過去と未来と
これほどの屈辱があるだろうか。
全ての手札を見せて不死伯爵カードルの存在を要求しながら。
欲しいのは未来にカードル伯がいるという事実だけで、その実はいらないと。
好きにしろという。
全力で口説かれているはずなのに、この空虚感は何だ。
目の前にいる紫のまなざしをした少女は、それを潤ませながら微笑んでいる。
子どもの戯言に収められる内容ではない。
そのことばの端々から、微笑みから、存在すべてから、糖蜜酒で酔うような甘さが漂い、生命活動を停止したはずの脳髄までも刺激する。
以前は、まったく感じなかった。
身動き一つ取れないほどの感情に包まれながら、それでも戦いに臨んだ少女は、武器らしき武器を握らず、使えるものはすべて使い、全身全霊を込めて戦っていた。彼女のPTは、たった三人で見事に己を打ち倒す強さを持っていた。
カードル伯は目を閉じた。今の彼に、紫水晶のまなざしはあまりにも強い光に感じられたのだ。その様子に、彼女が哀しい表情をすることがわかっていても、見続けていられなかった。
死でありながら死ではない、光に融けながらまた還る。そんな無為の時間をどれだけ味わった?
それが、ようやく終わるというのだ。
歓迎すべきではないか。
姿かたちは見えずとも、この別荘で共に時を過ごした者たちを置き去りにしてまで、彼女の手を取る理由なんてあるのだろうか。
終焉を悦ぶ心に、後悔という名の記憶が過ぎる。
あの方を全力で支えようと思い、教え導いた日々。
己との近しい距離が彼の成長を阻むと気づいて、ほんの少しだけ、休養を兼ねて離れたのが最後だった。
黄金の髪が意識の底で揺れた。
これまで映し出されることのなかった、後悔の中身。
何もできないと嘆いた日々、不死者となった己が身は心地よいだけの部屋に封じられ、どこにも行く術はなかった。
かつての主に見えるために、新たなる主を戴くという矛盾。
二度と会わないつもりなら、滅びを先延ばしにする必要すらない。
再び目を開いた時、ユーナは変わらず自身を見つめていた。
ただ、答えを待っている。
「――鎖につながれたまま……何の意味があるんだ」
悪足掻きだとわかっていても、言わずにはいられない。
彼女は、不思議そうに首を傾げた。
「つないだりしませんよ? もうひとりの従魔、アルタクスっていうんですけど、地狼で……だからってどこかにつないだことありませんし。そんなことしたら間違いなく噛まれちゃいますよ。
あと、別に何もしないでって言ってるわけじゃないので。やりたいことしたらどうですか? えっと、わたしにできることならお手伝いします。わたし自身はまだまだ未熟かもですけど、友人がたくさんいるので、きっとみんな助けてくれますよ」
ことばの真意は掴む気がないのか、わからなかったのか。
だが、ユーナのことばが、彼女の誠意であると――そう思いたい自分がいた。
背後から、カタカタとしゃれこうべが鳴る。変わり果てた姿でありながら、本質はまったく変わらないままで、己の侍従はそこにいた。音が止み、衣擦れの音が動く。すぐ傍で跪いた彼に、かつてのまなざしはない。虚ろがこちらを見ている。
「我が君、わたくしどもはずっと待ちわびておりました。
ただ死ぬよりもつらい、永遠の苦行を強いる運命を恨みながら、貴方が解放される時の到来を……祈っておりました。そのためならば、魔族に魂を売り渡しても良いと思っておりました。戦いの果てにその時が訪れるのならと、どれだけの者を葬ったのか、もう覚えておりません。
彼女のことば通りであれば、何もせずとも終わりは近い。
これ以上の福音はありません。
ですから、どうぞわたくしたちのことはお気になさらず、貴方がなさりたいように。
わたくしどもの、これが最期の願いです」
胸元に引かれた白い手袋に包まれた腕。
白い頭蓋骨が下がる。
一分の隙も無い着こなしに、腹が立つ。
「私の宿業に、お前たちを巻き込んだだけだろうが」
「だとしたら、なんと光栄なことでしょう。ただ、最後までご一緒していただくのはご遠慮願います。まだ、あちらでのお住まいの準備などを整えておりませんので。不手際を叱られるのはご免こうむります。
一足先に失礼させていただくだけです。誰もがいつかたどりつく場所でお出迎えすることを、お許しいただけませんか?」
主より先に答えを出す侍従があるか。
更に頭を下げるアズムに、舌打ちした。
「許さん。最期まで付き合え」
 




