生贄
『……間に合い、ました』
フィニは。
名も知らぬ旅行者の生命の光が、風に融けていく様を見ながら、ユーナは唇を噛む。攻撃パターンは聞いていた。だが、それぞれがぶつ切りになっていたのだ。球状になる。転がる。跳ねる。尻尾でHP吸収。喰われることもある。球状変化の際の巻き込みに注意。狙う場所は球状でない時の腹部と、鱗のない場所……。
コマンド入力のゲームですら、AIが行動を起こす場合にはそのパターンが抽選され、ターンが溜まっていたら連続攻撃となる。それぞれの攻撃ターンでどの攻撃を選ぶのかは抽選結果次第であり、それでもその行動の初動を把握することで回避が可能になるのだ。
まして、ここは幻界である。地狼や不死伯爵を見ても、単なるぶつ切り攻撃などしていない。すべての行動に連続性があり、目的がある。
地狼の背から、峡谷を見下ろす。
今、命を握り潰したばかりのホルドルディールが転がり始めた。洋梨型の広場のほうへ……と進んでいこうとした時、急激に方向を変える。王都側へと逃げようとした旅行者を探知し、回転を上げた。呆気なくまた、ひとり轢き殺される。だが、その影響で広場にいる旅行者は無傷だった。ユーナも見知った重戦士がいる。「眠る現実」たち、攻略組によるレイドPTだ。加勢するタイミングを計っている、と言えば聞こえはいいが、ユーナから見ると、戦力を温存し、フィニア・フィニスたち後続組の動きを眺めているように見える。
足音が、近づく。振り向けば、最後の登り坂を駆け上がってきた一角獣の面々が視界に入った。先頭に剣士が、そして後衛陣が続く。
そう……後衛陣は、今にも力尽きようとしていた。
ユーナを見つけて目を細めて喜んでいるのはわかるのだが、完全に息を切らせて膝をついている。シリウスを除く全員、疲労度はオレンジに染まっていた。疲労度回復促進薬を口にしていてなお、である。
「ダメだな。下に降りるより先に、動けなくなるんじゃないか?」
肩を竦めたまま、彼は歩みを進めた。シリウスはかなり身長が高い。地狼の背にいるユーナのとなりへと並んでも、ユーナと視線が合うほどだ。
「あまり早く、使用したくは、なかったんですが、致し方、ありませんね……」
涼やかな顔貌に滴る汗を手の甲で拭い、息を切らしたまま、エスタトゥーアは道具袋へと手を入れる。そのてのひらには体力の丸薬が数粒、転がっていた。それを後衛陣に配り始める。最初に受け取ったシャンレンは、飲み下すとすぐにアシュアから預かったイスタンテの革袋を出した。そして……その中から、すぐに口にできるものを選び出す。それは紙袋に入っていた。
「疲れている時には糖分摂取、ですよ」
口の中の苦みを水筒の水で流し込み、アシュアはうれしそうにひとつ摘まんだ。紙袋に収められていたもの、それはいびつな形の揚げ菓子だった。小さな、丸いドーナツに見える。ユーナは、彼女のMPの上限が増加するのを見た。神官職の有する常時MP回復ブーストにより、ゆるやかにそのMPが緑で埋め尽くされていく。シャンレンはその上昇効果を確認し、同じものを紅蓮の魔術師にも差し出す。すぐに弓手も続いた。
「シャンレン、串焼き!」
「はいはい」
まったくスイーツではない注文だが、快く彼は応える。三本の串焼きをシリウスに預けて、身を翻した。エスタトゥーアはドーナツにするようだ。どれも効果は三十分と表示されていた。さすがにユーナには、串焼きを全部食べ切る根性はない。下では死闘が繰り広げられているのだ。二本を地狼にと頼み、背から降りる。ドーナツを分けてもらいにシャンレンを追うと、苦笑した彼が紙袋を差し出してくれた。
「食べにくいですよね、すみません」
「いえ、わがまま言ってゴメンナサイ」
シャンレンはHPを高める蒸しパンにしておくらしい。MPにせよHPにせよ、気休めと言いたくなるほどの微々たる数値である。だが、常時MP回復促進効果をスキルとして有する神官職や魔術師にしてみると、MPの上限が多少でも上がるというのはとてつもない効果を発揮するのだ。そして、シャンレンは、今となってはユーナよりレベルが低くなってしまったので、今回は前には出ず、基本、エスタトゥーアの護衛に務めることになっている。いざという時には、彼女の盾になるつもりなのだろう。その僅かな数字が、HPバーの赤か黒かを分けるかもしれないと考えるのは当然だった。
食べごたえのある甘い食感に、ユーナはドーナツを頬張りながら目を細めた。甘さがうれしい。すかさず差し出された薬草茶をありがたくいただく。ポットごと購入したそれは、僅かに精神力を高めてくれるという代物だった。料理の効果は重複するようで、ステータス上昇効果が見られた。
その耳元へ、シャンレンの声が滑り込む。
「――シリウスさんから、道具袋の一部を預かっています」
弾かれたようにその顔を見ると、彼はかぶりを振る。口にした内容を再度確認しないでほしいという意図を受け取り、ユーナは口を閉ざす。シャンレンはその手から器をそっと取り返した。
「どうか、お気をつけて」
シリウスが神殿帰りを覚悟している、ということばに続いた、心からの忠告だった。
地狼のところに戻ると、シリウスが串焼きを二本持ったまま、ユーナを待っていた。
「こいつ、ユーナじゃないとイヤだとさ」
苦笑しながら言われ、ユーナは串焼きを引き受けた。すると、差し出すまでもなく、地狼はそこにかぶりつく。一気に串だけを残し、器用に食べきった。
シリウスは峡谷の底から目を離さず、状況を確認している。再び後続組が攻勢をかけていた。あの強大なフィールドボスに対して、少しも戦意を喪失していない。
「大した連中だよ」
ユーナは頷いた。攻略組ですら一瞬で全滅に追い込む相手である。生半可な覚悟では立ち向かえない。戦場という場所柄、皆、感覚がおかしくなっているのかもしれないが、悲壮な空気は感じないのだ。自分の一手を次に繋げる意思が、そこかしこにあふれている。
「それに比べて」
シリウスの視線が後方へと移動する。「眠る現実」を始めとした、本来のレイドPTだ。時折、ホルドルディールのジャンプ墜落攻撃が来るが、攻撃があるかもしれないという予測がさえあれば、タイミングを合わせて回避できる。大玉転がしのような突進は、神官の聖域によって守られた盾士が方向を逸らしているようだった。その様子は防御回避に偏っており、未だに攻撃へと移っていなかった。
「あいつら、何しにきたんだか」
「ホルドルディールの攻撃を見定めてる感じはしたけど……」
「後続を捨て駒にしてやがる」
戦闘パターンの把握は、生死を分ける。ことばで聞いただけの情報ではなく、実際の目で確認するほうが良いのは当然だ。その材料を自分たちで引き出すのではなく、後続を利用している。
「だから、私たちの到着を遅らせたかったのよ。いえ、私の、到着を遅らせたかったのよね。守ろうとするから……」
ようやく疲労度が緑にまで回復したようだ。それぞれが料理によるステータス増加を得、体勢を整えている。青の神官は白銀の法杖を手に、峡谷を見下ろせる位置まで歩み寄った。まだ、下り坂が残っている。だが、最早彼女は悠長に歩いて降りる気はなかった。
「ぺるぺる、行くわよ」
振り向いて紅蓮の魔術師に声を掛ける。ふぅ、と溜息をついて、彼は立ち上がった。これから戦闘と思えば、オールグリーンになるまでは待ってからのほうが良いのだが、目の前で命がいくつも失われていく様子を、彼女が黙って見ているはずもない。降ろさないなら自分でとばかりに駆け出しかねない神官職に頷き、念のため人形遣いに言い置く。
「エスタトゥーア、シャンレンと残れ。メーアが来たら好きにしろ」
――、アシュアと残りなさい。
仮面の魔術師からのことばに、エスタトゥーアは昔を思い出す。あの頃は、自分が前にいて、彼は後ろで戦っていたというのに。
「ふふ……あなたに心配されるというのはくすぐったいですね、ペルソナ」
圧倒的にPTの前衛が足りない。アシュアの心情からも他PTの前衛を頼りになどしないだろう。そして、レベル二十五になったばかりの交易商を生贄に捧げようとは、さすがに彼女も思わない。よって、エスタトゥーアは仮面の魔術師のことばを了承した。実際、ペルソナからは、彼らが全滅したら転送石で逃げろとまで言われているのだ。峡谷の底で砕け散る命同様、その順番がいつ回ってくるのかはわからない。
だから、せめて、自分はこの戦場に身を置こうと思う。例え、死の順番が自分に回ってこようとも。
紅蓮の魔術師は、崖の端まで足を進め、道具袋から魔術具を取り出した。一度きりしか使えない、術式と魔石の組み込まれた仕掛けである。
その術衣の端を、アシュアが握る。
「掴まれ」
何故か慣れたように、弓手と剣士も緋色の術衣を握った。布がたっぷり使われているので、掴むところには事欠かない。だが、ユーナは少し身を引いた。何となく、これから起こることが予想できた。
「わ、わたしはアルタクスと下りるので……」
「遠回りになるだろ。あきらめろよ。アルタクス、行くぞ」
シリウスが言い放った途端、ユーナの身体が宙を舞う。アルタクスの背に彼自身によって放り投げられ、地狼は紅蓮の魔術師の術衣へ噛みついた。牙の形に穴が開いたかもしれない。
「起動、浮遊」
起動の術句に応え、魔術具が魔術陣を生む。赤い地面から、少しだけ身体が宙に浮いた。紅蓮の魔術師を中心とした浮遊陣が、彼の歩みと共に、僅かに前へと進み……一同は、重力に従った。
「いやぁぁぁぁぁっ」
遊園地の自由落下型遊具とは異なり、じわじわ上がってから落ちるのではなく、ただひたすら落ちるだけである。
コレ系アトラクションが苦手なユーナの絶叫が、峡谷に木霊し――さすがのホルドルディールも自身の手技によらない叫びに、動きを止めたほどだった。
そして、その叫びの在処を、戦場の旅行者は峡谷の底から見上げた。
奇しくも彼女の悲鳴が、一角獣の登場をボスフィールドに知らしめたのである。




