影
「やっぱりおかしい……」
ぷーっと頬を膨らませ、両腕を組み、アシュアは仁王立ちして言い放った。
彼女の眼前には、北門がある。だが、そこには今、NPCの門番しか立っていなかった。
遅れてくるのだろうかと三の鐘まで待っていると、ようやく眠る現実のリーダーからアシュアへとホルドルディールの現在地地図が転送されて……きたのだが、肝心の他のPTはやはり来ない。アインホルンの面々しかいない状態である。アシュアが不機嫌を露わにしながら連絡を更に取ると、事情がようやく呑み込めてきた。
既に眠る現実を含む他のPTは先行し、アインホルンは何故か最後尾にいるという。たまたま、三の鐘より早くメンバーが揃ったから出立したという話だが、アシュアは最早全く信用していなかった。
「二の鐘で出たわね」
「オレたちを置いていって、何のメリットがあるんだか」
肩を竦める剣士に、弓手が頬を掻きながら呟く。
「抜け駆けしたかったとか?」
「それなら、最初から声を掛けないと思うんですが」
すかさず交易商がその可能性を否定した。確かに、その通りだ。まして、主要扱いなどしないだろう。
「あらあら」
頬に手を添えて、困ったようにやんわりと傾けるエスタトゥーアに視線が集まる。その深紅のまなざしが、細められた。
「メーアからの連絡です。今、ようやく帰宅中だそうですが、そこで公式サイトを確認していて驚いたとあります。午後十時のレイド戦詳細が、攻略板に書き込まれているそうですよ。時間帯は、わたくしたちが最終打ち合わせに入ったころのようです。漏洩は意図的なものを感じますね」
レイド戦に参加しようとしている、今回の声かけから除かれた攻略組以外の旅行者。
時間通りに動いている主催PTと、その他のレイドPT。
アシュアたち一角獣に遅れて来てほしい、その理由――。
「死にたいのかしら」
ぽつりと青の神官から漏れたことばには、壮絶な怒りが含まれていた。
ふぅっと溜息をつき、紅蓮の魔術師が口を開く。そこには微妙な間があった。
「――たぶん、その通りだ」
何か、敢えて言わなかったような気がしたのだが。
怒りに震えるアシュアは、靴音も高く歩き出した。
「行きましょう。急ぐわよ!」
「ああ。ソルシエールはあとから追いかけてくるらしいしな」
こちらも連絡を受けたようだ。アシュアは歩きながらもラスティンから届いた地図を全員に再転送していく。エスタトゥーアは少し後方を振り返っていたが、すぐにアシュアのとなりに並ぶように、足を速めた。
北門を出てすぐ、それに気づいた。
おそらく、PT全員が認識したと思う。その光点を見て、ユーナは駆け出した。頭の中に、ことばになりかかったはずなのに封じられた吐息が吹き込まれる。アークエルドの名前は、今、はっきりPTステータスに表示されているが、彼は今、不死伯爵の名を冠していなかった。レベル表示は見えない。ステータスもすべて本来の数値とは程遠いであろう値を示している。そして、どの数値もが黄色に変化していた。
――擬装しているのだ。まるでただのNPCかのような表示に、ユーナは更に足を速めた。ユヌヤ周辺はレベル二十五の旅行者であっても、ソロではきつすぎる場所である。いくらユヌヤのすぐ傍とは言え、よく無事だったと思うほどだ。
『先、行ってるわね』
『すみません』
『気にしないで』
アシュアの声がPTチャットから届き、時間をくれる。彼女自身が癒しに来ないのは、それがとどめになるとわかっているからだ。どれだけ擬装していようとも、彼の本質が不死者であることには変わりない。
【急がなくても、逃げないよ】
「逃げられたくて走ってるわけじゃないよ」
【わかってるけど】
呆れたような口調で、並走する地狼が呟く。
光点が指し示した場所では、低木が木陰を形作っていた。その根元に、彼は座り込み……ユーナが近づくのに合わせて、目を開いた。薄い色合いのまなざしが、細められたまま揺らぐ。
「大丈夫ですか?」
膝を落として問いかければ、口元が僅かに歪んだ。苦笑しているのだと、共鳴スキルが彼の感情を伝えてくる。
「少し、休ませてもらえるだろうか」
「どうぞ!」
間髪入れずに返事をしたものの、どうすればいいのかユーナにはさっぱりわからない。とりあえず従魔回復の恩恵を与えるべく、できるだけ近くへと寄ろうとした。さすがに地狼のように抱きすくめるのは……と迷うようにアークエルドを見ると、彼はもたれかかっていた低木から背を離し、そのままユーナへと上半身を倒れ込ませてきた。驚きながらも支えようと手を伸ばす。一瞬だけ、彼の額が肩へと当たっただけで、すぐにその姿は霧散した。またもや、PTステータスから彼の名前がグレーダウンする。
影だ、とユーナは気付いた。ほんの少しだけ、木陰の隙間に、木漏れ日によってユーナの影が生じていた。そこへ彼が帰っていったのだと悟り、ユーナは不可思議な感覚に溜息をついた。安心したような、残念なような。
【あいつ、何してたんだ……】
不満げな唸り声を上げるアルタクスに、ユーナは微笑む。彼なりに心配していたのだ。
そして、撫でるように自身の影に触れる。
ただ、自分を頼って戻ってきてくれたことが、ひたすら嬉しい。彼がどこで何をしていたのかはわからなくても、それが自分のためだということはわかる。「おかえりなさい」と心で呟いて、彼女は立ち上がった。
「戻るよ、アルタクス」
そのまなざしに、もう不安はなかった。




