怒りの矛先
『ぃやったあああああああっ!!!!!』
フィニア・フィニスの後を追ってきた後続組が、喊声を上げる。
次いでレイドPTもまた、ひっくり返ったホルドルディールを取り囲んでいく。めいめいが武器を持ち、その無防備な腹部を拝むべく、どちらに倒すかと声を掛け始めた。巨体なので、仰向けにひっくり返っていると剣が届かないのだ。真下に旅行者がいる状況の揺れる巨体に魔術や弓を撃ち込む者は、さすがにいなかった。
連続技を繰り出し続ける形での時間稼ぎが、まさかの展開で途切れた。シリウスは赤い双眸から光を失っているホルドルディールを一瞥し、息を吐く。その全身に、かすり傷程度の赤い筋が入っていた。どれも血は止まり、HP自動回復の恩恵によって徐々に癒え始めている。剣をその場に突き立て、効果の切れた疲労度回復促進薬を道具袋から出し、口に含む。戦いは、まだ終わっていない。
ユーナは、シリウスの足元へと力なく座り込んだ。元々戦士ではない彼女は、体力系どころかすべてのステータス増加に関するスキルにスキルポイントを割り振っていない。HPこそ大きく削られていないものの、疲労度はもう黄色に染まっていた。その眼前に、体力の丸薬が差し出される。弓手の心遣いを、ありがたく彼女は受け取った。ユーナの背に、地狼が擦り寄る。従魔回復が発動し、彼の全ステータスに癒しを与えていく。
アシュアは魔力の丸薬を飲み下した。口内に広がる苦みが、彼女の警戒をより一層高める。HPの色表示の変更は、最も攻撃パターンが変わりやすいタイミングだ。ボス戦を体験した旅行者ならば、誰でも知っている。
しかし、目の前にひっくり返ったボスモンスターがいれば、やはり据え膳だとしか思えないだろう。
いつ目覚めるか知れない魔獣を旅行者が素手で揺らしている様子に、アシュアは息を呑んだ。
『あら? 動きを封じられたんですか?』
歌が止み、PTチャットによってエスタトゥーアの声が状況を問う。
紅蓮の魔術師はホルドルディールを見つめたまま、答えた。
『目を回したようだな』
『あらあら』
ふふ、と笑う彼女は声を低め、ことばを続ける。
『わかっているとは思いますが』
『当然』
彼は術杖を構えた。合わせるように、剣士が座り込んだユーナの前に立ち、剣を引き抜く。耳元で交わされた会話に、ユーナは首を傾げる。同じ疑問を抱いたシャンレンが、エスタトゥーアに訊く。
『え、あのままトドメでは?』
『ほんの少しの刺激で、恐らくすぐ目覚めるでしょう。今はサービスターンですよ』
「んふふふふっ、このタイミングを待ってたのよぉっ!」
PTチャットに被る、聞き覚えのある声。
とろんとしたまなざしと同じ薄緑色の髪が掻き上げられると、彼女の豊かな胸元がたゆんたゆんと揺れた。巣が荒らされたとでも思ったのか、チチチチチュイ!と翡翠色の小鳥が怒りながら頭の上で飛び跳ねている。そのとなりで、紫紺の髪の少年が溜息を吐く。
「寝てただけだろ、お前……」
「待ちくたびれちゃったんだものぉ、しょうがないでしょぉ!?」
「いいから、やるなら早くやれって」
「はいはいはあい♪」
どこから湧いたのか、ルーファンはいつかのように指先のない白の手袋に包まれた手を、振り上げた。
「おーい、そっちいくぞー」
「気をつけろよ!」
「挟まれるなよ」
「ちょっ、一気に押せよ」
「昏倒からはすぐに目覚める! 今のうちに怪我人には回復を、他は体勢を整えるんだ!!」
「やだもうっ、アタシのほうが先だってばぁっ!
いっくわよぉっ! テイムーぅぅぅっ!!!!!」
ホルドルディールの周囲では大規模な揺さぶりをかけているにも関わらず、従魔使いをたぶん志している彼女は構わず指さし叫ぶ。ラスティンの声すら掻き消す勢いのそれに、へ?とその場にいた旅行者がルーファンへと視線を向けた。釘付けである。
だが、ホルドルディールは身動きをせず……否、揺らされるままになっていた巨体が、丸まり始める。その赤の双眸には光が戻っていた。明らかなる敵意を剥き出しにし、球状変化する。慌ててその場から離れようとした旅行者もいたが、遅すぎた。その場でジャンプを開始するホルドルディールに、呆気なく潰される。
もう一度、モラードは溜息を吐いた。
「失敗」
無情な宣言も、先日と同じものだった。
「お前、いい加減成功してくれよ……」
「ほ、ほらっ、ひょっとしたらぁ、アタシがどついてないせいかもしれないしぃ、今からがんばるからぁっ。ねぇ?」
「もう無理だろ」
ひゅんっ、と軽い音を立ててモラードの鞭が振るわれる。従魔使いによらない「テイム」が癇に障ったのか、ホルドルディールはルーファンとモラードのほうへと近寄りつつあった。回転を高めつつ、地響きを起こすという本気具合に、周囲は息を呑む。回避は間に合わない。
「天竜鞭!」
翻った鞭が小規模な竜巻を起こす。進行方向を歪めるべくホルドルディールにぶつけられたはずが、ジャンプしているタイミングだったせいか、一気にホルドルディールは高く舞い上がった。
飛んでいった先が。
『シャンレン!』
シリウスの声に、彼は斧を構えた。描かれる放物線と、予測される着地点。シャンレンの脳裏に浮かぶ解答は、残念ながら、彼の望む結果ではなかった。だからこそ、無謀でも、エスタトゥーアが生き延びるという勝率が高いほうを選んだ。シャンレンを後押しするように、人形遣いの曲が戻る。二体に人形が動き出した。魔曲の支援効果により、反応速度が上昇する。
「戦斧旋舞!」
複数回斧を振り回すという斧技を発動し、カウンターを狙う。高回転する物理攻撃の一切を弾く球に対して、強化されているだけの斧では荷が勝ちすぎた。質量ともに耐えられるはずもなく、シャンレンの戦斧は一撃で砕け散る。だが、それでじゅうぶんだった。確かに彼の斧技の発動タイミングは最高のものであり、そのカウンターによって着地点がぶれたのだ。
――エスタトゥーアの真上ではなく、彼の目前へと。
斧を消失させるほどの衝撃を受け、本来弾かれていくはずのホルドルディールはその場に落ちた。球状が解かれていく。シャンレンは斧の石突を捻った。
「銀糸断」
ルーキスとオルトゥス、人形遣いの傍で彼女の旋律に合わせて舞い踊っていた二体の人形が、エスタトゥーアに応える。シャンレンに迫るHP吸収を狙う尾の先へと、銀糸が絡みつき……鱗の合間を縫って、一部を切断した。しかし、シャンレンへと向かうホルドルディール自身の爪は止まらない。
十字の刃が、太陽に煌く。
「双華乱舞!」
シンクエディアがホルドルディールの爪と交錯し、戦慄を歌う。色鮮やかな帯と、柔らかな衣装を身に纏い、舞姫が降臨した。細かな傷を与えられ、ホルドルディールは相次ぐ痛みに動きを止める。同時に、メーアの双剣技も硬直に入っていた。シャンレンは柄の中に秘めていた短剣を引き抜く。投げられた刃は迷わずホルドルディールの眉間へと吸い込まれていった。追加された痛みがホルドルディールを暴れさせ、一部を断ち切られてもなお長い尾がシャンレンとメーアをまとめて打ち払う。地面に叩きつけられ、シャンレンの纏っていた重鎧がけたたましい音を立てた。衝撃に、ふたりの意識が暗転する。
ホルドルディールの、身体に対して細い腕が、必死で頭を撫でる。しかし、シャンレンの一刀はしっかりと鱗甲板の隙間に深く入り込み、抜くことはできなかった。ヴェェェェィッと鳴き、身悶えている。全身に刺さっていた矢は矢尻を体内に残したまま、他は回転時に折れている。それとは異なる類の痛みに、ホルドルディールは不快さを隠さなかった。
HPが、黄色に近づく。それは、ホルドルディールの本能へと働きかける、重大な要素だった。
細い、一本の短剣を眉間に生やしたまま、ホルドルディールは白い人形遣いへと向き直る。そこに、餌がいる。柔らかそうで、美味そうな。喰えば、癒される。
銀糸断は人形たちに仕込んだ魔銀糸を使用する一撃である。たった一度しか使えない。人形たちはくるくると踊る。彼女の魔曲に合わせて、ただ、ひたすら、舞姫と交易商の目覚めを促しながら。
『エスターっ!!!!!』
友の、悲痛な呼び声が、聞こえた。




