爆風の中で
到着が早すぎる。
「眠る現実」のPTリーダー、重戦士ラスティンは舌打ちした。鐘一つ分の時間を稼いだつもりだったが、全力疾走でもしたのか、彼女はこの場に現れた。厳密に言えば、一角獣の面々が、だ。
いろいろ、想定外のことが起こっている。
もちろん、一角獣のこともだが、それ以外にもだ。
思ったより攻略板で募集した面々の中に、腕がよいのが揃っていた。それほど間を置かず全滅するだろうという予測はあっさり覆され、今もまだかなりの数が戦場で駆け回っている。正直、これはいい結果だった。使えない足手まといなど、捨て駒にするのも邪魔なだけだが、それよりは遥かに高い効果を上げていた。何と言っても、ホルドルディールの攻撃を受け流し、連続攻撃のタイミングやパターンまでも露呈させているのだ。嬉しい誤算と言うべきだろう。
そして、その一方で。
残念なことに、その後続組たちによってかなり回復されてしまったが、ホルドルディールは何故か既に、ダメージをかなり受けていた。後続組たちが突撃した直後に到着したはずの自分たちも目を疑ったのだが、その色合いを間近に見ると認めざるを得ない事実だった。何と、オレンジにほど近い黄色にまで変化していたのだ。
あれだけ最初から削られていたのであれば、自分たちがまず突撃するべきだった。後続組はただの餌扱いだ。ホルドルディールにしてみると、HP回復薬を与えられているような心境ではなかろうか。
自分勝手も極めたな、と自嘲するほどの考えだ。苦い後悔を覚悟していたが、これほどのものになるとは思わなかったのだ。まさに、攻略板でレイド情報を仕入れ、遠路はるばるここまでやってきたにもかかわらず、散っていった後続旅行者のしたことは――無駄死にだった。
「どうするんだ? ラス」
自PTの神官が問う。潮時だと、頷いた。
舞台を作らねばならない。
ラスティンは吠えた。
「一角獣が到着したぞ! 連中に遅れを取るなーっ!!!」
鬨の声が、上がる。今か今かと待ちわびていたレイドPTは、一斉に牙を剥いた。
墜落の衝撃は来なかった。物凄い風圧は徐々に弱まり、峡谷の底につく前には殆ど停止と変わらないほどだった。アルタクスも身体に力を入れていたので、たぶん最悪は陣から飛び出すつもりだったと思う。単純に自身がしがみついていたせいもあるとは考えず、従魔使いは既に疲労度の減少を感じていた。もちろん、気のせいである。
「大丈夫?」
あまりの憔悴っぷりに、弓手が気遣う。だが、碧眼は瞬時に細められ、合わせて弓弦が引き絞られた。
「網矢陣!」
魔銀糸で紡がれた網が、球状変化し、こちらへと回転攻撃を仕掛け始めたホルドルディールを包み込む。その網は若干、球威の速度を弱めたに過ぎなかったが、彼らが着地し、浮遊陣が消え去るまでの間隙を埋める働きをした。
背後は峡谷の絶壁である。ホルドルディールの突撃を、辛くも全員が回避した。多少勢いを弱められたホルドルディールは、岩壁に僅かにめり込む程度だった。すぐに球状を解き、新たなる敵の出現を歓迎するように睥睨する。
それに応えるように、紅蓮の魔術師は指を術杖に滑らせた。
「火炎爆発!」
あいさつ代わりの中級火炎魔術が、ホルドルディールの腹部から上へ向かうように炸裂する。炎と爆風に煽られて、ホルドルディールは悲鳴を上げながら仰け反った。体勢が崩れ、火傷した喉元から腹部が晒される。火炎魔術の影響が消えるタイミングに合わせ、剣士が走った。弓手の弓弦も鳴る。
水平に突き込まれた剣は、そのまま腹部へと吸い込まれていった。シリウスは身体をひねり、剣を右上から左下へと振り下ろす。弓手の矢が切り裂かれた箇所へと吸い込まれていく。更に、剣士の技は続いた。剣の勢いを生かし、真上へと跳ね上げ、垂直に払う。
ホルドルディールの尻尾が動く。ユーナは駆けた。ホルドルディールの尻尾はシリウスへと狙いを定めて突き入れられようとしていたが、間に割り込んできた従魔使いによって変更を強いられる。だが、餌が変わるだけだ。ユーナのマルドギールとホルドルディールの尾が交錯する。
「来たれ聖域の加護!」
神官の加護がユーナを包み、マルドギールが尻尾を打ち払うように振るわれた。重い衝撃にユーナの腕が痺れる。その首筋を地狼が咥え、ホルドルディールの傍から引き離す。剣士は技の硬直時間を乗り切ったが、ホルドルディールの身体から球状変化を起こす初動を見出す。
『下がって、シリウス』
セルヴァの声に、剣を引いて場を譲る。退いた剣士と入れ違いに前に出て、罠師は炎地雷をばら撒いた。
「炎の矢!」
「来たれ聖域の加護!」
球状変化に至ったホルドルディールが、炎地雷を踏む。小爆発の初撃が誘爆を起こし、更に炎の矢が爆風の方向を変える。衝撃で回転に至れないホルドルディールから、加護に守られた罠師が下がり、距離を取った。
その時、峡谷に鬨の声が上がる。
『眠る現実、動き出しました』
耳元に届く交易商の状況報告で、レイドPTの突撃だと把握する。一角獣は一旦ホルドルディールから離れるべく、間を計った。
ホルドルディールは球状に至ると爆風の影響は受けても、ダメージは受けていない。何とかシリウスでもアシュアの支援で向きを変えることはできそうだが、盾士でもなければ受け止めることは叶わないだろう。
レイドPTが背後から迫る。場を明け渡すべく、進路を開けた。盾を構えた重戦士が先頭に立っている。
「早かったな!」
すれ違いざまに叫ばれたことばに、アシュアは目を細めた。彼の声音には歓迎の色合いが強く見え、悪意を感じない。話をつける余裕などない。これもまた計算づくなのだろうとわかる。無言でその背を見送り、彼女は法杖を掲げる。
「防御!」
『来たれ聖域の加護!』
壁際に近い今、動きを封じる好機でもある。
重戦士が防御の構えでホルドルディールを受け止めようとするのを受け、アシュアとウィルの神術が重ね掛けられた。ホルドルディールの回転が高まるより早く、ラスティンはその巨体を盾で抑える。セルウスのものよりも遥かに大きな、長方形のスクトゥムだ。
そのタイミングを突き、レイドPTの攻撃が入る。弓矢、魔術、剣撃、矛、斧……雑多な攻勢の中、見た目が派手なものは鱗甲板に防がれているが、レイドPTの腕前によってその隙間に押し入っている攻撃もある。先ほどの一角獣の連撃に続き、じわじわとHPが削られていく。ホルドルディールとしては、ウザイ、の一言に尽きるだろう。
ラスティンを押し倒すように、ホルドルディールが動き始める。
アシュアは自身の聖域が砕ける感触に、更に神術を重ねた。
「方円聖域の加護!」
ホルドルディールが回転を瞬時に高める。それは暴走と言ってもいいほどだった。地を抉り、渦を徐々に大きくするように回り始める。弾き飛ばされるレイドPTを、僅かにでも衝撃から守ろうと防御神術が発動される。
いったん下がっていた一角獣や、これまで王都に向かう通路側近くで戦闘を繰り広げていた後続組は難を逃れたが、渦に巻き込まれた者は地を這うか、最悪、壁との間に挟まれて潰されていた。そのさなか、真っ先に立ち上がったのは、加護を重ねて受けていた重戦士だった。
多くの味方がたったの一撃で大ダメージを受けた。今までにはない攻撃パターンに、臍を噛む。
球状変化を解いたホルドルディールが、HPを癒すべく手近な餌を喰らう。その巨体に敷かれていた旅行者は一瞬で絶命した。全身に走る痛みが、更にその光景を絶望に彩らせる。
だからこそ、彼女は奇跡の神術を紡ぎ上げた。
「わが祈り天に満ちよ万人へ癒しの奇跡を!」
命の神術陣が峡谷の空に浮かぶ。ユヌヤの空に浮いたものとは異なり、かなり小規模であったが、ホルドルディールから少し離れた場所に広がった神術陣から、傷つき倒れた旅行者のもとへ光の粒が舞い降りた。僅かながらもHPが回復することで痛みが緩和され、同時に彼らの心へと希望を灯す。
『飛ばすなよ』
『節約してるわよ』
仮面の魔術師のことばに軽口を返しながら、彼女は口へとMP回復促進薬を運ぶ。実際、ステータス増加の支援神術は使用せず、攻撃は手数によって賄ってもらおうと考えていた。レイド戦では個人の能力よりも、全体の連携が重要となるのだ。
既に剣士と弓手、そしてユーナとアルタクスが攻勢に移っている。紅蓮の魔術師はシリウスの剣とユーナのマルドギールへと炎の加護を付与した。近距離戦を繰り広げているタイミングで、遠距離砲は発動できない。あくまで、レイドPTが体勢を整えるまで、間を持たせるだけだ。
地狼は近くで転がっているために邪魔な旅行者の前に地壁を築き、逃げる時間を稼いでいた。霊術陣を発動している間は動くことができないため、前衛としてシリウスとユーナが支えている。
HPを回復したいホルドルディールは球状を解いているが、依然として両手両足の爪や牙は鋭く、特に気をつけなければならないのは、尾のHP吸収である。それらを剣先で弾きながら、シリウスは時折ユーナと変わって間合いを取る。かつてコマンド入力で遊んでいたMMO時代に戻ったような感覚に、彼は自然と笑んでいた。
「何?」
「いや、来るぞ」
セルヴァの矢が、もう何本も鱗甲板の隙間に入り込んでいる。今もまた一本、アルマジロをハリネズミにしようという勢いで、彼の精密射撃が巨体を穿つ。その攻撃によって、シリウスは技の硬直時間に追撃を受けずに済み、ユーナは呼吸を整えていることができていた。的確な彼の援護にホルドルディールは怒りの咆哮を上げる。
シリウスの、やけに楽しげな様子が気に掛かったユーナに、彼はその感覚を説明することなく再度剣を構えた。剣士は正面から入ると悟り、ユーナは尾の動きを警戒すべく、短槍を持つ。槍のスキルマスタリーしか持たないユーナは、攻撃のアクティブスキルを使えない。よって、技の硬直は起こりようがなく、その分だけシリウスの隙を埋めることができていた。一瞬とて気を休めることのできない前衛での動きは、ターゲットの判断とそれに対する反応という基本的なゲームでの対処と変わらない。ただ、ひたすら動き回っているせいか、身体が熱い。だが、頭の芯は冷えている。この一手を、次に繋ぐ。その意志が彼女の身体を冷静に動かしていた。
そして、峡谷に旋律が舞い降りる。
弦の音色に合わせて、美しい歌声が響き渡る。それを聞く心のある者へと、力を与えるために。
エスタトゥーアの魔曲が、全体への速度上昇効果をもたらす。彼女は音を広げるために、かつて仮面の魔術師も使用した拡声の魔術具を使用していた。攻略組、後続組問わず、その恩恵に預かる。彼女の姿勢は、まさに青の神官の写し鏡だった。
『ったく』
らしくない。
大鎌を振りかぶり、己の手で敵を屠ることを楽しんでいた白の死神が、支援を行うなど。
あの頃の彼女を知る者なら、その変わりように目を疑うことだろう。
だが、今のエスタトゥーアは、心から、誰かを支えることに喜びを見出している。それはアシュアも良く知る感情だった。
「アンタも、回復しとけよ」
ラスティンを追い越す形で、金髪の子どもが駆け抜けていく。重そうな十字弓を腰に抱えながらも、今激化する戦場へ向けて、躊躇いはない。次いで、上半身だけ鎧で覆った盾士が続く。だが、盾を抱えているにも関わらず、彼からは術句が紡がれた。
「疾風の加護!」
風の魔術陣がふたりを捉える。その駆ける速度が上昇していく。それを見て、思い出した。従魔使いの声に応えていた狩人だ。そして、従魔使いの命を助けることでアシュアが叩かれる要因になったアンファング討伐クエストのMVPもまた、金髪の狩人だった……。
「避けろよ! 風爆矢!」
フィニア・フィニスの十字弓から、一本の巨大な爆裂矢が射出された。まるでミサイルランチャーのような軌道を描き、ホルドルディールの目前へと着弾する。そこには、セルヴァの炎地雷が待ち受けており。
「炎の矢!」
「方円聖域の加護!」
黒色火薬の相乗効果によって発生するであろう爆風を予測し、炎の矢がホルドルディールへと向けて放たれた。合わせて、アシュアの聖域が放火魔と爆弾魔による爆風を思い出しながら、より強固な形で築かれる。それは予測よりも多い形でMPを消費させたが、彼女の守りたいものを完全に守り抜く結果を生んだ。
ホルドルディールが吹き飛ぶ。光の聖域が回避を選んでいたシリウスたちだけでなく、起き上がり戦闘に復帰していたレイドPTの旅行者をも保護した。爆風の影響をまったく受けることない事実と、目の前の光景に、彼らはその場に立ち尽くした。
ホルドルディールが、ひっくり返っている。
そのHP表示はほぼ黄色に染まりつつあり。
両手両足尻尾を力なく下ろしたままで、レイド・フィールドボスは目を回していた……。




