正直であることは愚かですか?
その手が離れていく。同時に、不思議と、肩の力が抜けていった。
まっすぐ正面にいる骸骨執事を見て、ユーナは口を開く。
「以前……アズムさんは、心まで魔物に成り果てたつもりはないって、言ってましたよね」
「はい」
「きっと、カードル伯も、そうだと思うんです」
思うままに。
ゆっくりと、ユーナはことばを紡いだ。
何一つ、物語の先のことなどわからなくても、今までに気付いたことや、考えたこと、自分たちに必要なことなら話せる。
「やらなくちゃいけないことがあった、って。ただ、もうできないって嘆いてて。
それなら、やればいいんじゃないかなって思いました。あの時は、どうすればいいかわからなかったけど……ここから出て行けば、できますよね?」
「――貴女の従魔になれば」
それは冷え切った声音だった。
まなざしに心を見出せない相手に向かい、ユーナは頷く。そして、視線を落とした。花を模ったナフキンが白い陶器の上に飾られている。食事を必要としない彼らの手で準備されているのだとしたら、ひどい皮肉だ。だが、そこに歓迎の心が残っているのだと信じたかった。
「わたしの従魔になることを、ただの手段であると言い切るのはつらいです。
わたしにとって、従魔は覚悟ですから」
「覚悟?」
「命を預かっていると思っています」
厳密に言えば、そのすべてを委ねられている。従魔について、ユーナが知ることは少ない。最も身近な存在がアルタクスだが、彼はとにかく規格外だ。一応、ユーナを主と、認識はしているし、認めてくれている。だが、お互いの間は主従でありながら、命令で繋がれていない。そこにはユーナの願いを叶えたいと考えている彼が、ユーナのために動いた結果しかない。ひどい自惚れでありながら、もうそれが事実だと思い知らされるほどには一緒にいる。
視線を向けても、地狼は何も言わない。
漆黒のまなざしは無言でこちらを見返してくる。だからおそらく、これは正しいのだ。
「従魔は、主に従います。兵が王の命に従うのと、何ら変わりません。
そして、兵に代わりはいくらでもいますが、王の代わりは簡単に用意できないのです」
「それって一般論ですよね。わたしにはアルタクスしかいませんから。今のところ!」
淡々と語る骸骨執事に、少し苛立ちを混ぜてユーナが言い放つ。特に最後の部分を強調して。
その様子に、彼の声音が少し柔らかくなったような気がした。
「貴女は、どうして旦那様をご自身の従魔にと思われたのですか?」
尋ねられた内容に、ユーナは口ごもる。少しだけ視線が泳いだが、骸骨執事は答えを待っているようだったので、あきらめて、正直に述べた。
「――本当は、従魔じゃなくてもいい、って思っています」
「どういうことでしょう?」
興味深そうに更に追及されて、ユーナは本音を語る。
「もし、わたしの従魔にならなくても、何か手段が他にあって、どこにでも行けるようになるのなら、それでいいんです。カードル伯が悔いを残さずに済むなら。
でも、もうすぐ、この別荘クエストは終わります。そうなったら、この別荘は燃え尽きてしまう。カードル伯にしてみたら、永遠の眠りが得られる絶好の機会でしょう。但し、やりたかったことは何一つできないままの眠りになります。
だから、カードル伯はどうしたいのか、訊きたかったんです。
わたしの従魔になることを、手段として使いますかって」
「綺麗なことばですね。貴女にどんな利があるのですか?」
「利があればいいですよね」
鼻白むように問い返す骸骨執事に、ユーナもまた同じように返す。
「不死者を従魔にすることのデメリット、絶対あると思いますし。
もともとこの提案をしてきたひとは、フィールドボスを倒すための力が欲しいとか、王都にたどりついたら貴族としての知識が役立つとか言ってましたけど、わたし自身にとって、正直利なんかじゃないんです。カードル伯みたいなすっごい人、わたしなんかが主になってもらえるとも思えないし、逆に気を遣っちゃうんじゃないかなって……」
「貴女、何しに来たんですか?」
身も蓋もなく、どちらかというと既にもう愚痴になっている内容を聞き、思わず骸骨執事は彼女のことばを遮った。彼にあるまじき失態に、本人は顔色を変えている。骸骨なので、周囲にはわからない。
そんなことはつゆ知らず、ユーナは首を傾げた。最初から、彼女が求めていることは一つだ。
「カードル伯と、話がしたいんです」
沈黙が流れた。
それがどれくらいの長さなのかはわからなかったが、骸骨執事にとっては一瞬だったと思う。
彼は深く、頷いた。
「お話の内容は、確かに承りました。わたくし如きの一存では判断いたしかねますので、旦那様のところまでご案内いたします。――但し、貴女ひとりで」
大理石の床材を、抉る音がした。抜身の長剣が、その持ち主の荒ぶる心を表すように叩きつけられた音だ。
背後から、剣士の低い声が問う。
「無事に返してくれるんだろうな?」
「それは彼女次第になります」
「どうして、ユーナちゃんだけなの? 私たちが一緒に行っても問題ないでしょう?」
「闇の中で、貴女方の光は強すぎます。話し合いになりません」
ゆるりと同行を拒絶する骸骨執事に、ユーナは頷いた。
「わかりました」
【わからないけど?】
「えーっと、待ってて?」
【イヤ】
すかさず拒絶しまくってくる地狼を、ユーナは宥める。会話がわかるのか、骸骨執事はカタカタと笑った。
「男女のふれあいに無粋な真似は野暮というものでしょう」
「ユーナ、帰るぞ」
「アズムさん、その冗談通じてないからね!?」
本気で回れ右をして食堂を出ようとする剣士を、あわててユーナが引き留める。
カタカタとしゃれこうべが鳴っている。何かふっきれているような気がするのだが、気のせいだろうか。
「えーっと、何かあったら召喚でアルタクス呼ぶから! あと、全力で戦闘は回避するから! ちょっとだけ待っててよ」
彼の左腕に縋って言い募るが、シリウスはかぶりを振る。
「いくらレベルが上がってても、お前ひとりでどうにかなるような相手じゃない」
「倒しにいくわけじゃないし!」
「ユーナちゃんの命を賭けてまで行くべきところじゃないでしょう?」
アシュアも反対しているとわかって、ユーナは気落ちした。命を賭けるのか、と言われると困る。そんなつもりはさらさらない。ただ、相手の存在を賭けて話をしにいくのは間違いなかった。
その青のまなざしを見つめて、ユーナは頼んだ。
「話がしたいだけなんです。アズムさんの名前、緑のままでしょう? きっとアズムさんいたら、話ができると思うんです。シリウスと一緒に、待っててもらえません?」
お願い、と両手を組んで見上げると、困ったように彼女の眉がハの字になった。そして、ちらりとシリウスを見る。次いで、シリウスから溜息が漏れた。
「――行くのは、主寝室か?」
「はい」
「外で待たせてもらう」
「どうぞ、ご随意に」
深々と一礼して、骸骨執事は身を翻した。暖炉の上にある燭台の飾りを引く。鈍い音がして、壁の一部がスライドした。隠し扉である。テイマーズギルドで見たものによく似ていた。
促され、ユーナはその暗い通路に入る。どこもかしこも真っ暗で、中に入ると食堂のほうしかわからない。振り向くと、長方形に区切られた写真のような光景が見えた。歯を食いしばるシリウスに、心配そうに法杖を握るアシュア、そして、唸る地狼。
ああ、ワガママだったな、と気づくのは遅かった。
目の前で隠し扉が閉まっていく。完全に閉ざされると、本当に何も見えない闇が広がっていた。PT表示にあるシリウスたちもグレーダウンしていて、まるで別マップにいるように見える。要するに、PTチャットも使えず、相互の様子はわからない。不安に駆られて地狼を心で呼びかけたものの、その返事も頭に響かなかった。共鳴も使えない。
「こちらへ」
「あのー、見えないので……」
「これは、失礼いたしました」
暗闇の中で骸骨執事の声が聞こえるが、どこからかも音が反響していてわからない。ユーナの困り果てた声に、彼はすぐ反応した。
ライターで火を点けたような音と共に、彼の手にカンテラが現れる。炎の灯りなら良いのだろうか。
ゆっくりと、ユーナの足元を照らしながら、骸骨執事は細い階段を昇り始めた。ひんやりとした空気は淀んでいて、かび臭い。今までどれくらい空気の流れがなかったのだろうかと思うほどだ。
「わたくしも、あの方にお目見えするのは久方ぶりです。貴女のおかげですね」
落ち着いた彼の声に、ユーナは頭を上げる。カンテラの灯りに浮かび上がるしゃれこうべは、立派なホラーだった。急な階段を思うペースで登れずに、少しつらい。どう返事をしたらいいのか迷ううちに、骸骨執事はことばを続けていた。
「もうすぐ、この別荘が燃え尽きる、とおっしゃっていましたね」
「……はい」
「いずれにせよ、終わりの時が近いということですね」
公式サイトに記載された事項である。最早揺らぐことはないだろう。
具体的に幻界時間でいつ、という答えは求められていないように思えた。むしろ、返事すらも不要だったかもしれない。
アズムが立ち止まった。骸骨執事はユーナに虚ろな眼窩を向ける。覚悟を問うようなしぐさに、ユーナは逆に尋ねた。
「あなたは、わたしがカードル伯に会うの、反対ですか?」
カタカタと、しゃれこうべが笑う。
「反対していたら、お連れしませんよ」
そしてその手が、カードル伯への道を拓いた。




