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幻界のクロスオーバー  作者: KAYA
第八章 薫風のクロスオーバー
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フェスティバル


 五大学合同イベント、エイフェス。

 それは、県内有数の大学が各学部のゼミナール単位で合同発表を行う場として、毎年四月最終土曜に実施される。大学間交流と銘打ち、四月に入ってきたばかりの新入生すらも巻き込んで、発表会だけではなく討論会や模擬演習なども行う催し物である。

 場所は皇海国際展示場――計一万五千平方メートルもの広大な空間のうち、まずコンベンションホールにメインステージを配置し、残りのホールを学部ブロックごとに分けていた。内容によっては各ブロックにスクリーンを配置しての発表会やポスター展示も多く、細かくブースに区切られているところもある。

 目立つところでは理工学部系の模擬授業や各種アプリケーション開発プロジェクト発表体験会や、体育学部系ダンス発表会、音楽部系コンサート、更に文学部系での変わり種としては模擬挙式などがある。以前より注目されているのが、医学部の最先端医療に関する研究発表のうち、神経細胞生物学や免疫制御学、薬学部の生体認識化学研究や病態制御薬理学研究などもあり、県外からもこのエイフェスに参加希望をする研究者や学生も多い。

 

「皓くん……もうゼミ参加してるんだっけ?」

「まあ、幾つか」


 展示場地下の駐車場に車を停め、エントランスまではエレベーターで上がる。エントランスホールでは何かのコンサートと見紛うほどの人だかりがあった。行き交う人々は当然大学生が中心だが、スーツ姿の壮年から老年の男女もいる。大学生も半数ほどはスーツ姿で、結名は場違い感がすごく、縋るように従兄を見た。予め預かっていたのか、手元のパンフレットを見て、人だかりとは別の方面のエスカレーターへ向かう。


「ゼミって、幾つも参加できるの?」

「専門と般教パンキョウ……一般教養で、名前をちゃんと登録しなくちゃいけないのは一つずつかな。3DCG作れるのバレてるから、高等部上がりの連中からモデリングとかモーション作成頼まれるんだよ」


 わかるようなわからないような説明に、結名は「ふぅん」と適当な相槌を打つ。エイフェスの存在は知っていたし、担任からも興味がある者は見に行くようにというアナウンスは受けていたが、本当にこのタイミングで参加することになるとは思っていなかった。来年あたりには、どこの学部に進むかを本格的に考えて興味を持って見て回るかもしれないが、さすがにこの春、受験を終えたばかりである。そこまで思考は飛ばない。むしろ幻界ヴェルト・ラーイに行きたい。


 ――大学のイベントあるの忘れてた。せっかくだから見に行かないか?

 夜遅くまで遊んでしまったので朝食がブランチになり、それを食べ終えた時、ようやく皓星からのSS(流れ星)に気付いた。どうしようかなあと迷っていると、返事も待たずに家のチャイムが鳴り響いたのだ。服装からしてパジャマのままだったので行くのをごねたのだが、娘が丸一日ゲームに浸かる予定であるのを知っていた母は笑顔で着替えを指示した。無念である。


 二階に上がると、真下のエントランスがよく見渡せた。国際と名がつくだけあって建築様式も独特で、見ているだけでも楽しい。そちらに目を奪われていると、傍にいたはずの皓星の姿がない。あわてて周囲を見回すと、ホールのひとつに入っていくところだった。ひどい。

 あれ? わたし、まだ一人で出歩いちゃダメだったよね?と思いつつ、追いかける。開かれたままの両開きの扉の奥には、ドラマの裁判でよく見る法廷があった。更なる場違い感に、結名の足が止まる。その一番後ろの列に座りかけていた皓星が、今更ながらに結名がいないことに気付いて顔をしかめていた。こちらに気付き、手招きされる。ホールの外とは異なり、小さな子どもを連れた家族や老年の夫婦がところどころに座っている。だが、学生は皆スーツ姿の空間になっていて、思いっきりカジュアルな服装の自分たちは浮いている気がした。逃げ出したい気持ちになりながらも、皓星のとなりに向かう。


「もうすぐ始まる」


 小声で注意され、そのまま座った。

 何が始まるか、などと問わずとも、裁判であることくらいはわかる。ただ、内容については裁判官の席の後ろの垂れ幕に「国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約による裁判上の対応」と書かれていて、結名にはさっぱり意味がわからなかった。ちなみに、皓星は理工学部である。

 模擬法廷に、法服をまとった裁判官役と、それぞれ父親側母親側と書かれた代理人席へスーツ姿の学生が座っていく。父親側の代理人のとなりには父親の席があり、同様に母親側の代理人のとなりには母親の席もあった。父親側には子どもという席もあり、そちらにはキャラクター物のTシャツにジーンズ姿の筋骨隆々とした男性が座って、思わず視線を逸らす。ここは笑ってはいけないところだ。たぶん。


「では、お時間になりましたので、始めさせていただきます」


 裁判官役の女性が、立ち上がってマイクを握り、口を開いた。その声に、結名は大きく目を瞠った。

 見覚えのない女性と、聞き覚えのある声の組み合わせに、困惑する。一礼すると、長い、ソルシエールよりも長い黒髪が肩から流れ落ちていた。分厚い黒縁眼鏡は皓星とよく似ている。卵型の輪郭はわかっても、この距離ではその容貌までは判別がつかない。

 となりを見る。皓星は結名を見ていた。その口元が、笑いを堪えるように歪んでいる。結名は歯を食いしばった。第一印象は、悪くしたくない。当然である。


 裁判官役の彼女は、まず模擬裁判に至るまでのストーリーを説明した。ご丁寧に、それぞれの役柄の男女も立ち上がり、証人席の傍で寸劇を行なってくれる。

 昨年二月に夫婦は結婚し、同年三月に夫の母国であるドイツに転居した。その後、妊娠中にDV被害を受けたので妻は帰国し、同年五月に日本で息子を出産した。一連の流れではユーモラスに抱き合ったりどついたり手を振りながら別れたりしているので、見ていて楽しい。他のひとたちも声を上げて笑っていたので、ここは遠慮なく笑うことができた。

 その後、夫は息子会いたさに「息子の祖母にあたる母の余命が幾ばくも無いからお見舞いをしてほしい」と妻に頼み、妻は息子と共に渡航する。だが、僅かな隙を突かれ、息子と引き離されてしまう。息子の返還を求めたが叶えられず、帰国。そして、国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約……いわゆるハーグ条約に基づき、息子の引き渡しを申し立てたという筋書きである。

 母親側代理人は「息子を地元皇海市で出産し、息子の生活費等一連の費用負担はすべて母親にあること」や、「一時的な渡航であると父親側が認めていたこと」を主張した。予約のみではあったが、帰り道の航空券を取っていたことも証明した。

 対して、父親側代理人は「妻はドイツに住むつもりだった」「片道分の航空券しか購入していない」と主張した。

 ここで、裁判官役の彼女が再び立ち上がり、ハーグ条約の説明を行なった。

 ハーグ条約とは、国境を越えて子どもの連れ去りが起こった時、子どもの利益の保護を目的として子どもを元の国に返還する旨を定めた多国間条約である。

 今回の子どもは十六歳未満の未成年者(ここで筋骨隆々とした子ども役の男性が立ち上がって手を振ったので、笑いが起こった)であり、日本とドイツは双方ともに条約加入国であることが確認された。そして、常居する国……日本に子どもを返還する判断を下す。

 とりあえず戻すだけで、そこからまた子どもの利益についての話し合いの場を持つ、ということを父親の代理人役が語る。そして、母親の代理人役が日本では離婚の際、父母のどちらかのみが親権を有するが、他の条約加盟国では共同親権という概念があり、そのくい違いも現状として存在することを説明していた。

 最後には、子どもは母親に抱きしめられて、模擬法廷の全員が立ち上がり、一礼して、模擬裁判は終了した。




 昼食時には混むから、と皓星に促され、先にホールを出てレストランフロアへ向かう。洋食なら一通り食べられそうな店を選んで、四人掛けの丸テーブルについた。すぐに皓星は携帯電話を操作して、連絡を取る。結名は「誰?」と訊けなかった。

 そして今、法服を脱いだ彼女が、結名の目の前にいる。


「法服、初めて着たけどやっぱり暑かったわ」

「着慣れているように見えましたよ」

「そう?」


 黒いスーツのジャケットを脱ぎ、空いているとなりの椅子の背に掛ける。遠目でも腰までの長い髪はよく見えたが、それはシュシュで一つにまとめられ、背中に下りていた。化粧っ気のない顔なのに、目を惹く。滅多に聞かない皓星の丁寧な口調にも驚きながら、結名はそれでも彼女をガン見せずにはいられなかった。皓星から差し出されたメニューを受け取って、「もうごはんも食べちゃおうかな、オムライスセットで」とあっさり決めたところで、視線が合った。さすがの彼女も苦笑を洩らす。


「えーっと、初めまして? 望月柊子もちづきとうこです」

「は、はじめまして!? 藤峰、結名です!」


 結名の完全に上ずった声に、皓星が吹き出した。肩を震わせて声を殺して笑い続ける彼を放置して、柊子は結名にメニューを差し出す。


「ゆうなちゃんは何にする? デザートはあとで注文しよっか」


 「ユーナちゃん」の響きが、もうダメだった。

 結名は両手で顔を覆った。耳まで熱い。本当に嬉しくて、何が何だかわからない。答えがほしくて、縋るように、結名は小声で彼女を呼んだ。


「――アシュアさん……っ」

「うんうん、そんなに喜んでもらえるとは思わなかったわ」


 くすくすと笑いながら、柊子アシュアは呆気なく頷いてくれた。

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