝撃を、そんながらくたでも緩和してくれていた。
よかった、と思った。
一瞬、意識が完全に飛んでいた。ルーキスの、布でできた手のぺちぺちが彼を呼び戻す。
シャンレンは重い身体を起こし、駆け出した。エスタトゥーアへとホルドルディールの爪が伸びるのが見えた。横合いから、体当たりを仕掛ける。物理攻撃を弾く鎧は、その重量と勢いの分衝撃を受けて逸れた。そのままホルドルディールとエスタトゥーアの間に押し入る形で、シャンレンが倒れ込む。
悉く邪魔をする鎧など、面白くもない。
ホルドルディールは爪を振るった。無造作な一撃が、シャンレンの纏った重鎧に深い傷をつける。
再度その爪が振るわれようとした時、メーアのシンクエディアがホルドルディールの後ろ足を抉った。シャンレンが作り出した間は、同じく目覚めたメーアも無駄にしなかった。ホルドルディールは背後を見ようと身じろぐ。尻尾を回避しつつ、更にもう片方の後ろ足へとメーアは刃を突き立てた。
エスタトゥーアは己の唯一の武器を握り、音楽を奏でながら後方へ下がった。二体の人形は、重いはずのシャンレンを引きずりながら、彼女の下へと持ち帰る。人形の手で兜を取らせると、汗にまみれ、口元から血を流した交易商が姿を見せた。
「無茶をしますね、交易商さん」
「……姐さんを見習うと、こうなってしまうんですよ」
瞼を下ろしていた彼に優しく声を掛けると、その目が開かれた。ふふ、と笑い合う。
完全にがらくたに成り果てた重鎧を、シャンレンは装備解除で全て外した。ようやく、呼吸が少し楽になる。だが、息をするだけで胸のどこかが……肋骨が折れているような、そんな痛みが走った。命の丸薬を彼の口元へ運び、エスタトゥーアはホルドルディールを見た。
真紅のまなざしを細める。
メーアは今、ホルドルディールの後方で気を引いている。今なら。
「――あなたも、メーアも、技名に囚われていますね」
「シリウスさんのようにはいかなくて。身体がまだ、技を覚えてくれないんですよ」
「技を繰り返すうちに覚えるものです。曲を覚えるのに、似ています」
エスタトゥーアは、道具袋から友から贈られた品を取り出した。持つことすらできず、彼女は地にそのまま下ろす。その、巨大な鎌に、シャンレンが目を瞠る。
「ほんの少しだけ、わたくしのお人形に、なってくださいませんか?
――わたくしも、無茶をしたくなりました」
艶やかな微笑は、かつて「白の死神」と呼ばれた彼女のものだった。
『下に落とせ!』
『ちょっと今は無理……かな……っ』
PT要請には、視線で応えた。だが、耳元で叫ぶ紅蓮の魔術師の声に、行動で応えられるほどの余裕はなかった。舞姫は回避を優先しつつ、常にホルドルディールの後方へと立ち回り、気を引いていた。両手両足にも鱗甲板はあったが、関節部分には隙間も大きい。そこを狙っていく。
今、ホルドルディールは崖っぷちにいる。ほんの少しの衝撃を崖側に向かって放つだけで落ちていくだろうという予測は、峡谷の底で見上げる旅行者が皆持っていた。しかし、今、シャンレンは重傷、エスタトゥーアには攻撃らしい攻撃手段など最早なく、唯一メーアが戦える前衛だった。
だが、舞姫は確信していた。
間違いなく訪れる、救いの手を。
自身よりわずかに遅れて到着するはずの、雷の導き手を。
――あと少しで、いいんだ。
ただ一人、孤軍奮闘する舞姫の姿は、遠目からはひらりひらりと舞い踊っているようにしか見えない。その美しい光景に、峡谷の底の旅行者は夢を見た。あのまま、麗しき舞姫はホルドルディールと戯れ続ける、と。
そんな夢物語に、岩棚の上の誰もが付き合う気はなかった。
「メーア、避けて」
凛としたエスタトゥーアの声音に合わせて、大鎌が振るわれる。風圧がメーアとホルドルディールの間を割り、間合いを広げた。合わせて下がった舞姫は、その大鎌の持ち主を見た。
瞼を閉じた、交易商がそこにいた。
「意識を落とせばいいんですね」
いとも容易い、と言わんばかりに、シャンレンは微笑んでみせた。
最後に、信じます、と呟いて、彼は自分の首へと手を当てる。軽く触れただけで、シャンレンのステータスは「気絶」に切り替わった。
エスタトゥーアは彼の首筋に、自分の首飾りを掛けた。自身の魔力を込めた魔石を配置した首飾りは、触媒として最適である。彼女の瞳と同じ真紅は、交易商のベストにも負けず輝いていた。
意識のない旅行者は、己の人形と同じく術式で操ることができる。眠るメーアで、こっそりと術の対象になるか研究したことがあり、知った事実だった。ただ、当然実行したことはない。人形遣いとして、禁忌ではないかと躊躇ったせいだ。
だが、今、全てを賭けて誰もが戦うのであれば、自身も打てる手は全て、打ちたかった。
「――目覚めよ、我が愛し子……起動」
意識が、人形に重なる。
操術師エスタトゥーアは、新しい人形に新しい玩具を握らせて、ホルドルディールへと向き直った――。
大鎌のスキルなど、持っていなかったはずだ。
閉ざされた瞼、その表情からも、何も見出すことはできない。当然だ。彼は今、意識を失っている。
しかし、メーアと共に攻勢を仕掛ける様子は、どう考えても意識がないものではなかった。
大鎌が振るわれる。その鎌がホルドルディールの頭部へと食らいつき、そのまま地面へと打ち倒す。それは、明らかに大鎌技だった。鱗甲板によって直接的なダメージは入らないが、シャンレンの大鎌は巨体をものともせず、技の威力でホルドルディールのバランスを崩していた。大鎌故に大振りになり、硬直も大きい。刈る目的では使われない。それでも、ホルドルディールの鱗甲板に、大鎌の一撃は十分な衝撃を齎していた。
空いた背中を狙って尾が追撃してくる。メーアは双剣を重ねてその一撃を耐え、払いのけた。
「とんだ隠し玉だよ……っ」
「長くはもちません」
「こっちもだ!」
これほどの巨体を、たったふたりでもたせられるはずもない。まして、エスタトゥーアは今までとは桁違いのMPを消費していた。操術の対象が今までの小さな人形とは異なり、れっきとした人間なのだから、道理というものである。
『お待たせ、しましたっ!』
耳元に届いたのは、魔女の声。
息切れも甚だしいことばに、それでも希望が宿る。
靴音が、響く。
白衣の袖が、緋色の袴が翻る。袖口から除く白銀の腕輪には、既に加護が宿っていた。
彼女の指先が投刃の背を撫でる。術式が雷を生む。
「――雷の矢!」
シャンレンが貫いた額へと、更に重なるように彼女の刃が届く。
脳天を雷が奔る。頽れるホルドルディールに、ソルシエールは不釣り合いな白いブーツの踵を全力で叩き込んだ。
長く、豊かな黒髪、漆黒の瞳。
白衣に緋袴という、エスタトゥーア謹製巫女装束で、彼女はそのままホルドルディールと共に、峡谷の底へと落ちていった。




