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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第八章 薫風のクロスオーバー
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口づけて


 重苦しい音を立てて、ゆっくり扉が開いていく。そのさなかに、骸骨執事の持っていた明かりが消えた。闇に落とされ、ユーナは息を呑む。音が止んだ。だが、僅かながらも明かりに慣れた目は、闇の中の何者も映さなかった。彼の案内を信じるのなら、ここは主寝室のはずだ。


「――アズム?」

「はい、我が君」


 驚きが含まれた声に、骸骨執事は応える。衣擦れの音が、骨がぶつかるような音が、彼の動きを伝えてくれた。主寝室には絨毯は敷かれていた。足音は吸収されて響かない。ユーナは見えない光景に目を凝らした。ここにアルタクスがいれば、共鳴で夜目も使えたかもしれないのに。


「同じ屋敷にいたのに、久しいな」

「いつも、心だけはお傍に控えておりました」

「知ってはいたが、見ると驚く」

「あなたは少しもお変わりありません」


 主従の会話は同じ方向から聞こえてくる。その距離の近さが何となくわかった。あの扉は、長らく開かれていなかった。ボス部屋である主寝室に繋がる、抜け道。それを易々と使えるはずもない。この話から聞くと、ひょっとして……不死者アンデッドとなってから、会っていなかった?

 ユーナは拳を握った。今、右手にマルドギールはない。闇は彼女を不安にさせたが、かつての戦場に流れるなつかしさに満ちた穏やかな対話からは、敵意などまるで感じない。

 カタカタと、しゃれこうべが鳴る。アズムが笑ったのだ。


「……つい、我を忘れてしまいました。大変失礼いたしました。こちらの方が、わたくしに扉の開き方を思い出させてくれたのです。

 あなたと、お話がしたいそうです」


 促す声音と共に、視線を感じる。すでに気づいていたものを、更に凝視する視線。

 ようやく少し闇に慣れてきた目が、ふたつの人影を映した。ひとつは骸骨執事アズムであり、もうひとつは部屋の主――カードル伯である。ふたりの頭上には緑色の名前が浮かんでいた。

 ユーナは主寝室へと足を踏み出した。もう段差はない。古びた絨毯を靴の裏に感じる。ふたりは執務机の前に立っていた。色は見えずとも、薄い色素のまなざしがこちらに向いている。

 頭を下げた。皇海学園で教わった敬礼だ。息を吸いながら、腰から上を倒す。止まったところで息を吐く。そして再び息を吸いながら元の姿勢に戻る。幻界ヴェルト・ラーイでは様々な礼があるようだが、ユーナにとって、礼儀はあの場所で教わったこと以外に知らない。


「久しいな」


 カードル伯は、同じことばを繰り返した。だが、先ほど骸骨執事に向けたような温かさが、そこにはない。それでも、おぼえていてくれる、ということはありがたいとユーナは思った。


「はい、カードル伯」


 向き直った時、ようやく彼の容貌が見えるようになっていた。肩までの長さの銀色の髪も、豪奢な服装も変わらない。青白い美貌は少しも損なわれておらず、ただ、凍てついたままだ。まなざしもユーナに向けられ、その真意を問うかのようにひたと見据えられていた。

 それらを眺めながら、ユーナは不思議と自分の気持ちが落ち着いていることに気付いた。吸って、吐いて、の一連の動作が、身体に……心に覚えのあるものだったからだろうか。幻界ヴェルト・ラーイという場所にいながら、強く自分という存在を思い出した。


 この心で、彼と向き合うのだ。


 ユーナが口元を引き結ぶと、カードル伯のまなざしが緩んだ。そして、己の執事に対して指示する。


「ご婦人を招待するには相応しくない場所で恐縮だが……アズム」


 骸骨でありながら優美な一礼をして、アズムはユーナへと歩み寄り、ソファのほうへと案内してくれた。あの時、絨毯は聖水で水浸しになっていたし、一部は完全に焼失していた。新品というわけでもなく、ただ、巻き戻ったように見える空間を見ながら、ユーナは促されるままに腰を下ろした。ふんわり、とまではいかないが、布張りの座面にはたっぷりと詰め物が入っている。綿よりも硬い詰め物なので、羊毛のようなものかもしれない。座り心地はそこまでひどくはない。

 向かい側に、カードル伯が座る。その後ろにアズムが立った。

 その構図を見て、ユーナは口元を綻ばせる。


「すごい、ですね」


 感動、と言ってもいいのかもしれない。

 中ボスとクエストボスが並んでいる。明らかな話し合いの場が目の前にあって、自分がはっきりとクエストのさなかにいるとわかるのだ。

 だが、話し合いの場での発言には相応しくなかったかもしれない。不可思議そうに瞬いたカードル伯の様子に、ユーナは口元を手で覆った。


「す、すみません」

「何が、すごいのかな?」


 まさかクエスト云々と話せるはずもない。ユーナは視線を泳がせ、たぶん訊かれた内容とは違う答えを返した。


「本当に、カードル伯とお話ができるとは……あんまり思ってなかったのかもしれません」

「ほう」


 カタカタと骸骨が音を立てた。あのひと、笑いすぎだと思う。

 カードル伯はその骸骨執事を見上げた。ぴたりと音が止む。躾が行き届いているようだ。足を組み、くつろいで座る彼は、いつかの冷たさを忘れさせていた。

 表情は変わらないのに、まなざしが心を物語るのだ。

 感謝、拒絶、欲求、驚愕、絶望。かつて見た色合いとは違うものが、戻された視線にはある。


「不思議だね」


 言うなれば、困惑。

 ユーナもまた、同意を示した。彼が抱いている感情は、ユーナが感じているものと相違ない。小さく頷く彼女に、カードル伯は目を細めた。笑んでいる。但し、先ほどのことばの透明感とは、遠い意味で。


「ふむ」


 幼子の相手をするような、独特の愉快さを含んだような声がそれを伝えてくる。骸骨執事が抱いたのは、怒りだった。それとは違う。


「君は、従魔使い(テイマー)に、なったんだね」


 どこからの情報だろうか。自分とアルタクスのように、彼とアズムもまた共鳴しているのか。

 頷きを返しながら、ユーナはカードル伯を見る。問いかけるような紫水晶の瞳に、あっさりと彼はネタばらしをしてくれた。


「ある種の魅了かな……心が動くというか。

 そうだね。跪いて、君の靴に口づけたくなるような、そんな感覚?」

「ぅえっ!?」


 変な声が出た。顔が熱い。あのひとオカシイ。

 ユーナはソファの上で身をよじらせた。左腕が己の身をかばうように盾を翳すような形を作る。完全に逃げ腰になっている彼女に、カードル伯は冷たく言い捨てた。


「しないよ。浅ましい」


 そのことばが向いた先は、ユーナではなさそうだった。

 否定は安堵よりも失望を、彼の苛立ちをユーナに感じさせた。その苛立ちは、何もできないと嘆いていたころのものとは違うことばでありながら、同じ形で、ユーナの背筋を震わせる。

 そして、彼が告げた幻界ゲームシステムの存在は、唯一の従魔シムレースの不可思議な行動の答えでもあった。

 かつて、小さな幼生だったアルタクスが、ユーナを主に求めた理由。あの時、自分は従魔使い(テイマー)ではなかった。「手懐け(テイム)」スキルすら持っていなかった。

 今のカードル伯のように、感情に訴えかけるようなものを、ユーナに感じていたのだろう。それは理屈でも何でもない。地狼アルタクスを突き動かしていたものが、彼自身の何かではなくて、自身に由来することを思い知らされる。

 どちらにせよ、ユーナの手には負えない。幻界ゲームシステムがユーナに対してランダムで割り振った見えない数値(ステータス)が、ユーナに従魔使い(テイマー)としての適性を与えているに過ぎないのだから。

 心を過ぎるのは、何故か哀しみだった。

 今までアルタクスと過ごしてきた時間が、すべて幻界システムによって作られた感情から導かれているなんて。

 これはゲームなのだから、当たり前じゃないかと、心のどこかが冷たく呟いた。




「――もうすぐ、この別荘は焼け落ちます」


 ああ、これは脅迫だ。

 ユーナは口にしながら、それでもことばを止められなかった。


「だから、その前に、あなたとお話がしたかったんです。

 あの時、わたしには何もできなかった。何もできないんですかって訊きながら、何もしないままで。

 今なら、できることがあるのかもしれないって思ったから」


 拙いことばだ。自分のことしか考えていない、ひどいことば。

 あの時もそうだった。死にたくなかった。だから、「テイム」を選んだのではないのか。

 そして、もまた、「ユーナにできること」……その答えを見透かしていた。


従魔使い(テイマー)が求めるものなど、従魔シムレースしかあるまい」


 一瞬、彼の瞳が赤に染まった気がした。気のせいかもしれない。彼らの名前は未だに緑表示だ。

 光のない全き闇の中、ユーナは目を凝らす。システムが告げる事実だけではなくて、彼の表情を、まなざしを見逃したくなかった。今、彼女にとって闇自体は変わらないが、距離さえ近ければある程度は見える。客観的に言うと、身を乗り出していた。


「あなたは、従魔シムレースになってでも、ここから出たいと思いますか?」

「君に、仕えろと?」


 問いかけに対して、問いかけが返される。

 ユーナのことばは、既に想定していたのだろう。打てば響くような声音だった。むしろ、ユーナのほうがその問いかけの答えに迷う。


「うーん……わたし、従魔シムレースが自分に仕えてるとは思ってなくって」


 弱弱しく本音を漏らすと、カタカタとしゃれこうべが鳴った。カードル伯自身も、信じられないと目を瞠っている。あの、表情筋を失っているようなカードル伯が、である。よっぽど驚いたらしい。

 申し訳ないが、あのアルタクスを見ていて、「自分に仕えている従魔シムレースです」などとは言えない。主を放り投げるとかありえないと思う。最近は主でなくても放り投げているが。ちゃんと戦ってくれるし、守ってもくれるが、あれは何というか……何だろう?


「君は従魔使い(テイマー)であるにも関わらず、従魔シムレースがいないのか?」

「いますよ! アルタクスだけですけど」


 激昂するユーナに、カードル伯はかぶりを振った。


「私が知る従魔使い(テイマー)の定義と、大きく解離しているな」

「そうですか」


 だから何?とでも言うように、ユーナの返事は冷たかった。

 ユーナの知る従魔使い(テイマー)は限られている。

 大空を舞うアニマリート、至上の従魔使い(テイマー)。心の底から従魔シムレースを思い、新たなる従魔使い(テイマー)の誕生を喜び、教え導いてくれたひと。

 そして、モラード。従魔使い(テイマー)を生み出すために、旅行者ルーファンと共に、己の従魔シムレースを連れずに旅をする従魔使い(テイマー)

 だから、他の存在は知らない。彼の中にいる従魔使い(テイマー)がどういう存在なのかもわからない。ただ、グラースから聞かされた、従魔シムレースに関する物語がその根底にあるのなら、研究機関と従魔使い(テイマー)の関わりが、アニマリートが忌むほどのものなのだから、きっと良い感情は抱けないとわかっていた。

 でも。


「ここにいる従魔使い(テイマー)は、わたしです。他の従魔使い(テイマー)ならどうするかって考えたこともありません。

 わたしに従魔シムレースのことを教えてくれたひとは、従魔シムレースを大切にするひとでした。だからこそ、従魔シムレースにするという行為をただの手段にすれば、怒られるかもしれないとは思いますけど……選択肢がないよりは、いいかなって思ったんです」


 他の誰かが、それこそ、新しい従魔使い(テイマー)の誰かがまた訪れるかもしれない。

 何か違う手段を見出すひとがいるかもしれない。

 可能性ならわかる。しかし、そういう話ではないのだ。

 ユーナ自身が、カードル伯に問いかけたかったことだから。

 薄い色合いのまなざしを受け止める。何色なのだろう。この暗がりではわからない。


「えーっと、ここから出たら、フィールドボス討伐を手伝ってほしかったり、王都に行くのでいろいろと教えてもらえることは教えてもらいたかったんですけど、イヤならいいです」


 さらっと希望を伝えてみる。真剣にこちらの話を聞き入れていたまなざしが、歪む。


「――何だって?」


 カードル伯の問い返しを無視して、ユーナは更に続けた。まだ出せる手札はある。


「永遠の眠りにはつかせてあげられないかもしれませんけど、宿代は稼げるようになったので、眠りたいならいくらでもベッドで寝ていて下さい。やりたいことがあるならご自由にどうぞ。名前はあなたのつけたいのにしますし、カードル伯の見た目なら従魔の印章(シグヌム)はなくてもいいですよね。道端歩いててもアンデッドってわからないと思います。あ、犯罪行為はわたしも処罰されちゃうので、しないでいただけると……」

「君は、何を、言ってるんだ?」


 彼女のことばを遮って、一語ずつ区切りながら、カードル伯は紫水晶の瞳を見据えた。


 自分でも、変なことを言っているという自覚はある。

 ユーナは誤魔化すように頬を指先で掻いた。視線は泳ぐ。


「あなたが、ここから出て行ってもいいかなって思えるようなお話をしているつもりですけど?」

「君がそんなことをして、いったい何の利がある!?」


 組んでいた脚を下ろして、本気で怒鳴られて。

 骸骨執事アズムに訊かれた時は、本当に、自分でもよくわからなかったのに。

 すぅっと答えが口から出た。


「未来が変わります」


 ユーナは笑顔で応えた。


「あなたがいないっていう、未来が変わります。わたし、それが見たいんです」


 どうにもできないことを、何とかできるってスゴイと思う。

 その術がこの手にあるのなら使いたい。

 あなたに会って話したいと思ったのは、その第一歩で。

 おひさまの下で、は無理かもだけど。

 月明かりの下で、一度だけでいいから、あなたの、その色合いを見せてほしい。

 ひょっとしたらプログラムによって刻み込まれた感情があなたを苛み続けるかもしれない。ここから出たら、できるだけ、もう関わらないようにするから。


「だから、わたしの従魔シムレースになっていただけませんか?」


 どうしてだろう。

 楽しく誘っているつもりなのに、泣きそう……。

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